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心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 9

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通常 心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 9

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/1/30 7:55
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 三.生徒の教育計画 その2

 体操 

 十五才から十七才ぐらいの少年の体格、体力は未完成であるから体操は重視する。体操は徒手体操から、駈け足、鉄棒、騎馬戦、棒倒し、など中学生時代と同じような内容ではあるが選ばれた少年兵という意識もあり騎馬戦、棒倒しなど勇ましい。また駈け足は体操の時間以外に、週番士官が非常呼集をかけて中隊全員を校外の路上を隣りの町まで往復八粁ぐらいを走らせた中隊もあったそうだが、私の第四中隊は一度もそんなことは無かった。ただ、私の区隊の班長が、私の退校後に生徒を校庭何周などの鍛え方をしていたことが後で判って、私が注意したことがあった。生徒の教育訓練は、軍隊の悪弊である私的制裁的なことをしてはいけないと東京の少通校時代から校長に厳しく言われていた。

 体操の中に入るがスキーの教育も行った。村松町は雪の多い所であるからスキーには適していた。私は鶴岡工業学校在学中にスキー行軍、スキー競走の選手などの経験があるので、当時のスキーとスキー靴などを取り寄せて復習し、生徒を教育した。雪の降らない関西や四国、九州出身生徒は苦労したが、また楽しんでもいた。

 武道

 武道は銃剣術を行った。私は鶴工時代剣道部で五年間剣道を習い五年生の時は剣道二段大将(首将)であり、陸軍通信学校幹部候補生隊では銃剣術の試合で区隊で優勝し、幹候隊で優勝(二百人中一位)していたので銃剣術の教育には自信があった。

 因みに、村松少通校の将校団剣道試合で優勝した。決勝戦は同期の区隊長柴田行夫と小野寺良夫の両君とリーグ戦を行い私が優勝した。両君とも中学時代は剣道部の主将であったようだった。

 一般教養

 生徒は将来下士官として通信兵の幹部となるので一般教養を重視した。中隊長の訓話を始め、普通学科の教育があった。国語、歴史、数学、物理は陸軍教授が教育し、電磁気学等の専門学科は幹侯出身の将校が担当した。東大卒の須藤中尉、高等工業卒の小林中尉などが居た。

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