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羽生の鍛冶屋・その4 本田 裕

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通常 羽生の鍛冶屋・その4 本田 裕

msg# 1.5
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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2010/3/26 11:32
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

  銀メダルに喜んだ父

 私の父親は鍛冶屋を継がずに上京して、大学の学問の道に進みましたが、それなりの、事情や縁があって、昭和の初めに、田舎町、羽生に住むようになりました。縁あって、羽生の農家の生まれの母親と一緒になって、羽生町で暮らすようになりました。

 当時は世界大恐慌で仕事もなく、大変な時代であったようです。刀や兜、荒物などの商売をしていたようですが、商売は下手で、うまくいかなかったようです。

 もともと、読み書きに長けていた父親は、町の旦那社長に見込まれ、繊維関係の会社の総務等を任され、収入もなんとか安定して9人の子供を養うことが出来たようです。

 私は昭和20年生まれなので、戦争のことは、知らないのですが、当時は地域をまとめるほどの雷の如く、おっかない存在であったようです。

 家の中でも、私が小さい頃は、兄たちが、よく、怒鳴られていたことを覚えております、内面は悪い反面、外面は良く、町や、県や、国の頼まれ任務をしたり、いろいろな立場の人たちと交遊しておりました。そういうことでしたから、母親の苦労は、語るまでもありません。

 そんな父は、病気で昭和41年に63歳の若さで亡くなりました。
 私の前では見せなかったのですが、後に、父の友人が線香をあげに来た時に、「(裕)が、銀メダルを取ったと、自慢げに褒めていた」ことを父の友人から聞かされました。

 そんな親父の息子が、それから、10年後に「8代目鍛冶屋」の火を灯すことになるのです。

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