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チョッパリの邑 (30) 椎野 公雄

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通常 チョッパリの邑 (30) 椎野 公雄

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/6/6 7:43
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 
 拾った命:此処は何所?

 翌朝は前日の台風が嘘《うそ》のような快晴。見回すと我々がいるもう少し先に大きな船が数隻停泊《ていはく》している港がもう一つ見える。船長に聞くと、「あれが南浦《ナムポ》港だ」という。つまり私達は南浦ではあるがどうやら鎮南浦《チンナンポ》というところにいるらしい。
 多獅島を出る時、新安州、漢川、南浦あたりは沖合いを通ると思っていたが、時化でやむを得ず鎮南浦に立ち寄ったということのようである。この地名は以前父からも「北朝鮮でも有数の工業地帯で日本人もたくさんいる」と聞いたことがあった。

 因みに北朝鮮には日本海側に北から羅津(ラジン)、清津(チョンジン)、興南(フンナム)、元山(ウオンサン)の外港かあるが、黄海側は北から龍岩浦(ョンアムポ・多獅鳥)、新安州(シンアンジュ)、南浦(ナンポ)、海州(ハエジュ)の港があっても大きな外港は南浦と海州のみで、中でも平壌《ビョンヤン》の南を西へ流れ下る大同江(テドンガン)下流にある南浦(ナンポ)は平壌を控えているだけに最も大きく、中国(大連・上海)、東南アジア、中東、アフリカ、ヨーロッパ、日本を結ぶ航路の玄関口にもなっている。

 終戦前はこの地に日本鉱業南浦精錬所、朝鮮朝日軽金属岐陽工場、朝鮮製鉄大安電気精錬工場、三菱製鋼降仙電気精練工場などがあったほか、近くの松林(ソンニム)には日本製鉄兼二浦製鉄所、またすぐ南の沙里院《サリウォン》には紡績・肥料工場、鳳出には朝鮮浅野セメント鳳出工場などがあって、この一帯だけでも日本人の工場関係者は一万人近くいたと思われ、その他の人達を入れると数万の日本人が住んでいたのではないだろうか。

 ただ私達が寄港したこの頃に、これらの日本人がどうなっていたのか全くわからなかった。我々のいた新義州《シンウィジュ》に比べれば三十八度線にも近く、早い時期に相当数の人が正規なルートで引揚げたのではないかとも思われたし、あとに残された人達にとっても、私達と同じように船で脱出することは比較的容易だったのではなかろうか。しかし後になって聞く話では、南にいた人達も東側を含め多くの人が難渋《なんじゅう》しながら陸上を歩いて越えたともいわれ、或いは未だかなりの人達が残留していたのかも知れなかった。

 ここがその「鎮南浦」と暫く港の様子を眺めていると、昨日の警備艇が再び寄ってきて、こちらの船に接舷《せつげん》したまま彼ら同士で何事かを話し合っている。話し終わると警備艇が先導する形で、夕べ離れてしまった後船のところへ行こうと動き出した。
 突堤を出ると、少しいったところに二隻の船が間隔をおいて錨《いかり》を下ろし静かに停泊している。

 近づいていくと夫々気が付いたか何人かが甲板で手を振っている。 「おーい、大丈夫だったか!」、
 「お互いに助かって良かったな」
 着船すると私は降ろされた梯子《はしご》を駆け上った。
 引き上げてくれた人達は皆疲れた顔をしながらも、恐ろしかった昨日の出来事を忘れたかのように笑顔で出迎えてくれる。さながら凱旋《がいせん》が将軍を迎えるが如き扱いで、私としては多少気恥ずかしい。
 「昨日は本当にどうなるかと思ったけど、無事で何よりだった。怪我は無かったか?」甲板上で迎えてくれた父が「悪かったな」という言葉を押し殺して労《いたわ》ってくれる。

 船艙に降りると中では散乱した物を片付ける人がいるかと思うと、未だぐったり横だわっている人達もいる。その傍らで、母や姉、弟がニコニコしながら待ち受けてくれていた。
 「それにしても恐ろしかったね。どうなることかと思ったけどお互いに無事で良かった」、「お腹も空いてるでしょう。何か食べる?といってもトウモロコシのパンが少しあるだけだけど」、母が気遣ってくれる。
 差し出されたパンを皆で分け合い口に入れると、同じものをくれた船長の顔や怖かった昨日の出来事がすべて甦《よみがえ》ってくる。「死ぬかも」、「皆にもう会えないかも」と思ったことが夢のようだ。
 「もう二度とあんなことはさせないから」母の言葉は毅然《きぜん》としていて、暖かく真実の気持ちが込められていた。

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編集者 (代理投稿)

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