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羽生の鍛冶屋 11 本田 裕

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通常 羽生の鍛冶屋 11 本田 裕

msg# 1.12
depth:
1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2010/5/31 8:09
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 私は、昭和20年生まれ、
 昭和の初め頃まで、おじいさんは、鍛冶屋でしたが、鍛冶屋を継がなかった勤め人の父の六男として生まれた私は、鍛冶屋とは無縁の家庭環境の中で、戦後の物不足にお袋と買いだしの記憶と共に、羽生の街中にも鍛冶屋の光景を見ながら、街の移り変わりの記憶を忘れることなく、戦後の昭和を育って来ました。

 そうした中で、自称、羽生の鍛冶屋として街から、地域から、鍛冶屋の灯が消えてゆくありさまと業種転業を書き記したいと思います。
 羽生の町にも、戦後、10軒、鍛冶屋が存在しておりました。ふいごで風を送り、真っ赤に燃えたコークスの中に鉄を入れて、くわや鎌を造ったり、リヤカーの部品を修理したり、足袋底を抜く金型を造ったり、陸田に水をくみ上げる、バチカルを造ったり、カンナを造るそれぞれの分野の鍛冶屋と云われる職人が、街中に、在に、件数が減りながらも昭和50年頃までありました。

 しかし、農業、工業、生活文化の変化して行く中で、農機具や、鉄工所、金物店へと業種を変えて行ったのです。羽生に於いて野鍛冶から、農機具の乾燥機メーカーへと躍進して、日本の農業に貢献している会社があることは、後に、北埼玉から野鍛冶がなくなってから鍛冶屋を開業した私としても、その企業を尊敬しております。

 鍛冶屋は時代の流れの中で徐々に灯が消えていくのですが、それは、次回のつづきと致します。

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