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羽生の鍛冶屋 本田 裕 37(奮闘記その6)

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通常 羽生の鍛冶屋 本田 裕 37(奮闘記その6)

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2013/3/31 6:40
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 「庖丁」

 昭和52年、刃物店を開業して、大工道具、ハサミと共に庖丁を当初のメイン商品としてとりあつかった。東京の問屋を通じて、業務用は、浅草の正本総本店の和庖丁、築地の杉本牛刀、中華庖丁、横浜の正金牛刀、そして、庖丁生産地、岐阜のミソノ牛刀を主に販売しました。当時は、羽生の町にも、魚屋、寿司や、肉屋と云った、職人腕を持った、個人店が在りましたから本物の庖丁を取り扱う必要がありました。ちなみにプロの庖丁の当時価格はサイズ、種類、材質にもよりますが、概ね1万~2万と行ったところでした。そして、家庭用の菜切り庖丁の価格は上級物で3千円~4千円でした。浅草の問屋は、鋼の良い庖丁を扱っていたので、お客さんからは好評で、よく売れました。月に一度は、社長が見え、私も勉強のために時々、駒形に出向いて、直接、品定めをして、仕入注文をする形をとりました。また、東京の問屋には、刃物関係の方が出入りしているので、私にとっては、日本の刃物業界の情報を得る場でもありました。

 やがて、私には、刃物を作る時がくるのですが、手さぐりの奮闘が始まります。

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