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Re: 羽生の鍛冶屋 本田 裕 44 その3

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通常 Re: 羽生の鍛冶屋 本田 裕 44 その3

msg# 1.45.2
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2
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/5/11 6:25
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 顕彰碑建立その後

 道の駅はにゅうに建立された「あぁ上野駅」を作詞した羽生の作詞家関口義明先生の顕彰碑が、東京 朝日 埼玉 読売新聞の埼玉版に掲載され、埼玉の各地から、毎日見学者が訪れるようになりました。

 川口、春日部、さいたま、こうのす、小川など、東北出身という人が目立ちます。建立後、1っヵ月の内で、見学に来た人にどこから来たんだいと聞いてみると「宮城から東京に出て来たんだけど、女房が鴻巣なんで、鴻巣に家を建てたんだ・・・」春日部の人は、井沢八郎の唄を聞きながら、「うちのかあちゃんは、しゅっ、しゅっ、ぽっぽで真っ黒顔で青森から春日部に来て俺につかまっちゃったんだ」と面白、おかしく、話しました。

 また、除幕式にも、その後も何度も顕彰碑の前にたたずむ、見たからに紳士的な方、それも、そのはず上野をめざし50数年前北海道から上京し、東京での生活から、今は加須市に住み、加須市の観光大使として活躍されている、水戸部真正志さんでした。関口先生とも交友を持たれていた尊敬すべき方です。 歌碑の前に来てボタンを押す人は、あとを絶ちません。唄を聞いて涙ぐむ人、何回もボタンを押す人を見ていると、「また押したと、笑いながら」ソーラー、音響機器の調子を調べ、毎日顕彰碑の状態を見に来ている私なのですが、長谷川会長の信念と関口先生の奥様の協力、そして、観光協会の会長でもある河田市長の顕彰碑建立への理解が、部長、課長に難しい国の認可手続きの仕事を頑張らせてくれたといえる。

 今は、50年前、60年前を思い出し、埼玉県内を主に訪れているが、やがて、東京には集団就職で、何十万人はいるであろう上野に来た人に知れ渡るようになると、「道の駅はにゅう」は、新たな観光スポットとして、脚光を浴びることになる日も遠い日ではないだろうと予想する。

 50年60年前の高度経済成長期に故郷を離れ関東地方でまだ元気にしている70歳前後の人達は元より、50代の若い人にも、ボタンを押して井沢八郎が唄う「あぁ上野駅」を聞いてもらい、23歳の頃この歌を作った関口先生が「道の駅はにゅう」から500メートルの利根川土手際で生まれたこと、詩の素晴らしさに感動し羽生にも凄い人がいたんだと感動してもらえたら、先生の奥様、長谷川会長、11人の発起人、地元の川俣、母校の羽生実業高等学校、羽生市にとっても誇りにできる有難い宝物になる。

 今日もどこかのおじさん、おばさんが歌碑の前に立ち、石に刻まれた文字を読み、赤いボタンを押した・・・「どこかに 故郷の 香りを乗せて・・・

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