@





       
ENGLISH
In preparation
運営団体
メロウ伝承館プロジェクトとは?
記録のメニュー
検索
その他のメニュー
ログイン

ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失

心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 15

投稿ツリー


このトピックの投稿一覧へ

編集者

通常 心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 15

msg#
depth:
1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/2/5 7:33
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 三、関係者から寄せられた村松の思い出

 ついては、現在、私共の許に、戦後に数々の思い出や思いを綴った文章が残されていますので、次に、それらの中から数点を選んでみました。また、小島さんの文章は、町の「松の実会便り」からの転載で、更に、私(大口)の家族からの手紙はこれらとは少し違って、ご遺族が亡きお子様やご兄弟を偲ぶ縁ともなれば、の思いで当時の会誌に載せたものです。


 追 憶

 十一期四中隊一区隊 石綿 光

 何年もの間、所在の知れなかった村松少通校時代の写真が発見された。数枚の、そして長い年月の経過を物語る色あせた写真を手に取り冥想すると二十二年前の中学生だった頃の思い出が次々と浮んで来た。

 不思議なものだ。両親に内緒で願書を提出し、入学試験は東京の青山会館で夏休み中に受けたのだった。
 合格通知が自宅に届いた時の両親の驚きは如何ばかりだったのか、父親からは勘当だとも言われ、母親は何も言わずに眼に一杯の涙で見つめていた。

 昭和十八年十一月下旬、若冠十六才の美少年は上司、先輩、友人の武運長久の祈りをこめた寄せ書きの日の丸を十文字に勇躍として郷里を後にした。一時は勘当とまで怒りを示した父も新潟まで同行してくれた有難さは忘れることのない感激である。
 村松陸軍少年通信兵学校四中隊一区隊の一人となった私の軍服姿に目を輝かせ安心したような嬉しそうな顔で家道についたのも忘れられません。終戦後に母より聞いた話では私の軍服姿や内務班の様子について自慢一杯に絶えなかったそうです。

 翌十九年には私達の村松少通校の前住者であった山崎部隊がアッツ島での玉砕があり、楽しみにした休暇が七月にあったのはご存じと思う。久しぶりの家族一同再会の思い出の写真も若かりし父母や弟達の幼ない顔が残されていた。二十一年前の思い出の一端です。
 次に両親との面会は昭和十九年十一月三日でした。約一ヶ年の教育期間が過ぎ繰上げ卒業へのご配慮からでした。軍服に身体を合わせよと言われた頃に比べていくらかでも軍人らしくなったとほめられました。両親と肩をならべて村松駅まで送って行ったのも思い出されます。

 今この文を書き綴る私の頭上から亡き父母の写真が笑いながらうなずいているようです。

  (昭和六十三年・かんとう少通)

  条件検索へ