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心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 49

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通常 心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 49

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/3/15 8:01
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 (付録) 村松少通校校舎の配置図と、その解説 その1

    -番われるままの思い出-
      十二第五中隊一区隊 大枚 富士夫


 ①正門。

  歩哨舎と共に、少通校時代から唯一現存しています。
  村松町の時、復元工事が行われた。


 ②学校本部。

  普段は近寄りがたい場所。

  二階に御真影の奉安室があった。歩哨勤務訓練で、奉安室歩哨に立ったことがある。
  夜中、週番士官だった区隊長牛丸中尉が巡視に来たことがあった。


 ③衛兵所。

  普段は軍属がいたので、訓練で生徒も、営舎係、歩哨係の指揮で衛兵所勤務があった。
  衛兵所の後ろに営倉があった。
  卒業演習で夜間行軍のときに、加茂のあたりの薩摩芋の苗床から、同室の生徒が薩摩芋をとって食い、営倉入りさせられたことがあった。
  そのとき、指名されて僕も営倉歩哨に立ったが、太い角材を組んだいかめしい作りだった。分隊長だった柳川も入れられた。


 ④厩舎。

  ここには馬がいたが世話をしたのではない。
  通信所訓練では、二号乙無線機を馬が馬車で運んだ。
  卒業演習で行動中に僕達の分隊(分隊長柳川)の馬が不意に死んでしまったことがあった。
  二十年夏になると新潟空襲があり、空襲警報が発令されて、この厩舎警備に出た。
  厩舎には、方形に固めてあった馬糧の高梁があり、それを食った奴がいてひどい下痢で苦しんだ。


 ⑤医務室・休養室。


 ⑥通信講堂。

  講義室などとして使われていた。国語で、文官の万葉集の講義があったが、これは短期間で終わった。
  小林中尉の電磁気学の講義を聴いた覚えがある。


 ⑦通信講堂。

  通信実技の訓練を行なった。


 ⑧裏門。

  敷地の周囲の土手にカボチャを作っていた。
  終戦後、ここの歩哨に立っていてカボチャ泥棒を捕まえた。
  実弾は込めてなかったが着剣して武装していたので、
  誰何して追いつめ胡瓜畑で捕まえた
  奥山伍長が駆けつけて連行していった。
  犯人は、近所の住民だった。


 ⑨二階建ての生徒集会所。

  畳が敷いてあったがあまり使われていなかった。


 ⑩炊事場。

  交替で炊事当番があった。重い食缶を提げて上官に会うと敬礼するのが、腕がだるくて辛かった。浴場は広く湯はたっぷりありました。


 ⑪生徒隊兵舎。

  第十一期の第一中隊、第二中隊。
  第十一期の卒業後、第十三期が入った。

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