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 文集   2015.1.1更新

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  • [No.7270] Re: 忘れ路の北イタリア〜2 投稿者:ザックス  投稿日:2015/09/10(Thu) 09:03
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    >行けども行けど空中に赤やピンク、グリーン、青やセピア、黄色、色とりどりの雨傘が中空から吊る下がり、この下を歩くと、なにがしか開放感のようなものが味わえる。ただ、

    私はヤクルトファンな紋で、傘は大歓迎です。

    いつも博識をよんで感謝です。

    来週は「北イタリアの旅」という、旨いものを食う会が半蔵門であるので、助かりました。どんな料理か、楽しみです。ワインもその辺のが飲めるようで・・・。


    [No.7269] Re: 忘れ路の北イタリア 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/09/07(Mon) 23:28
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    画像サイズ: 720×405 (76kB)
    シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」で、一番大事なのはおそらく第2幕の第2場だろう。ここには有名なバルコニーのシーンが出て来るからだ。

     これは第2場の始まりのところで、ジュリエットの家の庭に侵入したロミオが暗がりでつぶやくことばである。

     ジュリエットの家の壁に、たしか30年前に来た時はなかったと思うが、だれかの入知恵であとから取り付けたものであろう。


    [No.7268] Re: 忘れ路の北イタリア 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/09/07(Mon) 14:37
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      ^メ^〜ラさん、レス、ありがとう。みなさん、こんにちは

    >   ヴェローナは一度訪れ 下記の場所の写真が有りましたので
                        アップしてみますね。
    >   >「ブロンズでジュリエッタのあで姿」
    >   >「その後恋の守護神、ジュリエットにあやかろうとみながみな彼女の右胸ばかり触    りまくるのでついに右だけが異常に消耗し」
    >   > 2014年に2代目が作られ中庭の同じ場所に設置された
        
    >     ※ 映像が ぼやけていますが (^^ゞ
    >       丁度 男性が 触りに寄って来てますね (^^♪
    >       この写真は 2014年3月 ですから 像は 新&旧 ??

    >       建物の壁に格子の柵があり 小さい「鍵」が沢山掛けられています
    >       「恋結び」の願望でしょうか?

    これは恐らく『愛の南京錠』とか呼ばれるもので、パリのポンデボザール橋あたりが始まりではないでしょうか。その後各国で大流行し、パリの橋では重さが全体で50トンにもなり、とうとう欄干の一部が壊れてしまいました。そこで、市当局によって、鍵をつるすことは禁止となり、その後、鍵が下げられない構造に改められたようです。

     たぶん、ヴェローナは、パリほどの観光客が集まらないのでしょう。

    >       相変わらず 大勢の人で賑わっていました

    >     いつも 面白く参考になる話題を 有難うございます。

     いえいえ、どういたしまして。                          


    [No.7267] Re: 忘れ路の北イタリア〜2 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/09/07(Mon) 00:29
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    画像サイズ: 540×303 (56kB)
    >  また、フェッラーラは、スペインから追い出されたユダヤ人を大量に受け入れた町としても知られていて、ユダヤ系の家に生まれた地元の作家、ジョルジョ・バッサーニも、そのことに触れている由。あっしも、ヒマが出来れば、バッサーニの「フィンツィ・コンティーニ家の庭」(ヴィアレッジョ賞受賞)でも、ゆっくり読んでみたい。

    あっしらが知らずに写真を撮っていたマッツィーニ通りはもともとゲットーのあった地域で、しかも写真の建物は、地味で気が付かなかったが、現役のシナゴーグ(ユダヤ教の教会)でありかつ、ユダヤ博物館だったらしい。

     ここには、シナゴーグが複数あったが、戦争中にファシスト達の手で破壊された模様。95番と云う数字はマッツィーニ通りの番地を意味する。


    [No.7266] Re: 忘れ路の北イタリア 投稿者:メーラ  投稿日:2015/09/06(Sun) 17:17
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    画像サイズ: 400×300 (44kB)
      
      紋次郎さん こんにちは

      ヴェローナは一度訪れ 下記の場所の写真が有りましたので
                        アップしてみますね。

      >「ブロンズでジュリエッタのあで姿」
      >「その後恋の守護神、ジュリエットにあやかろうとみながみな彼女の右胸ばかり触    りまくるのでついに右だけが異常に消耗し」
      > 2014年に2代目が作られ中庭の同じ場所に設置された
        
        ※ 映像が ぼやけていますが (^^ゞ
          丁度 男性が 触りに寄って来てますね (^^♪
          この写真は 2014年3月 ですから 像は 新&旧 ??

          建物の壁に格子の柵があり 小さい「鍵」が沢山掛けられています
          「恋結び」の願望でしょうか?

          相変わらず 大勢の人で賑わっていました

        いつも 面白く参考になる話題を 有難うございます。

                              ^メ^〜ラ


    [No.7265] Re: 忘れ路の北イタリア〜2 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/09/06(Sun) 13:30
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    画像サイズ: 560×315 (85kB)

    >  実に見事だった。通りの名は(あとで分かったがマッツィーニ通りだった)覚えていないが、それは50メートル以上もあっただろうか。行けども行けど空中に赤やピンク、グリーン、青やセピア、黄色、色とりどりの雨傘が中空から吊る下がり、この下を歩くと、なにがしか開放感のようなものが味わえる。ただ、この街は自転車乗りでも有名で、歩く人と同じくらいの数の自転車が走りまわっているので、上ばかりのんびり眺めてもいられない。じつは、

    写真は、その雨傘の競艶会の様子。


    [No.7263] 忘れ路の北イタリア〜2 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/09/06(Sun) 11:47
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    画像サイズ: 490×288 (78kB)
    フェッラーラには初めて行った。あまり下調べをしなかったので何があるのか知らなかった。ところが、ここはかの有名なジローラモ・サヴォナローラの生誕の地だった。

     よくよくあっしらは、サヴォナローラに縁があるらしい。というのは、30年前初めてのカイガイで、フィレンツェを訪れたが、この時、シニョリーア広場で彼が火刑に処せられた場所を発見したからだ。

     その時はまさか、将来彼の生誕の地を訪問することがあるとは夢想だにしなかった。大体彼は罪びととして処刑されたのだし、どの本を見ても称賛しているものはないはずである。しかし、過日、渋谷のBunkamuraで「ボッティチェリとルネッサンス 〔富と美〕」展を見たとき、彼の存在価値を発見した。

     あっしらは、サヴォナローラは狂僧であると教えられていたが、果たして彼をこの一語で葬り去っていいものか。メジチ家の政治は正しかったのか。かなり乱れていたのではなかったか。やはり、社会にはある程度の節度というものが必要ではないのか。

     わが国でも、寛政のころ奢侈禁止令がでたりした。これに従わないものは幕府の容赦ない弾圧を受けた。火刑こそなかったが、歌麿の危な絵は狙い撃ちにされ、京伝などは手鎖の刑に処せられた。

     思うに、行き過ぎの面があったからだと思う。サヴォナローラだってかりそめにも修行僧だから、相当の信念をもってやったに違いない。その証拠に、「ヴィーナスの誕生」で有名なボッティチェリなどは、サヴォナローラの考えに共感し、晩年その作風を変えたと云われている。

     サヴォナローラの話はこの辺にして、次はフェッラーラの『アンブレラ祭り』について。6月の旅行で、フェッラーラを訪れた時、旧市街でなにか変ったイベントをやっているに気づき、好奇心だけは旺盛なあっしらは、さっそく見物することにした。

     実に見事だった。通りの名は(あとで分かったがマッツィーニ通りだった)覚えていないが、それは50メートル以上もあっただろうか。行けども行けど空中に赤やピンク、グリーン、青やセピア、黄色、色とりどりの雨傘が中空から吊る下がり、この下を歩くと、なにがしか開放感のようなものが味わえる。ただ、この街は自転車乗りでも有名で、歩く人と同じくらいの数の自転車が走りまわっているので、上ばかりのんびり眺めてもいられない。じつは、


     この催しは、今年の5月1日から6月の30日までで、「雨傘満開の空」と銘打って行われ、商店街の販売増進のため企画されたようだ。あっしらは期間中の6月10日にこの街を訪問した。

     これは今年だけの催しのようだが、8月には毎年ブスケルズ・フェスティヴァルというものがあり、これには外国からもミュージシアンや大道芸人が大勢集まって、あちらこちらで色々な得意技を披露したらしい。

     また、フェッラーラは、スペインから追い出されたユダヤ人を大量に受け入れた町としても知られていて、ユダヤ系の家に生まれた地元の作家、ジョルジョ・バッサーニも、そのことに触れている由。あっしも、ヒマが出来れば、バッサーニの「フィンツィ・コンティーニ家の庭」(ヴィアレッジョ賞受賞)でも、ゆっくり読んでみたい。

     あと特筆すべきはこの街には、クラウディオ・アッバードがタクトを振る交響楽団があるのだとか。

     写真は、30年前あっしが偶然に発見した、サヴォナローラ火あぶりの刑の跡を示すマンホール上の文字。 (つづく)

     


    [No.7262] 鉄輪 投稿者:たか華  投稿日:2015/09/04(Fri) 20:01
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    横浜能楽堂で「伝統芸能の今・2015年」の公演があった。
    猿之助が「葵上」「鉄輪」を舞うのをネットで知り買った。
    この公演は2009年から続いており「世界の子供にワクチンを」というチャリティー企画。

    「組曲百花」
      藤原道山(尺八) 高妻浩光(津軽三味線) 亀井広忠(鼓) 田中傅次郎(太鼓) 村治泰一(ギター)
      そして、坂口貴信(謡)
      錚々たるメンバー出演でびっくりした。
      やはり一流のプロは違う・・・素晴らしかったぁ〜!
      謡は「鉄輪」の一部を謡った。 
       ≪いでいで恨みをなさんと、しもと振り上げうわなりの 髪を手にから巻いて
         打つや宇津の山の夢幻と わかざる浮世に 因果はめぐり合いたり・・・≫
      威厳のある唄声はまだ耳に残っている。

    「葵上」
      猿之助は日本舞踊は上手だ。
      先月歌舞伎座で「男の花道」を観に行ったが、「八百屋お七」を人形振りで踊った。
      身のしなやかさ、手振りの美しさ、観客を魅了する。
      しかし「葵上」は私の師匠の上手さには適わなかった。
      こんな事言ってごめんなさい。

    「鉄輪」
      この舞を観たいと思っていたが、猿之助の朗読と舞だった。
      少しがっかりしたが、目を瞑って朗読を聴いていると場面が浮き出て怖ささえ覚えた。
      能を柔らかくしたのが地唄舞の「鉄輪」だが、結構体力を使う舞だ。

      自分を捨てて新しく妻を迎えた夫に恨みを果たしたいという女の嫉妬。
      丑の刻に草深き道を急ぎ「貴船(キフネ)神社」に向う女の姿。
      鬼になって無念を果たしたい! 手に人型・火を灯した鉄輪を頭に頂き貴船神社に向う。
      しかし夫が頼った陰陽師が神々を呼び出し祈祷し、鬼になった女は適わず。
      一先ずは引き下がるが時を待って復讐を誓う。
     
      三年前に友人達と貴船川床に行ってきた。
      その時に貴船神社にお参りしたとき、傍らに小さな能舞台があった。
      「鉄輪」と祭ってあった。
      男と女の絡みは今も昔も同じだが、今はすぐに殺してしまうが昔は怨念で殺す。 
      怨念は恨みが籠って怖い・・・

    メロウ倶楽部の全国オフは今年は九州。
      別府温泉近くに鉄輪温泉があるのを知った。
      「かなわ」とは言わずに「かんなわ」と言うのだった。
     
    来年5月、国立劇場で私は「鉄輪」を舞う。
      女の怨念・・・何もないけど舞込むしかないわ〜 何とかなるだろう〜


    [No.7261] Re: 忘れ路の北イタリア 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/09/03(Thu) 20:54
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    画像サイズ: 560×374 (77kB)

    >  長くなって恐縮だが、じつは 7月にミニミニイベントを催したのだが、その際、シェイクスピアがパクったイタリアの悲話、この訳本も展示した。ここでタイトルに注目して頂きたい。「ロミオとジュリエット」ではないのだ。いつから、ジュリエットでなく、ロミオが先になったのか。 

    また、この小型本でも、そのようになっていた。これは音楽出版で有名な「リコルディ」社から出たオペラのリブレットである。  


    [No.7260] Re: 忘れ路の北イタリア 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/09/03(Thu) 20:43
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    画像サイズ: 379×630 (57kB)
    >  長くなって恐縮だが、じつは 7月にミニミニイベントを催したのだが、その際、シェイクスピアがパクったイタリアの悲話、この訳本も展示した。ここでタイトルに注目して頂きたい。「ロミオとジュリエット」ではないのだ。いつから、ジュリエットでなく、ロミオが先になったのか。

    この「ジュリエッタとロメオ」の開祖、ルイジ・ダ・ポルトだけでなく、イタリアでは、ジュリエッタを先にするものがある。ジュリエッタの家と云われているところで、購入したガイドブックでも、ご覧のとおり、そうなっていた。 


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