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チョッパリの邑 (31) 椎野 公雄

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通常 チョッパリの邑 (31) 椎野 公雄

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/6/7 7:39
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 解放され、再び洋上へ

 暫く、苦しんだ台風の話を皆でしていたが、父は呼ばれて甲板に上がって行った。帰ってくるや、「タグ《曳き船》はここまでで、これからは機帆船《きはんせん=発動機つきの帆船》二隻の単独航行になる」、更に「男性が一隻に、老人・子供を含む家族はもう一隻に分乗することになった」という。

 父の話では「直接話したわけではないから理由はよく解らないが、聞くところ南浦《ナンポ》の官憲が言うには『日本人の南鮮への渡航は公式には許可されない』、しかし『非公式ながら新長州で許可され此処《ここ》に至った経緯を勘案し、家族については改めてこれを許可する』、また『男性については本来許可し難いが、最初から同行していなかったものとしてこれを見逃す』ということになったようだ。ついては別々の行動としてこれを認めるので、速やかに船を乗り換えて出港せよとのことだ」との説明である。

 先ほど、沿岸警備艇・タグの両者で何やら話し合ったあと、二人の隊員が私と一緒にこちらに乗り移り、船員や日本人数名と話をするのも見ていて、何かあるなとは思っていたが、少なくとも「拿捕《だほ=とりおさえられる》」という最悪の事態が避《さ》けられたことは幸いというほかなく、取りあえずはホッとする。
 実際のところ、タグの船員にしてみれば曳航《えいこう》は「コリゴリ」との気持ちもあったろうし、官憲としても「これだけの大人数を抱え込むのも大変。逃がすのならいち早く逃がした方が良い」と判断したのではなかったろうか。

 早速父達は手荷物を持って向こうの船に、また向こうの家族は荷物を纏《まと》めてこちらに乗り移ることになって、慌しく移動が始まった。ただ家族が一つの船にといっても、船員二人を除けば男手は子供の私達だけでは不安があるとして、監督役に五人がこちらに残されたが、父と離れることになった私達としてはこの五家族が羨《うらや》ましかった。
 こうして小一時間で移動も完了し、同じ大きさの船ながら、男船には約六〇人、家族船には一二○人ほどが乗って、鎮南浦《チンナンポ》をあとに再び南に向けての船旅が始まった。

 昼過ぎには外洋に出たものの、彼らが許可した条件に従って、私達の家族船は沿岸部を公然と航行できるが、父達の船は可能な限り隠密裏《おんみつり》の行動を取らねばならない。従って警備艇に見つからない程度の沖合いを進むことになり、その姿は次第に小さくなっていった。

 暫くはお互いに見え隠れする距離で並行して走っていたが、昼を過ぎる頃から又もや低気圧でも接近しているのか天候が悪化、風波も強くなって船の揺れも大きくなると、時として向こうの船影も視界から消えることが多くなり、夕方にはとうとう見失ってしまった。
 未だ昨日の悪夢が冷め切っていない私達には、男親が側にいないということはこの上なく心細く、船内は自然に言葉数も少なくなって重苦しい雰囲気が漂《ただよ》ってくる。
 「お父さん達は何処かへ連れていかれたんじやないだろうね」
 ポツリと呟《つぶや》く母の言葉に、「そうか。そんなこともあり得るのか」と、彼らの条件が不思議だっただけに私にも不安がよぎる。
 「連れていかれる」としても、男手相手に朝鮮人の船員の意思だけではそういう事態もあり得ないし、やはり警備艇に拿捕《だほ》されたのかも、と思ったりする。しかしどうすることもできないので、気がかりながら窮屈《きゅうくつ》な船舶で一夜を過ごすよりなかった。
 
 不安な夜が明けると甲板に出た一人が大声で叫んでいる。
 「もう一隻の船が見えるぞ!」私も大急ぎで甲板に駆け上がり見つけた人の指差す方に目をやると、確かに昨日別れた父達の乗る船が見える。こちらも陸地をかなり離れているから大海原に二隻が偶然に出会った恰好《かっこう》、これはもう奇跡としか言いようがない。未だだいぶ遠いが向こうも気がついたとみえて次第に近づいてくる様子。三〇分もしないうちにお互いの顔が確認できる所まで接近し、その中にニコニコする父の姿もあった。

 しかし出会ったといっても、また前のように乗り換えることもできないから、そのまま並走《へいそう》して南下するしかないが、とにかく別々の船ではあっても、父親が無事に、しかも元気ですぐ側にいてくれることが私には嬉《うれ》しかったし他の家族も恐らく同じ気持ちであったろう。

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編集者 (代理投稿)

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