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心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 44

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通常 心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 44

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/3/10 8:04
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 五、慰霊碑の建立

 現在、村松碑には、先の大戦で散華された八百十二柱の少年通信兵の御霊が祀られていますが、元々少年通信兵の本流は東京東村山にあり、従って、本来なら慰霊碑も東京校跡に建てられるべきだったのですが、当時の風潮から、これを同市に建てることには自治体側から相当の抵抗があり、一時は建立そのものが暗礁に乗り上げかけたこともありました。それだけに、昭和四十五年十月、首尾よく村松碑が建立された時の関係者の喜びは非常なものがあり、その情況を一期生であり、当時区隊長も務められた本川栄吉氏が次のように綴られました。また、
 その後の十年祭の慰霊祭に参列された松谷千代様は、その時の思いを数首の歌に託されました。


   宿願を達成して
                 教官 本川 栄吉

 宿願達成の朝、記念すべき昭和四十五年十月十一日、夜来の暴風雨は一過し洗い浄められた村松の大地に、木々に、草々に朝の光がさん然と綽いた。前日までの悪天候が拭ったような快晴に一変したのである。誰しもが奇跡を思い厳粛に英霊のご加護を思わずにはおられなかった (因みに翌十二日は再び雨天に戻った)。

 全国少通連合会員その他の多くの人々、ならびにご遺族方の長年の念願協力が実を結び、今ここ村松少通校々舎を見下ろす岡の上に戦没陸軍少年通信兵の慰霊碑が姿を現した。

 真新しい碑前に高々と奉読されゆく懐かしい百九十九柱のご氏名が萬感を伴って耳柔を打つ。大地の間この声のほかに声なく、粛々として神気あたりを払う。ご遺族の、そして会員の体が打震え感動の涙が頬を伝う。この一瞬のために歩んできた長い道坂のこと、この日を待たたずに逝かれた方々のことがふと頭をかすめる。

 献花の列が長々と続く。わが子、わが兄、わが弟のおもかげを偲び菊花を捧げて深々と拝まれるご遺族、校友の名を呼び微衷を花に託す会員。碑前を埋め尽した菊花が英霊の勲を糞えて秋空に馨る。
 自衛隊音楽隊によって力強く少年通信兵の歌が奏せられ、四百余名の大合唱が練兵場の澄み切った空気をゆり動かし愛宕の山にこだまする。

 東亜に誇る日の本の
  皇国の楯と選ばれて………

 ああこの歌が絶えて二十有余年、思えば長い忍従の年月であった。今こそ再び思い出の山河に少年通信兵の歌がとどろく。
 在天の英霊よ聞こしめせ、兄等と共に歌ったこの歌を--。
 白山よ、菅名岳よ、早出川よ、歓喜して我等の歌に和せ--。
 草深き校舎に生色甦えり、校門の老松懐旧の念いに突く。秋晴れの村松平野に繰りひろげられた一幅の絵巻物のような除幕式、それは私の戦後における最も幸福な、また充実した一ときであった。

 (昭和四十五年・むらまつ)

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