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チョッパリの邑 (3) 椎野 公雄

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通常 チョッパリの邑 (3) 椎野 公雄

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/4/30 6:49
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 出発が九月三日と決まると、あたふたと引越しの準備が始まった。
 私にしてみれば、気に入ったこの地を離れるのは嫌だが、父の転勤とあれば仕方がない。
 しからばこの際、残された一ケ月は折角の夏休みでもあるし精一杯楽しもうと、手伝いはそっちのけで、友達を誘っては川や山に出かける毎日となった。

 私たちがこの地に来てからも、戦争は大本営《注1》発表の中身とは裏腹に日本軍不利の状況が続いており、四月には山本五十六《やまもといそろく》連合艦隊司令長官搭乗の飛行機がブーゲンビル島上空でアメリカ軍戦闘機に撃墜されて長官が死亡、日本軍が占領していたアリューシャン列島《注2》も、五月にアッツ島が玉砕《ぎょくさい》、そして引越しを間近に私が夏休みを楽しんでいた八月にはキスカ島も陥落して、アメリカ軍の勢力は、北は千島から南は中部太平洋地域に迫っていたのである。
 しかし、毎日のように放送される大本営発表は、相変わらず「大日本帝国陸海軍は各方面において意気軒昂《=意気込みが盛ん》、敵に多大な損害を与えている」と報じ、私たちも一抹の不安はあっても「神国日本が敗けるわけはない」と信じていたし、少なくともこの山の町には、戦争は未だ遠くにあるという雰囲気があった。

 そして、楽しかった夏休みもアツという間に過ぎて、出発の九月三日がやってきた。
 その日は朝から快晴、私たちの旅立ちを祝福しているような絶好の日和《ひより》であった。
 会社から手配して貰った車で先ず古川《=岐阜県飛騨》に出て、ここで1泊。
 次の日、高山線で名古屋へ行き、東海道・山陽本線と繋がる急行に乗って下関まで来たあと関釜《かんぷ》連絡船に乗り、今こうしてその船の中にいる。

 僅か半年という短い月日で大好きな神岡《かみおか》を離れることになったが、考えてみると、私たちにとっては一年で一番良い季節をこの地で過ごしたということだ。
 短い時間ながら楽しかった日々が、つい昨日まであったことや、車で出発した時いつまでも手を振って見送ってくれた友達のこと、古川の旅館で「暫くは食べられないから良く味わっておきなさい」と食べさせられた鮎《あゆ》料理の美味しかったこと、そしてこの戦争の真っただ中、これから行く朝鮮・新義州《シンウイジュ》のことなど、色々と考えていると、なかなか眠れない。
 船も外洋に出たのか、少し揺れが大きくなったなと思う頃、まだ起きている私を見て「もう寝ないといけないよ」母に促されて、ようやく眠りについた。

注1 大本営=戦時または事変の際に設置された最高の統帥機関第二次大戦後廃止

注2 アリューシャン列島= アメリカのアラスカ半島からロシアのカムチャッカ半島にかけて延びる列島    

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編集者 (代理投稿)

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