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チョッパリの邑 (9) 椎野 公雄

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通常 チョッパリの邑 (9) 椎野 公雄

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/5/6 8:12
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
9
 初めて迎える半島の正月

 寒さに向かってスタートしたこの地の生活も三ケ月が過ぎて、朝鮮での初めての正月がやってきた。
 その頃、南太平洋での戦争もギルバート諸島(タラワ・マキン島)がアメリカ軍に占領され、次いでマーシャル諸島の日本軍は全滅、トラック諸島《現チューク諸島》にあった日本連合艦隊司令部も西のパラオに拠点を移すなど、後退一途であったが、ラジオで聞く大本営発表は、いつも「我が方の損害軽微」、「帝国陸海軍は戦力を結集して敵を撃退」と報ずるばかり。
 父の工場も、操業開始後まもなく戦局悪化に伴い南洋からの原料・ボーキサイトが不足したため、効率の悪い瀝頁クリンカーヘ原料転換を余儀なくされるなどの理由もあって、アルミニウムの汲み出し量が予定を大きく下回っていた。
 勿論、父もそんなことを家族に告げることもなかったから、私たちは戦争も工場も順調と受け取って、のんびりした毎日を送っていたのである。
 その頃の日本内地では、戦争が激化する中で物資の不足が日立ち、既に太平洋戦争の初期から実施されていた経済統制も更に厳しくなって、食糧や衣料など生活物資の配給も物によっては遅配になったり、手に入り難いものは「代用品」を食べたり使ったりしていたが、ここ朝鮮では配給制度はあったものの物資は比較的潤沢《じゅんたく=十分ゆとりのある》で、正月の食卓にはいつも通り、母手作りの雑煮やおせち料理が並んだ。ただ一つ違ったのはキムチが一品加わったことであった。
 
「おめでとう。こうして朝鮮で正月を祝うとは思わなかったけど、みな元気で新年を迎えることができて何よりだ」
 父の正月恒例の一声も、感慨深げである。
 「この四月から、満智子は新義州の女学校、公雄も四年生になるな。みな頑張って勉強するように」、そして「こんなご馳走が食べられるのは、戦地で戦っている兵隊さんのお陰だ」。
 それまでは「兵隊さん」と「お百姓さん」だったが、それもやはり不安な戦況がいわせていたのかも知れなかった。

 「でも、この鶏肉は美味いな」。
 父が言う鶏とは、ここに来てすぐ小屋を作って飼い始めた鶏で、正月月に二羽、私が生まれて初めて絞《し》めたものである。
 勿論、牛も豚も多少なら手に入り、朝鮮人が好んで食べる犬も朴さんに頼めば何とかなるが、蛋白源としては鶏が最も手ごろで美味しいから、社宅でもあちこちで飼われていた。
 他所で見憶えた方法でやった結果が上手くいったのを、父が誉《ほ》めてくれたのである。
 そして鶏係りはその後もずっと私の役回りとなったが、ある時は絞めて包丁を入れた途端に走りだし、その後はつくづく殺生は嫌だと思いながらも、食べるためには仕方がないと鶏に因果を含めながら「作業」するよりなかった。
 鶏ばかりでなく、「お前は男だからお母さんをちゃんと手伝うんだよ」と父に言われ、家の中の力仕事や、春・秋の畑仕事はよくやらされたが、これが後々大変役に立つことなど、その時は知る由もなかったのである。

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編集者 (代理投稿)

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