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心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 24

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通常 心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 24

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/2/14 7:10
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 私の三月十日  その1

  十一期三中隊二区隊  北川 武男

 すでに、四十年も過ぎ去ってしまった出来事となると、その時その場の情景など、大分記憶からは遠退いてしまっている。而し或る一点に就いては鮮やかな色彩で、脳裏に強く焼きついている為か、鮮明なる画像となって浮かび上ってくるのである。

 昭和二十年と言う年は、我々十一期生にとって栄えある陸軍兵長となり、各部隊や前線に赴く卒業の機なのであった。
 春三月、管名岳の雪溶けと共に、高木校長閣下を始め学校本部、教官、十二期生と、全校を挙げての祝福と激励を一身に受け、国難に殉ずべく、村松陸軍少年通信兵学校の校門を後にしたのであった。

 この卒業時、即ち陸軍生徒から一人前の陸軍兵長として孵化する直前に、卒業休暇が一週間程与えられたのである。
 幼さない胸をふくらませながら入校をした当時とは打って変り、立派に磨かれた知性と教養に加えて貫禄を培い備えた少年兵は、それぞれの肉親の待つ故郷へと、勇みに勇んで散って行ったのであった。

 私もその中の一人として、東京の両親の許に帰って来たのである。入校前にお世話になった方々の家や、お世話になっていた元の職場を尋ね訪ねて、御挨拶をして歩いた。訪ねる家毎に、又会う人毎に「立派になったね」「しっかりと御国の為に働らいて下さい」 と、称賛と激励をいただき、若き血潮をたぎらせた胸の中は天下でも取った様な得意満面の気持で一杯であった。

 私の育った向島区でもその頃まで空襲警報は連日出ていたものの、爆撃による直接の被害は全くと云ってもよい程こうむってはいなかった。そんな日々が通り過ぎた九日の夜。

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