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心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 10

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通常 心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 10

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/1/31 6:55
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 四.生徒の外出  その1

 入校以後二カ月ぐらいで生徒の外出が許された。入校以来、父母などとの面会は休日には所定の時間内に生徒集会所で行われていたが、校外に単独で外出できたのは二カ月後であった。

 生徒は外出用の服装に着替え、帯剣して校舎前で週番士官の注意の話を聞いたあと守衛所を出て道路を歩いて町に出、真っ先に写真屋に行って写真を撮った。父母始め郷里の人々に送るのである。そのあとは村松町には映画館は無かったので、どこに行ったかは今でも判らないが、私の家に来たのは四月になってからだった。今でも覚えているが、区隊の生徒が数人来て、野原で摘んだ土筆(つくし)を両掌いっぱいぐらいを土産に差し出した。私の妻が菓子と果物を出したら「区隊長殿頂きます」と言って如何にもうまそうに食べたのが今でもありありと思い出される。出した菓子と果物は皆生徒の家から私宛てに送って来た物だった。

 生徒の家からは、私宛てに色々の物を送って来た。それは全国各地の名産であった。生徒が世話になっているから、よろしくお願いしますという親心と、外出した時は食べさせてくださいとの言外に意味があると私は察した。菓子や果物などは折角のお心を素直に受けて頂戴し外出した時の生徒にも食べさせたが、時として京都の高価な織物などが送らて来た時は、手紙を添えて送り返した。

 面会に来た父母が私の宿舎に届けた高価な物は、私が家に帰るなり、父母の旅館を訪ねて丁重にお返しした。村松町内の旅館は若松屋ともう一軒しか学校関係の人が泊る旅館が無かったので、二軒訪ねればすぐ判った。父母の気持は良く判るが何も送って来ない生徒と教育上差別などがあっては大変なことになると、東京の少通校の当初からそう考えていた。然し、今考えてみると東京の少通校時代は父母から送り物があった記憶が無い。それは私が生徒の入校後の途中から区隊長になり、住所が変わったりしたせいかも知れない。また村松少通校に来てからも送って来るのは北海道や京都、関西など遠方の方で然も社交に馴れた父母と思われる一部の方だった。

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