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チョッパリの邑 (20) 椎野 公雄

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通常 チョッパリの邑 (20) 椎野 公雄

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/5/27 7:27
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 朝鮮人によるリンチとロシア兵の襲撃の恐怖

 こうして始まった新生活であったが、やはりと言うべきか二~三週間経った頃から、工場では日本人に対する復讐の仕打ちが始まり、社宅内にも衝撃《しょうげき》が走っていた。
 従業員として働かされる日本人が、これまで抑圧されてきた彼ら朝鮮人から、積年の恨みとばかりに連日・連夜リンチを受ける日々が続くようになり、一日ニ~三人、多い時には五~六人が工場内で詰問のうえ樫《かし》の棒で殴打《おうだ》され、特に過去の所業が手荒かっかり非人道的であったりして恨みが深かった人間は、想像を絶する処罰を受けたという。

 或る朝など、遺骸《いがい》となって戸板に乗せられ帰宅した人を目撃したこともあった。
 おそらくこの人は、暗い工場の片隅で一応の釈明や抵抗はしたに違いないが、ただひたすら叩かれ続け、無念な最後だったのではなかろうか。取りすがって泣き叫ぶ家族の姿をみていると、「敗戦」の凄まじい現実を見せ付けられるようで子供心に居たたまれず、父もこんな目に遭《あ》わなければ良いがと心配する毎日になった。

 そんなある日、夜になっても父が帰ってこない。杞憂《きゆう》であってくれればと祈りながら、一家全員まんじりともしない夜が明けて、父がよろよろしながら帰ってきた。「やっぱりやられたよ」といって見せてくれる身体には全身にわたって黒い痣《あざ》と傷。
 母は薬箱から瓶に半分ほど残っているヨードチンキを取り出して手早く傷口に塗り、湿布薬はなかったから、手ぬぐいを濡《ぬ》らして腫《は》れ上がったところを冷やす。
 以前、母から「私は昔看護婦《=女性の看護士》だったのよ」と聞かされ、私たちには病気予防の心得」も厳しかったし、病気した時の看護はいつも手際が良くて感心していたが、この時の手当てもさすがはプロと思わせる技であった。
 「二~三時間樫《かし》の棒で殴られたが、日ごろから優しくしてやった人が側にいてくれたお陰で、大分手加減してくれたようだ。それでもこの有様だから、ひどかった人は半殺し状態だったよ」
 父は体格もよく、いつも「若い時は柔道で鍛《きた》えてあるから身体には自信がある」と言っていた通り確かに頑丈な身体の持ち主だったから、或いはこの程度で済んだのかとも考えられたが、とにかくひどい仕打ちだったことは間違いなかった。

 このような惨《むご》い仕打ちも10日ほどすると少しずつ下火になって、平穏な日々が戻ってきたかに見えた或る日、外でバリバリバリと機関銃らしき音がする。
 何事かと日本人会の人に聞くと、社宅の北側にロシア兵の宿舎ができて射撃の訓練をしているらしいとのこと。彼らが新義州《シンウィジュ》までいち早く進駐して来たことは知っていたが、この南楊市まで来ているとは想像もしていなかったから少なからず驚いたし、彼らが「野蛮」で「獰猛《どうもう》」と噂していただけに何をしでかすか怖くて不安だった。
 日本人会からも「できるだけ彼らには近づかないよう、少なくとも夜は外に出ないように」とのお達しが出て、夕食を早仕舞いすると家の中で息を潜《しそ》めて過ごす夜が多くなった。

 また略奪や強姦《ごうかん》の備えとして、特に女性は顔に墨を塗って髪の毛はわざともじゃもじゃにし、服装はもともとみすぼらしいものしかない上に更に男っぽい洋服を着込んで変装するから、家の中は恰《あたか》も男所帯の乞食小屋である。
 「こんな魅力のない女では向こうも愛想をつかして連れていく気にもならないよ」父も冗談めかして言ってはいるか、心穏やかならぬ様子。同居人の栗原さんはお世辞を交えながら真顔で「いや、地が良いからもっと黒く塗った方がいいでしょう」「やはり栗原さんは解っていらっしやる」大らかな母が言うものだから、つい私もつられて笑ってしまうが、やはり不安で一杯。

 通達が出て二~三日たった或る夜、その不安は現実に訪れた。
 「バリバリ」と機関銃(マンダリン)の音が遠くに聞こえたかと思うと、次第にロシア兵の大きな声が近づいてくる。
 「ダワイ・・・」、「ダワイ・マダム」、「ヤポンスキー・・・」三、四人連れ立っているようだ。
 父は奥の部屋の押し入れを開け布団を出して先ず姉を押し込み、母にも入るよう促《うなが》す。母は「私は大丈夫」、「いや入れ」と争う間もなく、その声は隣まできている。仕方なく姉だけを入れて前をその布団で慌しく覆《おお》い襖《ふすま》を閉めたとき、軍服を着た大男のロシア兵が二人、入り口の筵《むしろ》をかき分けて入ってきた。
 「ダワイ・・・」、「ダワイ・マダム」
 初めて聞くロシア語でよく解らないが、どうも「ダワイ」は「『くれ』、『出せ』」らしく、「マダム」は「女」を意味するようだ。
 一人はすぐ出ていったが、もう一人はしっこく「ダワイ・・・」「ダワイ・マダム」と繰り返しながら家の中を覗《のぞ》き込む。
 姉も心配だが、幸い上がりこむ様子もなく、父の後ろに隠れるように控えている母を一瞥《いちべつ》すると、「女」はいないと思ったか軍服の両袖をたくし上げ、右腕に二個左に三個の腕時計を見せて、これと同じ物を出せとの仕草。父が持っていた時計を差し出すと、ひったくるように受け取り、もう一度周りを見回して出ていった。

 外では他の兵隊と何やら大声で話し合っている様子。時折バリバリと銃声もする。
 隣も、その先の家も同じようにやられているようだが、泣き叫ぶ日本人の声が聞こえないのは、大きな乱暴がないと思われて少しホッとする。
 銃声とロシア語が聞こえなくなるのを持って、「もう大丈夫だ」と押人れの中の姉を引っ張り出す。数分間はただお互いに顔を見合わせるだけで声も出ない。とにかく生きた心地がしなかったとはあの時のことを言うのだろう。
 ようやく父が「腕時計一個で済んでよかった。未だ懐中時計かあるから不自由はないよ」、「それにしてもお母さんは女に見えなかったみたいだな。ハハハ」
と、未だ興奮している皆の気持ちを和らげるように言うのに、母も負けていない。
 「残念だったわ。墨は塗ってもこんな美人を見損なうとはね」
 何とか切り抜けた危機とはいえ、こんな会話ができるのも、毎日の苛酷《かこく》な生活で少しは腹も座ってきた証拠であったろう。しかし、私の身体には未だ震えが少し残っていて本当のところ怖かった。
 それにしても戦利品の腕時計を六個も身につけて得意になるなど、ロシア兵の程度の低さには驚いたし、こんな奴らに負けたとは信じたくもなかった。

 ロシア兵の襲撃はこの時の一回だけで済んだが、それも、略奪するにも日本人は碌《ろく》な物を持っていないと解ったらしきこと、更には日本人会の努力で「女子挺身《ていしん》隊」が結成され彼らの暴力の盾《たて》になってくれたことが、その理由であった。
 最初この聞きなれない「隊」の意味が、子供の私にはどうにも理解しかねたが、会事務所の裏側一角にある少し広めの家から女性の嬌声《きょうせい=なまめかしい声》が聞こえ、ロシア兵や女性が出入りするのを見かけると、怪しげではあるが何となくその意味も解ってきた。
 この挺身隊結成の裏でどのような動きがあったのか、当然秘密裡に進められたとは思われるが、女性はすべて日本人。大人達のひそひそ話には「素人もいるようだ」、「可哀想に」との言葉もあって何とも割り切れない気持ちにさせられた。
 ただ戦時中、新義州《シンウィジュ》あたりには歓楽街もあって、この種の女性が内地から渡ってきたことは想像に難《かた》くなかったし、終戦となって内地帰還もままならず残留せざるを得ない人たちであったろう。従って「素人」というのは当たっていなかったのかも知れない。
 一ケ月ほどでロシア兵が出没しなくなると彼女らもいなくなったが、その後この話題には誰も触れたがらず、私たちもロシア兵の乱暴がなくなってホッとしながら忘れてしまった。それにしても、日本人会の中に知恵者がいて考え出した窮余《きゅうよ=くるしまぎれ》の一策とはいえ、彼女たちが我々を救ってくれたのは事実であって、感謝しなければ罰が当たるという気持ちは今でも消えない。勿論彼女達が無事に帰国できたかどうかも不明のままである。

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編集者 (代理投稿)

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