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チョッパリの邑 (2) 椎野 公雄

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通常 チョッパリの邑 (2) 椎野 公雄

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/4/29 7:43
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 昭和十八年・朝鮮半島への旅立ち・その1
 
 身体に伝わるかすかなエンジンの響きと、船側に砕《くだ》ける波しぶきの音が、外の暗さを一層引き立てるなか、慌しかった今朝からの汽車の旅と、さらに続く明日の旅を思いながら、二等船室のベッドの上で私は不安と期待を交錯させていた。
 下関の港を夜中少し前に出た「興安丸」は一路釜山《プサン》に向けて順調に進んでいるらしい。
 「今日は疲れたろう。明日もあることだから、早く寝なさい」と、父の声。
 昭和十八年のこの頃には戦局もかなり思わしくない状況になって、日本近海にもアメリカの潜水艦が出没し始めており、「船舶の航行には哨戒機《しょうかいき》や艦船の護衛が付いてくれている」との情報も、かえって私たちの不安を掻《か》きたてる。
 そんな様子を察してか、父が続ける
 「海軍はちゃんと護ってくれるから大丈夫だよ」
 四歳の弟は既にぐっすり寝込んで、起きているのは両親と姉、私の四人。
 船が沈没するかも知れないという不安とともに「こんな時期に日本を離れ、見知らぬ外地で無事に生活できるのだろうか」、皆一様に同じことを考えているらしく、つい言葉も途切れがちになって、静かな船室にはエンジンと波しぶきだけが不気味に響いてくる。

 思えば私たちのこの旅立ちはまことに急であったし、私自身が知ったのは七月末、学校も夏休みに入って間もない頃であった。
 その年の春、父が三井鉱山串木野《くしきの=鹿児島県西部の市》鉱業所から神岡《かみおか=岐阜県北部》鉱業所に転勤になり、私も生まれて初めて転校を経験したばかり、ようやく山の生活にも慣れて戦時中とはいえ私たちは穏やかな毎日を送っていた。
 九州の南端、暖かくのんびりした鹿児島県串木野で生まれ、小学校にあがった年の瀬に太平洋戦争が始まったが、初めのうちは毎日「勝った、勝った、また勝った」と日本全体が戦勝気分に沸いていた戦争も次第に様相が変わり、前年、つまり昭和十七年の四月にはB-25爆撃機十六機による本土空襲、六月になるとミッドウェー海戦での大敗北、そしてこの年の二月、ガダルカナル島《南太平洋ソロモン諸島》が陥落《かんらく》するなど急に悪い情報が多くなって、国民の気持ちの中にも少しずつ不安が生まれ始めていた時である。
 「これからは、戦争に勝つためにも鉛と亜鉛《あえん》が重要なんだ」と父がいい、子供心に「そんなものか」と連れてこられた神岡だったが、私はこの町が気に入っていた。
 岐阜県吉城郡神岡町は高山本線猪谷駅から神岡鉄道で三十分程入った山の中、そこに神岡鉱業所があり、会社から十分のところに社宅、学校(船津国民学校)があった。
 神通川の上流に沿って北側に、日本有数の鉛・亜鉛を産出する鉱山、南側には街が開けて、とても山の中とは思えぬ賑《にぎ》わいを見せていた。
 冬は雪に閉ざされ身勤きもとれないが、新緑から夏の間は天国に一変する。川には清流が流れ、鮎《あゆ》がよく獲れた。水泳を憶えたのもこの川である。
 夏祭りには夜半まで四方の山に木霊《こだま》する笛・太鼓・鉦《かね》の音が心を浮き立たせた。
 食べ物ではアケビや山葡萄《やまぶどう》など山の産物のほか、細長い富山西瓜も美味しかったし、イースト菌の香りが強く香ばしい食パンも、そろそろ手に入り難くなっていたバターを塗ると更に味わいが深まり、こんな美味しいものがあるのかとビックリしたものである。
 そんな生活を送っていたある日、川遊びから帰ると、いつもより早く帰宅して来た父をまじえての夕食となって、唐突に父が切り出した。
 「今日、今度朝鮮に出来た会社に行くように言われたので、皆もそのつもりで」。
 母も初めて聞かされたようで「何時ですか。それにしても急な話だけど、場所は何処ですか」と問いかけると「行く所は北朝鮮の新義州《シンウィジュ》。向こうも急いでいるようだし、九月中旬までには着任しなければならないだろう」との答えである。
 ここに来て未だ半年、ようやく落ち着いたばかりで、母が「急な話」というのも頷《うなづ》けることだ。
 「アルミニウムを作る会社で、戦争には亜鉛と同じように大事なものだよ。ちょっと遠いけど社命だからな」
 父も、「やむを得ないことだから我慢して付いて来てくれ」との言葉を飲み込みながら、私たちを納得させるように呟く。
 もともと呑気《のんき》で太つ腹な母も、静かになった。
雰囲気を明るくさせるように「今は外の方がかえって安心かも知れないし、きっとよいところよ」母の言葉で父も安心したようであった。

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編集者 (代理投稿)

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