@





       
ENGLISH
In preparation
運営団体
メロウ伝承館プロジェクトとは?
記録のメニュー
検索
その他のメニュー
ログイン

ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失

心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 18

投稿ツリー


このトピックの投稿一覧へ

編集者

通常 心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 18

msg#
depth:
1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/2/8 6:37
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 少年兵の回想 その3

 終戦日の直前、昭和二十年八月一日、長岡市が敵のB二九の大空襲を受け、多量の焼夷弾を投下されて大火災を起こし一面火の海となり、千四百六十名(東京新聞社調)の尊い生命が失われ、一夜にして市街地は焼失、一面焼野原となりました。残っているのは、一部のコンクリートの建物だけです。

 その後片付けの為に、私は地元出身者の理由で五日後、急遽選抜隊として長岡市に急行したのです。焼け跡はまだ燻っていて、煙の出ている個所もあり、死体の焦げたと思われる悪臭が漂い、真に悲惨な状況でした。

 聞けば、防空壕に逃げ込み避難の方法を誤り、一家全滅の悲運に見舞われた家族もあるとのことです。火災時は、阿鼻叫喚の修羅場と化し、地獄絵を見るような状態を現出したもの、と想像致します。

 誰もが言葉少なくただ黙々と作業活動に従事しました。親戚の柳原町や大工町の家も勿論のこと焼失しています。夜間外出許可をもらって、徒歩で飯島へ帰る途中、渋海川に架かるる永盛橋が焼失していて、河原を歩いてから、暗くてよく見えないので川に落ちないように注意して、即製の仮橋を渡って飯島の家に辿り着きました。案の定、叔母さんの家族三名、姉さんの家族三名が避難して来ており、大家族が一つ屋根の下に注み、食事も一度では済まないという大変な有様でした。

 やがて八月十五日、真夏の太陽が照りつける猛暑の日に終戦の放送を聞きました。
 「目標がなくなって、日本はこれから先どうなるのか」、「進駐軍が来たら、どの様な政策が行われるのか」、「軍歴者はどのように扱われるのか」。種々な憶測と危惧杞憂、落胆と空虚な感情が校内に蔓延して、明るい希望を見付け出すことは殆ど不可能な状態でした。

 それでも、復員するまでの十五日間は、粛々と兵器・通信機等の手入れと整理、暗号書類の焼却を済ませて八月三十一日、苦楽を共にした戦友と別れを惜しみつつ校門を出ました。一人になってみると、万感胸に迫るものがあり、なにか敗残兵になったような惨めな心境で家に帰り着いたのです。

 戦争は、多少にかかわらず、国民全体を巻き添えにして、人間に不孝を齎すと共に、相手国民を傷つける元凶であり、二度とあってはならないと痛感致します。
 世界の人々と共に、「戦争は人の心の中で生まれるのであるから、人の心の中に、平和の砦を築かなければならない」 (ユネスコ憲章) を守り、あくまで恒久平和を希求していきたいものと考えます。

         
  (昭和五十七年・かんとう少通)

  条件検索へ