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チョッパリの邑 (34) 椎野 公雄

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通常 チョッパリの邑 (34) 椎野 公雄

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/6/10 8:08
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 
 夢にまでみた安全の地・仁川《インチョン》

 こんな悲しい出来事が続いたあと、船は何とか順調に進んでいるが、とにもかくにも一刻も早く南の領海に入ってくれることを祈るしかない。

 希望と不安でまんじりともしない夜が白々と明け、向こうに幾つかの島影が見える頃、一人が大きな声で叫んだ。
 「警備艇らしい船が近づいてくるぞ!」、
 「気をつけろ!」といいながら何人かが甲板に駆け上がる。
 「また北の警備艇に捕まるのか」と私達も船内で息を潜《ひそ》めていると、間もなく「どうも南の船らしい」との声。私も急いで上に出て様子を窺《うかが》うと、近づいてくる船には見覚えた北の国旗とは別の旗がはためいている。どうやら私達は無事に三十八度線を越え夢にまで見た南に着いたようだ。

 お互いに速度を落とし接舷《せつげん》した南鮮の警備艇から二人の隊員がこちらに乗り移ってきた。
 「日本人か?」 流暢《りゅうちょう》な日本語で尋ねる顔にも穏やかな笑みがある。
 こちらの代表者が我々一団の概要と、ここまできた経緯を説明すると、「解った。大変な苦労をされたと思うが、もう安心して下さい。諸君の身柄は米軍に引き渡すことになるが、詳細は追って通知します」、「病人など緊急に処置が必要な人は申し出て下さい。若干の食料、水など後ほど補給に来ます」と言うと下船し離れていった。

 「やったぞ!」、「我々は漸《ようや》く自由になったんだ」、「バンザイ!バンザーイ!」
 みな今の気持ちをどう表現したら良いのかなど考える余裕もなく、ただただ大声で叫び、手を取り合い肩を抱き合って、無邪気に喜びを分かち合っている。傍らでは呆然《ぼうぜん》と立ちすくみ涙を流している人もいる。私達家族もその輪の中で「良かった、良かったね」と顔を見合わせて喜びを確認し合う。

 両船は島陰に錨《いかり》を降ろし、元の船への乗り換えが始まり、父も久しぶりにこちらへ乗り移ってきた。
 「皆よく頑張ったな」、三日振りに間近で聞く父の声は張りがあって頼もしかった。
昼を過ぎるころ、先はどの警備艇がトウモロコシや黍《きび》パン、水などを積んで持ってきてくれた。考えてみると、この一日半何も食べていない。怖さと、その後の喜びで空腹も忘れていたが、分配された食べ物は瞬《またた》く間に我々の胃の腑《ふ=いぶくろ》に納まった。

 「諸君は明朝仁川《インチョン》への上陸が許可されたので、今晩はここで留まるように」警備艇は、そういい残すとまた港へ引き返していった。

 明日以降のことは、ただ「上陸させる」と言われただけで、どんな処遇を受けるのか、日本への正式帰還はどうなるのか今のところ全くわからない。しかし船の中にはようやく訪れた「安全」を噛みしめながら、今までの苦労が嘘だったかのように静かで平和な時が流れているのは確かであった。

 夕闇が迫る頃、私は外の気配を確かめたくなって一人で甲板に上がった。
 見回すと島陰と水のみで、仁川の港は未だ見えないから、恐らくは京畿《キョンギ》湾に浮かぶ永宗(ヨンジョン)島あたりにいたのではなかろうか。多獅島を出てちょうど一週間、台風さえなければもう少し早く着いたであろう南朝鮮の風景は、穏やかで、空気すら自由に吸える感じがする。船室から聞こえる笑い声を聞きながら、私は遠く苦しかった旅の全てを吐き出す思いで、二回、三回と大きく深呼吸した。


 翌朝は良く晴れて空気も気持ちも清々しい。
 九時頃だったろうか、昨日の警備艇が曳き船を一隻従えてやってきて「これから仁川まで曳航《えいこう》する」という。多獅島を出た時と同じように二隻は繋《つな》がれて静かに動き始める。
小一時間もすると辺りの船数も増えて待望の仁川港が見えてきた。

 港内の所定の場所に着船しようとする時、私は不思議な車が突堤の上を疾走《しっそう》するのを見た。後ろが幌《ほろ》になった小型の四輪自動車で、鍔《つば》がなく上部の前後が尖《とが》ったカーキ色の帽子を被《かぶ》った色白の男が運転している。これが後で知るアメリカ兵の運転するジープなのだが、とにかく早くて軽快、南で見た最初の「驚き第一号」であった。

 着岸するや一斉に上陸。嵐のあと食べ物と水を求めて上陸した以外、ずっと船中の生活を強いられた皆の足は弱って歩くのもたどたどしい。しかし、この地こそ私達が夢にまで見た「安全」の土地・仁川《インチョン》である。多少足はよろけても、もう何の足かせもない。一歩一歩、その安全を確認するかの如く歩を進める。

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編集者 (代理投稿)

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