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心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 41

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通常 心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 41

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/3/7 7:05
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 四、悲惨だった十一期生の運命

 而して、先に触れましたように、村松校で学んだ生徒のうち、戦争で悲惨な運命を辿ったのは十一期生でした。

 戦局の急迫で修学年限を削られて出陣していった 「繰上げ卒業組」 の出航直後の輸送船上での遭難死、ルソン島での飢餓とマラリアが原因の 「生き地獄」、そして、四月遅れで卒業した 「後発組」 のシベリア抑留、等々。詳しくは昨年纏めた小冊子「鎮魂・西海に、比島に、そしてシベリアへ、 十一期生敢闘の記録」 をご覧いただきたいと思いますが、これらの報告を受けた高木校長は、後年亡くなられるまで、悶々とした日々を送られ、特に「繰上げ卒業組」 については、「如何に軍の命令だったとはいえ、年端の行かない子供たちを繰上げ卒業までさせて出陣させたくはなかった」 と悔やんで居られたと伝えられています。

 なお.この 「繰上げ卒業組」 には、ルソン島に向かった南方要員のほか、特殊情報要員として陸軍中野学校に七期戊種学生 (下士官候補出身者)として送り込まれた三十名があります。前記 (十二頁)の石綿 光氏もその一人でしたが、彼らは軍服を脱ぎ背広を着て「見えない戦争」に挑むべく終戦まで厳しいエリート諜報要員としての訓練を続けました。しかし、「中野は語らず」で、戦後も長いこと沈黙を続けましたので、その模様は余り知られることはありませんでした(その後、十二期生も八期戊種学生として派遣されています)。

 では、ここで、これら敢闘の総括として、ルソン島で戦い、同島で終戦を迎えた高市正一氏の文章を載せます。
 正に、氏が云われるように、十一期生が辿った悲惨な運命は 「過大な代償」そのものだったと思います。

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