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羽生の鍛冶屋 その30 家電の普及 本田 裕

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通常 羽生の鍛冶屋 その30 家電の普及 本田 裕

msg# 1.31
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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/7/24 6:40
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 昭和30年代の「三種の神器」といえば、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫のことであるが、昭和40年代になると、カラーテレビ、クーラー、マイカーへと変わって行ったといえる。

 昭和45年勤めていた建設会社の社長宅には、最新の電化製品がありました。エアコン、ステレオ, 電子レンジ、など、一般家庭よりも先取りして、電化製品が普及しておりました。

 従業員は、会社敷地内にある、社長宅にも、度々上がることがあり、最先端を行く文化生活を見せられ、仲間の中には、大型テレビ、応接間に、ステレオを、サイドボードをと、ボーナスの時期になると、昼食の時、電気製品購入の話題で持ちきりでした。

 臨時ボーナスが出るほどだったので、物価上昇が進む中で、仲間の従業員も遅れを取ることなく電化製品に囲まれた文化生活を営んでおりました。ところで、わが家は、昭和45年頃は、ちょっと世間より遅れをとりまして、世間が新型に対して、旧型の電気製品で一応の電化生活を追っかけていたのが、当時のわが家でした。

 残念なのは、わが家で使用していた電気製品等の写真等が残っていないのが残念です。ただ記憶としてあるのが、テレビはソニー、洗濯機はサンヨー、冷蔵庫、はナショナル、であったように思います。クーラー、電子レンジはありませんでした。単純なオーブンでした。掃除機もありませんでした。もっぱらホウキとハタキでした。炬燵は家具調ではなく、単純電気炬燵でした。

 音楽は苦手なのでステレオはなく、電気製品に過剰の金を掛けることなく、まあまあの給料を私は、家の増改築のために、友達との交友のために使い、そして、働いて頂いた給与は先々、自営独立に役立つようにして行こうと微かな決意を描き始めました。

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