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チョッパリの邑 (28) 椎野 公雄

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通常 チョッパリの邑 (28) 椎野 公雄

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/6/4 7:19
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 次なる地獄に向けて出航

 帆を降ろした二隻の船は10センチ程のロープで繋がれ、更にその先を三〇トン程のタグボートが曳航《えいこう》する姿になっている。曳《ひ》かれる船には夫々《それぞれ》朝鮮人の船員が二人ずつ乗り、タグには操舵室《そうだしつ》、甲板、機関室に各一人の計三人、合計七人の船員によって船団は動かされるようである。
 舫《もやい》が解かれ船が岸壁を離れたのは、もう夜半に近かった。
 とにかく公式に認められていない移動、いわば集団脱走である。周囲に知られず密かに行動しなければならないから、タグの汽笛が小さく鳴っただけで静かに動き出した。

 事前の注意で「これから目的地の仁川《インチョン》までの航海日数は四日ほどです。しかし、あくまでも秘密の行動ですから、船も注意深く航行しますが、皆さんも目立たないようにできるだけ船艙《せんそう=貨物を積むところ》にいるよう心がけて下さい」、「大きな船ではないので、安全を考慮して昼間は少し沖に出ますが夜間は沿岸部を南下する予定です」、「この付近の沿岸警備艇は船団の航行は承知していますが、管区が違う所まで行くと不審船として臨検《=国際法上の立つ入り検査》されることがあるかも知れません」と聞かされ凡《およ》その旅程は理解していたが、脱走者としては何時、何処に危険があるか判らないから用心するにこしたことはない。未だ多獅島港内だというのに、裸電球が数個ついている薄暗い船艙でみな息を殺し、身を縮めるしかなかった。
 外は「ポン・ポン・ポン」とタグボートの焼玉エンジン音、曳かれている私たちの船の「ギイ・ギイ」とかすかに軋《きし》む音がするだけで、未だ波しぶきは聞こえない。
 乗船後すぐ、夫々に朝作ったもので夜食は済ませていたから、昼間の旅で疲れた身体には忽《たちま》ち眠気が襲ってきた。
 船の揺れと周囲の気配で目を覚ますと、ハッチの隙間《すきま》から外の明るさが感じられる。
 どうやら無事に朝が来たようだ。小用をもよおし甲板に出ると既に数人が順番を持って並んでいた。便所は後部にある小さな船員用の小部屋に一つ付いているほか、急遽《きゅうきょ》船側からはみ出すような形で作られたシート張りの簡易便所が二つあって、こちらは主に男性が使用することになっているらしい。順番を待ちながら周囲を見回すと、今どの辺かはわからないが少し曇った空の下に二つ、三つ島影が、更に島の向こうには陸地までが見える。
 「夜間はできるだけ沿岸を」と言われた通り、夕べはあまり沖には出なかったようだ。暫く持って順番がきたので、少し風もあって揺れる手摺《てすり》を片手で持ち、おそるおそる用をたし終えた。
 側の水桶・数個には貴重な水と、洗い物用の海水が汲んで置いてある。勿論水は飲食用だから、海水で手と顔を洗って船艙に戻る頃には、船酔いしたか体調を崩したかで横になっている人を除いて、もう殆《ほとん》どの人が目を覚まして起き上がり、陸地を離れた安堵感《あんどかん》からか隣近所笑顔で話し合っている。
 隅の方では未だ言葉も言えない小さな子供の泣き声が聞こえ、「お父さんオシッコ」と大きな声を出す子もいて、夕べ乗り込んだ時にはシュンとしていた船舶も今朝は賑《にぎ》やかである。
 小学校一年の弟も父に連れられて便所へ、母と姉は「食事の支度でもしましょうか」と甲板に上がっていく。食事といっても昨日のおにぎりや団子などは未だ少し残っているし、トウモロコシなど茄《ゆ》でたものは火を通すまでもない。干飯(糒《ほしい》)はもう少し経って食べればいいから、結局甲板に用意された水を少し分けて貰《もら》い、七輪《=こんろのひとつ》でこれを沸かしてきて手持ちの食料を並べるだけのことだ。お湯を沸かす人が多かったとみえて三〇~四〇分かかって降りてきた。

 食事を済ますとあとはすることもなく、甲板に上がってぼんやりと少しずつ景色が変わっていく様子を眺めるだけ。
 私たちの船は多獅島から出て、最初は黄海北部、朝鮮半島を東へ押しやるように広がった西朝鮮湾を南下し椴島(カド)、大和島(テファド)、身彌島(シンミド)を東に回りこんだ後、新安州(シンアンジュ)から南下し、漢川(スンチョン)、南浦(ナンポ)、椒島(スクド)の沖を通って、長山串(チャンサンゴ)を回り込み大東湾(テドンマン)に入って更に南下、巡威島(スンウィド)、大延平島(テョンピョンド)沖を東に回って南鮮の京畿湾(キョンギマン)に入り仁川(インチョン)までというのがその航路である。
 距離にして四〇〇キロ以上はあったと思われ、新安州《シンアンジュ》あたりを除けば多くの島や岬を縫うように走らなければならない。
 椴島、大和島から身彌島などの島々を抜け、曇ってはいるか穏やかな航海で新安州沖に達したのはもう夕方近くであったろうか。途中周りに漁船の姿もあったが、脱走者の私達もできるだけ彼らの目につかないようにしていたから、貨物運搬と思ったか何の不審も抱かれず一日目の船旅は無事に過ぎて夜もふけていった。
 

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編集者 (代理投稿)

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