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羽生の鍛冶屋 本田 裕 38(奮闘記その7)

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通常 羽生の鍛冶屋 本田 裕 38(奮闘記その7)

msg# 1.39
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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2013/4/2 7:23
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 「野鍛冶へのきっかけ」

 昭和52年4月10日開業の本田刃物店、手さぐりの中で初夏を迎え、農家の人から農具の、くわ万能、草削り、鎌、鉈、のこぎり、唐くわ、薪割り、植木鋏などの、園芸農作業に使う、刃物道具の依頼が飛び込んで来ました。

 ラシャ鋏、庖丁、大工道具をメインにスタートした本田刃物店です、対応に間に合わず、お客を逃がさざるをえませんでした。急きょ、産地である三条、播州、武生、土佐産の園芸農具の専門問屋を探し、三条、播州、武生の問屋とつながることが出き、取引問屋は、浅草、与板、三条、播州小野、武生の五軒となりました。得意分野に区分けして、取引することにしました。

 しかし、昭和36年から39年の3年間、富士電機吹上工場の技能訓練生時代に金属材料について基礎勉強した知識と現場経験から、当時産地で作られ当店で扱い始めた刃物商品が、私の目には、一部を除いて合格点が上げられませんでした。

 当時、ホームセンターもあちこちに出来始め、量産化された商品が、目立つようになりました。

 私の町にも、当時は、まだ金物店が頑張る中、個人のホームセンターも出来、隣りの加須にも、行田にも、館林にも、吹上にも集客力の高いホームセンターが、次々と出来、拡大して行きました。

 市場が高品質より安価商品、を目指すようになり、その流れの中で産地も機械化を図り、量産体制で作業工程省略のものづくりへと舵を切り始めておりました。そのためか、匠の仕事、職人技の商品が減り始めて来たことも問屋筋の産地事情から分かって来ました。
お客さんに満足してもらえる商品を取り揃えることの、難しさが、じょじょに、私には、壁となって、自分が作った方が、良い物が出来るのではないかと、考えるようになって来たのです。

 昭和52年夏のことでした。

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