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心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 47

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通常 心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 47

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/3/13 8:27
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 七、結びに代えて

 以上、此処までお読み頂いて、皆様には、生徒達が共通して挙げている挙げている強烈な思い出の一つに、会津若松に於ける 「訓育演習」 があることにお気付きかと思います。

 即ち、村松校の場合、どの期の生徒も入校して一か月日には必ず会津若松に連れて行かれたのですが、其処でにはご存知の通り、少年兵と同年代の少年達が白虎隊を組織して戦い、城が焼け落ちるのを見て、飯盛山の山上で切腹して果てた悲話が伝えられています。そこで学校側の思いとしては、入校直後のまだ婆婆っ気の抜け切れない少年達に、その史跡を見せ、墓前で地元の少年達が舞う勇壮な剣舞を鑑賞させることによって、散るべき時にはこの少年達のように潔く散る覚悟と自覚を促す大切な行事だったのだろうと思います。因みに、少年通信兵の軍歌の一節には 「仰ぐ操は靖国の、英魂 (みたま) 慕いて戦路に、散るべき秋を忘するるな」 とありましたが、正に、その後の私達生徒には、この 「散るべき秋」 に備えるための猛訓練の毎日が此処・村松で待ち受けていた訳です。

 およそ、先の大戦下、祖国の危機に臨んで、進んで昭和の白虎隊の気概を持って少年兵を志願し、報いられることなく黙って散って逝った先輩生徒の精神は、私達民族の誇りであり、同時に、その余りにも痛ましかった最後の模様は、絶対に風化させてはならない戦争自体の残虐さを語る厳然たる史実であることは明らかです。

 この点、戦没先輩は勿論、生き残った私共にとっても、人生の修練道場として研鑽に明け暮れた村松の日々が、終生忘れ得ない 「心のふるさと」 としての思い出となって、それが今回の夫々の手記に現れていたものと思われます。

 このように私は、限られた手許の資料を基に、村松に寄せる私達元少通生の思いを編集してみたのですが、果たして何処までご理解頂けたでしょうか。一方、私は、碑を詣でる度に、総てが 「殉国」 の二字に美化されてしまっている彼らの死の蔭にあったに違いない複雑な気持ちを、あれこれ推測してしまうのですが、とまれ、これからの世代に、戦没先輩が味わった軍国少年の悲劇を繰り返させることは許されず、従って、村松碑護持の真の意義は、慰霊と共に 「不戦の誓い」 を新たにすることにこそあると思っています。

 以上、私は、これまでの人生に多大な恩恵を与えてくれた村松の日々を懐かしむと共に、その村松の皆様が私達に代って碑をお守りくださる温かいお気持ちに、心から感謝申し上げます。

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