心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 25
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私の三月十日 その2
何時ものように空襲警報が発令された。家族の者は比較的のんびりとした気分で身ごしらえだけは整えていた。その内に警報が解除となり、今夜もこれで眠れるかと思いやれやれと気を抜いたその時であった。
どこからともなく飛行機の爆音が聞こえてきた。と同時に爆弾の作裂する音が耳に響いた。と感ずる間こそあれ、墨を流したような夜空が一瞬にして紅蓮のカーテンに変ってしまったのであった。「これは大変な事になったぞ」。空を見上げていた父が大声で叫んだ。
時計の針は午前零時を過ぎていた。
私は早速布団をまとめて母を伴い、百米程離れている荒川放水路の土手に妹と一緒に避難を開始した。未だ早目であったので他に避難をして来た人は余り居なかった。適当な場所を選び布団を敷き、その周りを荷物や布団で囲ってその中に母を座らせ、すぐ又妹と二人で荷物を運んだ。
その間に於ても低空で飛び交うB二九の姿は、焼ける民家の炎の反射で真赤に染り、まるで空飛ぶ赤鬼のように私の目には写った。
空襲前から吹いていた北西からの風が、空襲と共に益々強く、突風となって吹き荒んできた。風を避けるようにして運んだ布団が、荷物が、次から次からと飛び散る強さとなった。火は風を呼び、風は火を呼んだ。
母と妹に此処を離れない様にと言い残して、家に戻り防火に備えて空を見上げた。軒端から見るB二九は益々低空となって焼夷弾を落とした。強い風に流されて頭上を斜めに落ちてゆくのがこの眼にもはっきりと見えた。
今に落ちるぞ、今度は落ちてくるか、血走った眼で見上る空。
私の頭上にもいくつかは落ちてくるのではないかと思うと、緊張感で身体は固く硬張り、胸の鼓動は高鳴り、時間の経過など全く感じられなかった。
いつの頃だろうか。B二九の姿が視界から消え、爆音も静かになった。真赤に焼けていた夜空の色も次第に薄れてきた。
フーツと、一人肩で息をついた。「今夜の空襲もこれで終りだろう」、とつぶやいた父の声にハッと気がつき、堤防上の母と妹を迎えに行った。
確かに比の辺であった筈である。其暗な堤防では仲々見つからない。少々焦ってきた。大きな堤防の下から上まで運び出された荷物で一杯となっている。一歩一歩と、荷物を踏みつけ踏み分けながら探した。やとの事で荷物と荷物の間になかば失神状態の母を探す事が出来た。「家は焼けなかったよ」 と、一言伝えた。コクンと領いただけであとはうつむいたまま、動こうとはしなかった。
地獄絵のような恐ろしい比の空襲の有様を、堤防の上から目のあたりに見せられ、何時死ぬのかと思う恐怖で生きた心地は全くなかったものと思う。低空で飛び交うB二九の胴体からバラバラと落ちる焼夷弾を直接に見つめ、いつ自分の上にも落ちてくるのではないかと思う恐怖に、それはそれは恐ろしかった事であろうと察する事が出来た。
陽が昇ってから焼けた町内を見に行った。実に惨憺たる見るに耐えない現場であった。昨日まで在った知人の家がどこか、全く見当がつかない一面の焼野原である。その焼野原の中で彩しい死体が、様々な姿かたちで転がっていた。命を失った人間は物と同じだ。男女の区別すらつかない程に真黒く炭化してしまった物、子供を胸に抱えて防火用水の蔭にうづくまった姿のままの物、防空壕の中では折り重なって蒸し焼きにされ、ボロ雑巾のようになった姿、等々。実に傷ましかった。
この人達は皆、阿鼻叫喚の焦熱地獄の中で苦しみもがきながら死んでいったのであろう。
かわいそうに。