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心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 12

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通常 心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 12

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/2/2 8:50
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 五.村松町の冬の生活  その1

 私が東京の陸軍少年通信兵学校から村松陸軍少年通信兵学校へ転勤した昭和十九年の新年は雪が多かった。十二月一日の入校式の写真には雪が無いので、その後に降ったものと思われる。新年になって雪が多かったと思うのは元来村松町は、否新潟県のあlの地方は毎年雪が多かったのかも知れない。

 宿舎から学校までは営所通りという街を約三粁徒歩で通勤する。将校服に外套を着、革の長靴であるから寒くは無いが、降り積った道路は歩き難いので、軒下の廊下の様に屋根の掛った土間を歩いた。殆ど軒並みに屋根が続いていた。

 校舎は二個中隊が一棟になっており、一階に通しの廊下があり、雪や雨の時は廊下伝いに他中隊又は将校集会所などにも行けた。
 雪の校庭は、生徒が体操、騎馬戦、棒倒しなどに絶好の場所だった。

 校地に続いて在る広い練兵場はスキー行軍の練習には適していたが、余り使うことは無かった。
 正月休みには同期の区隊長の懇親会を木村屋と言う料亭で行った。女性三人は芸者であるが、一年前の青森電四時代の様に島田に結った芸者らしい女で無く、普通の髪形の娘のような感じの女達だった。軍都とは言うものの料亭も二~三軒で芸者も数人しか居なかったのではなかったか。もっともこの頃が芸者の最後で、料亭は下宿屋となり、私と同中隊の瀬崎、小川の両区隊長もこの下宿屋にいた。

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