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羽生の鍛冶屋 本田 裕 25 鉄骨建築の時代

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通常 羽生の鍛冶屋 本田 裕 25 鉄骨建築の時代

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/3/19 6:42
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 昭和43年~44年にかけての鉄筋屋の経験も終りとし、鉄骨建築の経験をしようと、加須市の個人経営の鉄骨屋へ転職しました。社長と奥さんと従業員一人のところへ、私は敢えて勤めることにしました。個人事業の経験のためです。200坪の敷地に100坪の建屋、その中に原寸場と溶接機3台、シャーリング、コンプレッサー、トラック2台の町工場です。その鉄骨屋は農家をお得意とする仕事が多く、仕事の半分以上が農家相手でした。

 当時の米作り農家の主は、土木建設工事に出稼ぎ、または、製造業会社に勤め、収入の増加で、金銭的にも余裕が出来て、トラクター、乾燥機、などの農業機械を入れる作業場を鉄骨で作る農家が増えてきたのです。

 そういう時代変化で、木造から鉄骨加工の仕事が急激に多くなり、私が勤めた小さな鉄骨屋でも、注文はやりきれない程、増えて行きました。
 私は、現場合わせの鉄骨作業で、村のあちこちで、景気の良くなって来た農家の作業場制作に、現場工法で携わりました。このころ、兼業で景気の良くなった農家が、藁屋根の家から、瓦ぶきのベランダ付きの二階建ての家を建て替える家が、目立ち始めたのもこのころです。

 高度経済成長時代の中で、鉄骨建築の視点から農家の生活文化の成長を見ておりますが、羽生の鍛冶屋が、平成時代になって、農家と切っても切れない、農家の応援団としての仕事をすることになろうとは、昭和44年ごろの私には、想像もつかないことでありました。次回も、そのころのことで思い出すことが出てきましたら、鉄骨の仕事を通じて当時の経済成長話しをしたいと思います。

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