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羽生の鍛冶屋 本田 裕 50

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通常 羽生の鍛冶屋 本田 裕 50

msg# 1.51
depth:
1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/7/30 6:16
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

(大工道具に、革命の到来 その1、鋸)

 私の所では、地元の大工さんの客が50人位いました。開業と同時に、良質の鋸を扱い、目立ても知り合いの、目立て職人歴25年の田尻さんに頼んで取り次ぎをしておりました。

 私も、大内式の半自動目立て機を50万円で買い、ダイヤモンドホイルも揃えて、自分で目立てが出来るように、「アサリ出し」の練習をしながら、短期間で、素人用の鋸くらいは修理が出来るようになりました。本職用は田尻さんに任せ、素人用は、極力自分がやるようにしておりました。

 鋸の修理は、ハサミや庖丁より、はるかに熟練が要することを認識しながら、大工さんに、中屋伊之助作、中屋貞助作、真藤勝雄作などの一流鋸を扱い、大工さんに好評でした。
 しかし、昭和50年代から、鋸鍛冶が作ってきた手打ちの鋸を脅かす替刃式の鋸が世に出るようになりました。

 第二次高度成長とも云うべき、建築産業界にも技術革新の競争が始まったのです。

 三木市の玉鳥産業、岡田金属、三条の中屋などが、目立ての必要がない使い捨ての替刃式鋸を開発して市場に低価格で販売するようになりました。鋸の技術革新は、昭和50年代からバブルの波に乗って急速に加速して行くのでした。・・・

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