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心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 43

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通常 心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 43

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/3/9 8:12
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

  多感なる少年期の過大な代償 その2

 十九年十二月のマニラ到着当時は空爆に向かう日本空軍の勇姿も見られたが二十年二月には制空権を失っていたと思う。その頃、北方に向かう戦闘機一機の飛行が自分の見た最後の日本空軍の姿であった。

 物量による米軍の攻撃には、成す術もなく山中に後退することになり、部隊の任務も退却する兵士の援護などにあった。
 その後は、ヘリによる偵察と迫撃砲の砲撃を受けながら山奥へ山奥へと敗退することになった。此の頃から飢えと病気との戦いであり、食物の確保こそが生死の決め手になった。
 兵士の退路となった、山道や谷川沿いに横たわる死体に此の世の地獄を見た。生に対する執着心も日を追って無くしていったように思っている。

 終戦を知ったのは食物確保のため芋畑に居た時であった。ヘリが飛来し、又砲撃が始まるかと思っていると、ビラを撒きながら飛び去って行った。ビラで半信半疑ながら終戦を知った。要旨は大体以下のように記憶している。


 大日本皇軍将兵に告ぐ

 大日本帝国は天皇陛下の命により連合国側と講和するに至った事実をこの一紙を以って諸君に通知する。

 皇軍将校に告ぐ

 白旗をもって我が線に下れ、さすれば我が線に入るの事項を持ち帰らしむ。
 六十余年を経ても頭に残っているのは不思議である。
 米軍の誘導により五日程かかつての下山であった。
 PWの上衣を着て四ケ月の捕虜生活は収容所建設等が主な作業であったが、いつか帰国できるとの思いで悔しい事があっても耐えてこられたと思っている。

 昭和二十年十二月中旬 舞鶴に上陸 これでもって軍人としての自分の終結であった。
 少通校入校から二年間 多感な少年期の代償としては、余りにも過大であったと思う。

 今は、

 先の大戦におけるご苦労に対し
     衷心より慰労します。

 との 内閣総理大臣の 「額」 が唯一の証しとなっている。

 大戦で各地に散華した戦友少通兵の霊 安らかにお眠り下さい 

 
                     
 合掌

 (見事に咲いて!と祈る十月桜)

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