チョッパリの邑 (8) 椎野 公雄
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チョッパリの邑 (1) 椎野 公雄 <一部英訳あり> (編集者, 2007/4/28 7:38)
- チョッパリの邑 (2) 椎野 公雄 (編集者, 2007/4/29 7:43)
- チョッパリの邑 (3) 椎野 公雄 (編集者, 2007/4/30 6:49)
- チョッパリの邑 (4) 椎野 公雄 (編集者, 2007/5/1 7:21)
- チョッパリの邑 (5) 椎野 公雄 (編集者, 2007/5/2 8:31)
- チョッパリの邑 (6) 椎野 公雄 (編集者, 2007/5/3 7:38)
- チョッパリの邑 (7) 椎野 公雄 (編集者, 2007/5/4 8:37)
- チョッパリの邑 (8) 椎野 公雄 (編集者, 2007/5/5 7:51)
- チョッパリの邑 (9) 椎野 公雄 (編集者, 2007/5/6 8:12)
- チョッパリの邑 (10) 椎野 公雄 (編集者, 2007/5/7 7:47)
- チョッパリの邑 (11) 椎野 公雄 (編集者, 2007/5/8 7:46)
- チョッパリの邑 (12) 椎野 公雄 (編集者, 2007/5/9 5:57)
- チョッパリの邑 (13) 椎野 公雄 (編集者, 2007/5/20 10:17)
- チョッパリの邑 (14) 椎野 公雄 (編集者, 2007/5/21 9:32)
- チョッパリの邑 (15) 椎野 公雄 (編集者, 2007/5/22 8:44)
- チョッパリの邑 (16) 椎野 公雄 (編集者, 2007/5/23 8:05)
- チョッパリの邑 (17) 椎野 公雄 (編集者, 2007/5/24 7:23)
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- チョッパリの邑 (19) 椎野 公雄 (編集者, 2007/5/26 6:51)
- チョッパリの邑 (20) 椎野 公雄 (編集者, 2007/5/27 7:27)
- チョッパリの邑 (21) 椎野 公雄 (編集者, 2007/5/28 7:07)
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- チョッパリの邑 (24) 椎野 公雄 (編集者, 2007/5/31 15:39)
- チョッパリの邑 (25) 椎野 公雄 (編集者, 2007/6/1 7:56)
- チョッパリの邑 (26) 椎野 公雄 (編集者, 2007/6/2 6:56)
- チョッパリの邑 (27) 椎野 公雄 (編集者, 2007/6/3 7:22)
- チョッパリの邑 (28) 椎野 公雄 (編集者, 2007/6/4 7:19)
- チョッパリの邑 (29) 椎野 公雄 (編集者, 2007/6/5 8:04)
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- チョッパリの邑 (31) 椎野 公雄 (編集者, 2007/6/7 7:39)
- チョッパリの邑 (32) 椎野 公雄 (編集者, 2007/6/8 8:21)
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- チョッパリの邑 (34) 椎野 公雄 (編集者, 2007/6/10 8:08)
- チョッパリの邑 (35) 椎野 公雄 (編集者, 2007/6/11 7:53)
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- チョッパリの邑 (37) 椎野 公雄 (編集者, 2007/6/13 7:15)
- チョッパリの邑 (38) 椎野 公雄 (編集者, 2007/6/14 7:59)
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チョッパリの邑 (39) 椎野 公雄 (編集者, 2007/6/15 7:52)
- チョッパリの邑 (40) 椎野 公雄 (編集者, 2007/6/16 8:46)
- チョッパリの邑 (41・最終回) 椎野 公雄 (編集者, 2007/6/17 7:27)
編集者
居住地: メロウ倶楽部
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キムチ
九月も末になると、冷たい北西の風が吹き始め、長く寒い冬の走りがやってきた。
朴さんが「そろそろキムチ漬けなくては」といって白菜、大根、葱《ねぎ》、などの野菜に、グチ、烏賊《いか》、牡蠣《かき》、小海老、アミなどの魚介類、そして真っ赤な粉唐辛子《こなとうがらし》をいっぱい買ってきてくれて、キムチ作りが始まった。
朝鮮では、このキムチが食卓には欠かせない食べ物、自前で作るから当然のことながら家毎に味が違う。
朴さんは、「牡蠣《かき》とアミを入れなけれパ美味しくないよ」、「一冬分作るから甕《かめ》三つは必要ね」といいながら、「こうやって作るんタ」と先ず自分で最初の甕半分ほどを漬け込み、あとは母と私たち子供が、見よう見真似で作業し半日がかりでようやく漬け終えた。
「さあ、これを地中に埋めるんタ。ポク穴掘って」朴さんに指示されるままに甕《かめ》がすっぽり入る穴を三つ庭先に堀り、これを埋め込んで完成。
「きっと美味しいよ」と彼も満足げであった。
作ったキムチは一ケ月もすると食べられるようになったが、凍りついた土を掘って取り出したキムチは氷がついてシヤキシヤキと音がして、何とも言えぬ味わいになっていた。
こうして北朝鮮の冬が始まったが、十月には氷が張り、一月から二月の真冬には寒風も手伝って零下三〇度にもなる酷寒、翌年三月までは冷蔵庫の中で生活していると言ったらいいだろうか。南国・鹿児島で生まれ育ち、神岡でもその寒さを経験しなかった身には、この最初の一年は堪《た》えた。
十一月も末、やがて師走を迎えようという頃になると、寒風が肌に突き刺さるように吹き始め、気温も次第に下がって零下一〇度を超す日が多くなってきた。
家の周りの水溜りや池はもとより道路も固く凍《い》てついて、朝の登校には重たい防寒靴が滑らないように、一歩一歩気をつけて歩かなければならない。
とにかくその寒さは尋常《じんじょう》ではなく、学校の行き返りは勿論、冬場の外出には、靴のほかにも綿の入った上着に毛皮の帽子、ドーナツのような形をした耳覆い、それに手袋は必需品で、外気に触れているところは顔だけという物々しい姿になる。
また外から帰って、つい手袋を取ってドアノブを握ると最悪の事態となる。その時は暫《しばらく》くジッと握ったまま体温で金属が温まるまで持っていなければならない。
最初のうちは、「そんなこと」と思いながら随分失敗もしたが、だんだん慣れて危険を回避する術を憶え不手際も減っていった。
しかし外はどんなに寒くても、家の中に入るとオンドルもあって暖かく、何とか普通の生活は保たれる仕組みができていた。生活の知恵とは良く言ったものである。とはいえ、オンドル部屋以外の朝晩の室温は零下まで下がり、朝起きての仕事は先ずお湯を沸かし、凍りついて水の出なくなった水道にこれを掛けること。顔を洗おうと思って下手に洗面器に触ろうものなら手に付いて離れなくなる。指一本でも持ち上げることができた。
次がトイレ。汚い話だが、汲み取り式の便所は排泄《はいせつ》したものが日に日に積もって、あたかも鍾乳洞《しょうにゅうどう》の石筍《せきじゅん=鍾乳洞の床上にできたたけのこ状の突起物》のように育ち、次第にわが身に追ってくる。頃合をみて外から棒で突っついて壊さなければならないが、男の仕事としてよくやらされたものだ。壊した汚物《おぶつ》は掻《か》きだして篭《かご》に入れ、裏の畠に肥料として持って運ぶ。しかし不思議なもので凍った汚物は臭いがなく、楽しくはないが決して苦痛ではなかった。
九月も末になると、冷たい北西の風が吹き始め、長く寒い冬の走りがやってきた。
朴さんが「そろそろキムチ漬けなくては」といって白菜、大根、葱《ねぎ》、などの野菜に、グチ、烏賊《いか》、牡蠣《かき》、小海老、アミなどの魚介類、そして真っ赤な粉唐辛子《こなとうがらし》をいっぱい買ってきてくれて、キムチ作りが始まった。
朝鮮では、このキムチが食卓には欠かせない食べ物、自前で作るから当然のことながら家毎に味が違う。
朴さんは、「牡蠣《かき》とアミを入れなけれパ美味しくないよ」、「一冬分作るから甕《かめ》三つは必要ね」といいながら、「こうやって作るんタ」と先ず自分で最初の甕半分ほどを漬け込み、あとは母と私たち子供が、見よう見真似で作業し半日がかりでようやく漬け終えた。
「さあ、これを地中に埋めるんタ。ポク穴掘って」朴さんに指示されるままに甕《かめ》がすっぽり入る穴を三つ庭先に堀り、これを埋め込んで完成。
「きっと美味しいよ」と彼も満足げであった。
作ったキムチは一ケ月もすると食べられるようになったが、凍りついた土を掘って取り出したキムチは氷がついてシヤキシヤキと音がして、何とも言えぬ味わいになっていた。
こうして北朝鮮の冬が始まったが、十月には氷が張り、一月から二月の真冬には寒風も手伝って零下三〇度にもなる酷寒、翌年三月までは冷蔵庫の中で生活していると言ったらいいだろうか。南国・鹿児島で生まれ育ち、神岡でもその寒さを経験しなかった身には、この最初の一年は堪《た》えた。
十一月も末、やがて師走を迎えようという頃になると、寒風が肌に突き刺さるように吹き始め、気温も次第に下がって零下一〇度を超す日が多くなってきた。
家の周りの水溜りや池はもとより道路も固く凍《い》てついて、朝の登校には重たい防寒靴が滑らないように、一歩一歩気をつけて歩かなければならない。
とにかくその寒さは尋常《じんじょう》ではなく、学校の行き返りは勿論、冬場の外出には、靴のほかにも綿の入った上着に毛皮の帽子、ドーナツのような形をした耳覆い、それに手袋は必需品で、外気に触れているところは顔だけという物々しい姿になる。
また外から帰って、つい手袋を取ってドアノブを握ると最悪の事態となる。その時は暫《しばらく》くジッと握ったまま体温で金属が温まるまで持っていなければならない。
最初のうちは、「そんなこと」と思いながら随分失敗もしたが、だんだん慣れて危険を回避する術を憶え不手際も減っていった。
しかし外はどんなに寒くても、家の中に入るとオンドルもあって暖かく、何とか普通の生活は保たれる仕組みができていた。生活の知恵とは良く言ったものである。とはいえ、オンドル部屋以外の朝晩の室温は零下まで下がり、朝起きての仕事は先ずお湯を沸かし、凍りついて水の出なくなった水道にこれを掛けること。顔を洗おうと思って下手に洗面器に触ろうものなら手に付いて離れなくなる。指一本でも持ち上げることができた。
次がトイレ。汚い話だが、汲み取り式の便所は排泄《はいせつ》したものが日に日に積もって、あたかも鍾乳洞《しょうにゅうどう》の石筍《せきじゅん=鍾乳洞の床上にできたたけのこ状の突起物》のように育ち、次第にわが身に追ってくる。頃合をみて外から棒で突っついて壊さなければならないが、男の仕事としてよくやらされたものだ。壊した汚物《おぶつ》は掻《か》きだして篭《かご》に入れ、裏の畠に肥料として持って運ぶ。しかし不思議なもので凍った汚物は臭いがなく、楽しくはないが決して苦痛ではなかった。
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編集者 (代理投稿)