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心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 19

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通常 心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 19

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/2/9 12:10
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

  コウリャン飯と米の飯 その1

        十三期二中隊三区隊 北原 秀信

 農作業のオヤツなどに、亀田製菓という銘柄の袋をよく見かける。
 かなり大きな菓子の工場があるのだろうと思って、百科辞典をみたら米菓を主とする食品工業も盛んと書いてある。
 別に菓子の事を書こうと思っているのではないが、この亀田町という地名を見る度に、五十六年前の少年通信兵時代の或る貴重な記憶が蘇るのである。
 昭和二十年七月だったか、或いは八月に入ってたか暑いときだった。
 二中隊はこの亀田町国民学校へ三日間泊まり込んで通信演習をした。他の中隊が県内の何処かの学校へ行っていて、 其処と無線通信の呼び出しを演習したのだろう。「ヤマ、ヤマ、ヤマ、ホへ、カワ、カワ、カワ」 等と、電鍵を打ったのだろうが、実は、この時の演習の内容は全然記憶していないのである。
 ここで書こうとしている貴重な思い出とは、これから後のことである。

 三日間の演習が終わって帰校する日は、亀田から村松まで行軍することになっていた。午後二時出発して明朝未明に村松校に到着するという日程が通達され、昼食時飯盒一ばいの飯と中食一ばいの新香が配布された。
 これは、二食分であって昼飯に半分食べ、半分は夕食用として背嚢に装着して行くように、と指示された。
 勿論、入校以来お麟染みのコウリャン飯である。入校当時始めはすんなり喉を通る様な飯ではなかった。
 日をつむってやっと飲み込むと言った感じの物であった。

 しかし、よくしたもので食べ盛りの少年時代、数日を経ずして味にもなれて日々の訓練の激しさに、腹も減って良く噛めばそれなりに味も出て、美味いと思える様になって来た。
 そればかりか、今度は飯が足らないと感ずる様になって来た。
 本来、百姓の子。戦時中とはいえ、食べ物だけは食い放題いささか胃拡張気味の胃袋には、軍隊ソングじゃないけれど「トンツー、トンツーも上の空、一膳飯とは情けなや」 といった様な状態だった。
 そこへ、久方振りの大盛りの飯である。猫に鰹節と言うべきか何と言うべきか、目の前に現にある飯を半分残して蓋をするなんて事は、胃拡張の胃袋にはどうにも我慢出来ない残酷な事である。

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