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心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 2

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通常 心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 2

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/1/23 8:19
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 は じ め に

 村松の、そして 「戦没陸軍少年通信兵の慰霊碑を守る会」 会員の皆様、お元気でいらっしゃいますか。先ず以て、日頃、皆様が私共の戦没先輩が眠る 「村松碑」 にお寄せ下さる温かいお気持ちに対し、心からの敬意を捧げ、感謝を申し上げます。

 さて、今回、本誌に収めましたのは、題名からもご推察頂けますように、先の大戦末期の昭和十八年末から翌々年の終戦まで、ご当地に置かれていた村松陸軍少年通信兵学校の関係者が綴った「心のふるさと・村松」に寄せるエッセイの類です。

 歳月の経つのは早く、戦後も六十八年ともなりますと、当時のことをご存知の方々は、そう多くは居られません。しかし、今日、私達が当然のように亭受しておりますこの平和な生活も、その蔭には犠牲になって亡くなられた多くの方々があり、それらの悲惨な足跡は、絶対に風化させてはならない、戦争の悲惨さと平和の尊さ有難さを伝える貴重な史実だと思います。

 この点、私共二人は、これまでに「村松の庭訓を胸に」、「西海の狼、穏やかに」、「鎮魂・西海に、比島に、そしてシベリアへ」の三誌を刊行することによって、「村松碑」 に眠る戦没先輩の足跡の顕彰に努めてきました。

 而して、本誌は、これまでのものとは少し観点を変え、当時、村松少通校に学んだ生徒達が、どの様な気持ちで少年兵を志願し、どの様な教育を受けたか、また、それらを通じて彼らが戦後もどのような思いをこの学校や村松町に対して抱いて生きてきたか等を、当時の町の様子も含めて明らかにしたものです。

 何せ、古い文献からの抽出が主であり、私共の気持ちが何処まで盛り込めたか判りませんが、本誌によって、「守る会」 の皆様をはじめ現地にお住いの多くの方々の「村松碑」 に寄せて下さるお気持ちを更に深めて頂ければ、これに過ぎる喜びはありません。

 平成二十五年十月秋

 元・村松陸軍少年通信兵学校
     第十二期生徒 大口 光威
     第十二期生徒 佐藤 嘉道

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