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羽生の鍛冶屋 本田 裕 その31、社員旅行、南九州へ

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通常 羽生の鍛冶屋 本田 裕 その31、社員旅行、南九州へ

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2013/1/30 7:47
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 昭和46年、勤めていた建設会社は、高度成長の波に乗って、好景気でありました。社長は従業員には慈悲深い人でありました。利益は、従業員の福利厚生のために、使う社長でありました。ボウリング大会、上野東天紅等への食事会、そして、個人的には、社長が着ていた東京の有名デパートのオーダーのブレザーを何着も頂きました。

 そして、4月には南九州へ社員旅行が企画されました。川崎港から、6千トンのハイビスカス号で、宮崎の日向港へ向かいました。26時間かかりましたが船酔いにもならず、初めての船旅は楽しいものでした。日向に付くと日豊本線で宮崎駅に向かいました。宮崎に着き、バスで宿泊地の青島に向かいました。洗濯板の海岸を見ながら、青島を一回り歩き、当時のジャイアンツの宿泊ホテルの隣りの橘ホテルに到着しました。当時のホテルとしては、レジャーランド風の大ホテルで、部屋を間違うほどの広さでした。宴会と料理、娯楽で十二分に楽しみ、翌日は、バスで、堀切峠、えびの高原、霧島温泉、国分、そして桜島を半周しながら、煙出す桜島の写真をとりながら、観光客がひっ切りなしに立ち寄る、食堂、土産物店、で迷子にならぬよう、鹿児島港への船に乗りました。港に着くと、再び、バスに乗り、西郷隆盛の銅像の立つ観光スポットへ、そして、磯庭園を見学し、物産店によりながら、西鹿児島駅に到着しました。夕方は、駅近くの料亭に行き、旅行最後の贅沢郷土料理、薩摩料理を思い残すことのないように、ご馳走になりました。夜行列車に乗るまでの自由時間を、パチンコ等で楽しみました。

 夜行列車が、西鹿児島駅を出発すると、列車の座席では退屈しのぎに、トランプや花札が始まり、八代や熊本を通過するのを、うつろに聞きながら、目が覚めたころは、博多、博多、の場内アナウンサーの声でした。

 何処で朝食を摂ったのかは記憶になくなりましたが。福岡空港から、初めて乗る飛行機で全日空で羽田へと帰路に着きました。

 高度成長期時代の中、小規模会社ながらも、社長の計らいで、お土産以外は、すべて、会社持ちという、私にとっては、豪華な旅を経験しました。また、この時代は、余裕のある人たちにとっては、海外旅行への始まりでもあったように記憶しております。
 高度経済成長期には、私の住む羽生市でも、社員旅行が、「ハワイ」といった好景気を象徴した、鍛冶屋から転向した農機具メーカーもありました。 

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