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心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 42

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通常 心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 42

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/3/8 7:05
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 

 多感なる少年期の過大な代償 その1
        十一期二中隊四区隊 高市 正一

 昭和十八年十二月 
 日本の国中が戦争一色のなか自分たち少年も国家のために、第一線で貢献できる少年兵になろうと、それなりの夢と希望を抱いて村松少通校第一期として入校した。少年通信兵としては第十一期であり、既に多くの先輩が各方面で活躍していると聞き身の引き締まるおもいであった。

 学業・技術の習得・各訓練は自分にとっては、かなり厳しいものもあったが、目的達成のための試練と耐えられた。

 昭和十九年十一月 
 南方派遣要員としての繰り上げ卒業は統制された情報の中でも風雲急を告げるものを感じていた。

 十一月六日 
 村松駅にて在校生・村松町民の見送りを受け一路門司に向かう。同十三日 船団編成後、門司を出港する。少通兵も神州丸・秋津丸・摩耶山丸に分散乗船をした。自分は神州丸に乗船した。

 十五日 
 五島列島沖で敵潜水艦の攻撃により秋津丸沈没する。偶然にも最後の沈没していく状態を目撃することになった。大きな波のうねり、腹に伝わる不気味なエンジンの振動・海原に消えていく船体の姿は今でも我が脳裡に焼き付いている。

 フィリピンまでの行動は戦後資料に詳述されているが、当時の自分には断片的に情況を知るのみであった。

 台湾にて輸送船秋津丸・摩耶山九の沈没による、戦友少通兵の死を知らされ愕然とした。志し半ばで海の藻くずと化した友、さぞかし無念であったろうと悔しい思い一杯であった。まだ見ぬ敵に対する復讐心のようなものが身体じゆうに渡るのを覚えた。

 魔のバシー海峡も無事通過、フィリピン北サンフエルナンドに上陸した。その頃より倫理の欠如と言うか、人間性を疑うような言動も見られる様になった。

 十二月上旬 
 マニラに列車で到着、中央競馬場にて配属部隊への赴任待機中に自分に重大な事が発生した。それは病気 (赤痢) で入院したことであった。配属部隊に赴任もかなわず無念であった。少通校同区隊の柿沢君とは同じ部隊と記憶しているが、遂に原隊に復帰することが出来ず、同期の柿沢君との再会も果たせず残念であった。


 昭和二十年一月中旬
 入院下番 (退院) 後は兵端部に配属される。

 比の時点で自分の適信兵としての夢に幕を引くことになった。

 後方支援で食料調達(主に米)の任についたが、戦利品や軍票などによる半強制的な買収方法は、戦況の悪化と共に現地の協力も段々と得られなくなり、詰め所の閉鎖や撤収といったことが起きた。

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