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心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 6

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通常 心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 6

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/1/27 7:56
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 二.十一期生、八百名が入校 その1

 一週間ばかり経って、校長以下将校、軍属(教授)下士官、兵、地元雇用人が整って、十二月一日の入校式に向けて諸準備をすることになった。

 兵営と練兵場は旧歩兵連隊であるから、そのまま使えるし、兵器、機材等も通信兵監部の動員室あたりで予め準備してあると見えて整っていた。将校は差し当って教育訓練も無いので練兵場の芝生に寝転んで戦場帰りの休養と言う人なども居た。

 将校集会所では毎日昼食を共にするので少尉は十人も居たが、その中で通信学校幹部候補生時代の同期に本間恭司と木下沢行が居た。その他は歩兵連隊出身者だと思った。

 中隊は第一中隊から第四中隊までで、各中隊は四ケ区隊編成であったが各中隊の第三、第四区隊長は少尉で幹候六期であることが後で判った。幹候五期は瀬崎中尉のように去る九月一日に中尉に進級したばかりだった事も後で判った。

 昭和十八年十二月一日、村松陸軍少年通信兵学校に生徒八百名が入校した。生徒は全国から数倍の試験を突破して合格した十五歳から十七歳の少年であった。
 村松少通校は歩兵連隊の跡に十月に開校したばかりなので生徒は同校の一期生であるが、少年通信兵生徒は昭和八年から始まっているので第十一期生となる。

 第九期生までは陸軍通信学校の生徒隊で教育したが昭和十七年十二月一日入校の第十期生からは新設の陸軍少年通信兵学校 (現在の東京都東村山市)で教育を行なうことになった。ところが、昭和十八年十月一日に新たに村松少通校が開校したので、今迄の少通校を東京少通校と称し、両校の新入生は第十一期生となす、十二月一日には両校に各八百名が入校した。

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