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心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 4

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通常 心のふるさと・村松 元少通生らが寄せる村松への思い 4

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/1/25 8:10
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

  村松と私、思い出す健に
    ―――「回想・私の昭和」より抜粋
              教官 渡部 善男

 一.東京少通校から村松少通校へ その1

 昭和十八年九月下旬になり「村松陸軍少年通信兵学校生徒隊勤務を命ずる」 の辞令を受けた。新潟県村松町に在る、新しく出来る村松陸軍少年通信兵学校に行けと言うのである。少通校からは将校では生徒隊長の渡辺利興中佐と私だけだった。渡辺中佐は新しい学校の生徒隊の基礎を作るために赴任することは判るが、私は六月一日に来たばかりで漸やく生徒の顔も覚えたのに転任とは残念だった。それに村松とはどんな町であるか、学校施設はどうなっているのか何も知らないので不安だった。
 然し、南方では戦争をしているのに内地での転任に不平が言えるものではなかった。

 発令されたからには早く出発しなければならぬと思い準備にかかった。
 家財道具と言っでも将校行李と布団と衣類の他は小さな食卓と食器ぐらいであった。妻は近くに住む叔父に荷造りを頼むから先に出発するよう言うので、私は単身武蔵野を後にした。

 上野駅から上越線で加茂駅に降り、蒲原鉄道に乗り替えて村松駅に着いた。駅から少し歩いて左に曲り、住民に聞いて兵営の方に三十分も歩いて突き当りが、旧歩兵連隊の正門だった。正門を入ると左側に衛兵所が在り衛兵の敬礼を受けた。私の前に拓けた営庭(校庭)は青森の電信第四連隊と似ていたがそれよりも広いと思った。

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