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羽生の鍛冶屋 本田 裕 26 当時の農家は

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通常 羽生の鍛冶屋 本田 裕 26 当時の農家は

msg# 1.27
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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/4/4 6:43
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 町工場で鉄骨建築の仕事経験の中で、農家に出向いての作業が多かったせいか、昭和44年頃の農業面における、機械化による農作業の進歩の様子を見ることが出来ました。経済成長の波に乗って昭和30年代後半頃から農業機械の導入が見られるるようになったと思いますが、40年代になると小型のトラクター、手押しの田植機械、バインダー、が稲作に導入され、何処の農家も労働力を人力から機械力へと変えて行きました。農機具メーカーは、新型機械の開発販売に拡大を計り、手押し機械から乗用型機械へと普及を進めて行きました。農家で鉄骨の作業場を作っていると、農協の職員、農機具店が、よく、農家に出入りしていたことが、記憶に残っております。

 楽をして米を作りたいという農家の思い、おいて行かれたくないという心理に、農機具メーカーは次々と新型タイプの機械を開発して、日本の農法を変えて行きました。

 当時、高度成長期において、日本の農業は規制に守られながら、農業外収入の増加で、だんだん豊かになった農家が多くなった時代でもありました。

 中規模的農家は、広い屋敷、新築された入母屋造り、三波石で造られた庭、鉄骨の納屋、車庫、軽トラ、ホンダのカブ号、スクーター、乗用車2台、等が昭和40年半ばの高度成長の時代に仕事先の農家で見た光景でありました。

 農業から日本の高度成長の姿を描写するのは、力足らずになったと思いますが、次は別な産業の中から、記憶を元に当時のことを記したいと思います。

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