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羽生の鍛冶屋 本田 裕

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通常 羽生の鍛冶屋 本田 裕

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編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 生い立ちなど

 はじめまして、私は、北埼玉で唯一の羽生の鍛冶屋です。先祖は下北半島で江戸時代から、鍛冶屋を営んでいました。父親は、家業を継がず上京して学問の道に、進んだために、鍛冶屋は昭和の初めに、おじいさんの代で途切れました。

 私のおじいさんは、昭和10年ころまで、おばあさんが手伝って、トンテンカン、トンテンカンとハンマーを振って、真っ赤な鉄を叩いていたと、親から聞いておりました。

 羽生市で生まれ、羽生に育った私は、先祖の血を受け継いだのか、ものづくりの感性が備わっていたのかもしれません。高校進学を断念したのはそれなりの事情があったのですが、大企業が運営する、技能訓練所に入所できたのが、職人技の技能を磨く始まりでした。
 3年間、鉄に関することをみっちり学びました。技能を身につける環境にも恵まれ、さまざまな、技を競う大会に参加しました。一番になることを目標として、技能の向上を目指したのです。  
 その結果、写真にあるように、技能五輪全国大会にも挑戦して銀メダルを獲得することが出来ました。

 若き日に、身に付けた技能が、今の私を支えております。
 職人という、汚れる仕事であるけれど、この仕事が私は、好きであり、お客さんの笑顔が見える仕事を目指したいと、日々仕事に追いかけられております。
 日本のあちこちで職人技の仕事、姿が消えようとしております。日本の伝統文化、技術をことばの褒めたたえだけではなく、行動として大切にして欲しいと羽生の鍛冶屋は願っております。

    作業衣を 三百六十余日着て 鍛冶屋と呼ばれる ことの嬉しさ


 技能訓練所

 大企業が運営する技能訓練所は企業の敷地内にありました。1年生から3年生まで90人ほどが、技能の訓練と知識の勉学に励んでおりました。私は昭和36年に、5倍の競争率を突破して入所することができました。
 訓練所の様子は、午前が4時間の学科の授業、午後が4時間の実技訓練でした。
 内容は工業科目、教養科目の20教科、実技訓練は機械操作、金属加工、など多種技能全般にわたりました。
 実技訓練は、現場実習も含め、製鉄所や、建設中の東海村原子力発電所の見学、他業種の工場見学も、実習の一環でした。
 訓練所卒業までは、前期、後期の学科、実技の試験に一定以上の点数を取らなければならないのは、通常の学校と同じです。
 15歳~18歳の3年間、技能訓練所での経験は、今の私にとっては、感謝しなければならない3年間でした。

 (写真は技能五輪全国大会の銀メダル)


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