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心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 5

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通常 心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 5

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/1/26 6:28
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 

 一.東京少通校から村松少通校へ その2

 次の日から中隊に通ったことになるが、将校では私が内地からなので一番早く、中隊長の久保友雄大尉(陸士五十一期)はフィリピンの歩兵中隊長から、中隊附将校の森山正蔵中尉(陸士五十四期)は北支の師団通信隊から、第一区隊長の押目先一中尉(陸士五十五期)はフィリピンの電信連隊から、第二区隊長の瀬崎栄之助中尉(幹候五期)は中支の歩兵連隊から、私は第三区隊長で、第四区隊長の小川延男少尉(幹侯六期で私と同期)は満州佳本斯の歩兵連隊から、夫々数日中に着任した。

 人事係准尉を始め、曹長以下の下士官や衛生兵なども逐次着任して第四中隊幹部は出揃った。
 将校集会所で毎昼食をしたが一日毎に将校が着任した様子など記憶に無い。校長の高木正實大佐は国立病院から着任したのだし、生徒隊長の渡辺利興中佐は東京少通校からだから早く着任した筈である。昼食の席は階級順に並ぶのであるが、私はいつも末席であるので少尉が十数人居ても同期が誰であるか通信兵以外は初対面であるので判らなかった。

 宿舎は学校から三十分、駅から歩いて十分の町役場に近い大手町の伊藤重吉と言う銀行支店長の二階八畳間二室が準備してあった。
 二~三日後、妻が荷物を纏めて送ったあと来た。妻は町の様子を見て買物には便利だと喜んだ。それに二階の八畳二間は二人だけの生活に充分だった。

 後で判ったのだが、村松町は連隊の在る町では最も小さい方で将校仲間では「浜田か鯖江か村松か飛ばされそうで気にかかる」と言われていた。青森の電信第四連隊の様な官舎も無く校長や生徒隊長は町立住宅が用意されていたが、中隊長以下の将校は民家の借家か間借りであった。独身将校は戦時下で閉店した料亭に四~五人宛下宿することになった。芸者が女中になって食事の世話をするのでむしろ羨ましいと笑ったりした。

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