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心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 14

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通常 心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 14

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/2/4 5:56
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 五.村松町の冬の生活  その3

 (注)

 渡部善男氏は、大正九年、山形県遊佐相生。山形県立鶴岡工業学校卒。
 昭和十六年一月、現役兵として青森電信第四連隊に入営。
 幹部候補生を経て十七年陸軍少尉。
 十八年六月、当時、東京東村山にあった陸軍少年通信兵学校十期生第二区隊長を命ぜられたが、同年十月、村松少通校の新設によって同校に赴任、以後、十一期の第四中隊第三区隊長、十三期第一中隊第三区隊長を歴任、十九年九月、陸軍中尉、二十年八月、復員(陸軍大尉)。


 勿論、以上は渡部氏自身が担当された区隊を中心とした思い出であり、現実には夫々の中隊や区隊によって相当の開きがあったと思いますが、しかし私は、全校的には、高木校長の「少年兵は純真であれ」の訓育方針が浸透し、「人を殴って教育するのは真の教育ではない」と私的制裁は固く禁じられ、陸軍生徒としての品性の陶冶に、より多くの時間が割かれるなど、其処は「厳しい軍規の中にも慈愛のある教育」が行われてーいたように感じています。
 
 また、私達生徒がお世話になった村松町の皆様も、軍都・村松の最後に少通校が来たのですから、恐らく幼い少年達が必死に訓練に励む姿に、それまでの軍隊に見られなかった「健気さ」を感じて下さったに違いなく、一方その頃は村松でも多くのご家庭に赤紙(召集令状)が届けられていましたから、戦地に送った我が子、我が夫を想う気持ちを少年兵に置き換えて余計温かく接して下さったのではないでしょうか。

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