@





       
ENGLISH
In preparation
運営団体
メロウ伝承館プロジェクトとは?
記録のメニュー
検索
その他のメニュー
ログイン

ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失

心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 50

投稿ツリー


このトピックの投稿一覧へ

編集者

通常 心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 50

msg#
depth:
1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/3/16 7:53
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

(付録) 村松少通校校舎の配置図と、その解説 その2


 ⑫生徒隊兵舎。

  第十一期の第三中隊、第四中隊。


 ⑬弾薬庫。

  歩哨の訓練があった。弾薬庫の周りは高い土堤でかこまれていた。
  真夜中に土堤の上を銃を構えて巡回したが、真っ暗でとても怖かった。
  弾薬庫の扉の前に泥の壷があった。これは非常のときの目張り用で、冬季凍らないように時間を決めてかき回す。
  そのためにしゃがむと姿勢が低くなり、周囲の闇に押し包まれるような中で、かき回す泥の音がするのがとても怖かった。
  週番将校が廻ってくるのでさぼる訳にはいかなかった。


 ⑭大きなプールのような貯水槽があった。

  先輩第十一期生の一部は、昭和十九年十一月に緊急卒業して南方戦線に向かった。
  卒業の直前、先輩生徒が寒さの中、このプールに入り通信機の揚陸訓練をやっていた。
  村松校から第十一期生、三百十五名が卒業。
  彼らのうち百十六名が、校門で別れてから僅か九日後、五島列島沖で輸送船が撃沈されて戦死したが、終戦まで僕等は知らなかった。
  この見取り図を見ていると、寒いプールで揚陸訓練をしていた先輩の姿が思いだされてならない。村松はとても懐かしい。
  懐かしいが、僕の孫たちに軍国少年の道は歩ませたくない。

  秋津丸.ルソンからの生還者、四中隊一区隊の神頭敬之助さん 「ルソン戦記」の初めにプールで訓練を受けたと書いてある。


 ⑮雪中演習場。

  大きな、大きな建物があった。昭和十九年夏頃か、一度だけここで映画会があって観た。
  何を観たか覚えてはいない。


 ⑯南門と呼んでいた。

  出ると右側に馬場があった。


 ⑰生徒隊第五中隊、第六中隊の兵舎。

  僕は、第五中隊第一区隊であったから、この配置図の記憶はここから始まる。
  兵舎の前には松の植え込みがあった。


 ⑱兵器倉庫。

  中隊の兵器係亀井曹長がいつも居た。佐藤嘉道もよく居た。


 ⑲生徒隊第七中隊、

  第八中隊兵舎。


 ⑳通信講堂。

  通信実技の訓練を行なった。七.八中隊使用。


 ㉑南門を出ると、

  広大な練兵場が広がって、軍歌演習もあった。
  雑草の生い茂る荒野できびしい訓練もあり、葡旬(ほふく)前進の号令で這いずりまわったこともある。
  右手はるか前方に村松公園につながる松並木があった。
  松並木をたどって視線を動かすと、左手前方の山陰になるあたりに射撃場があり、実弾射撃訓練もやったが、あれはなかなか当たらない。


 ㉒村松陸軍病院があった。

  僕は二十年冬、ジフテリアになって隔離入院した。

  条件検索へ