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 文集   2015.1.1更新

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  • [No.7606] Re: 37年ぶりの小樽 投稿者:GRUE  投稿日:2016/05/21(Sat) 19:35
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    小樽は趣のある北国の港町で、大変風情がありますね。
    行ってみたくなりました。


    [No.7605] 37年ぶりの小樽 投稿者:KANCHAN  投稿日:2016/05/21(Sat) 17:12
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     私は1977年から2年間富士銀行の札幌支店に勤務した。富士銀行は小樽に支店を持っていたが、地域の衰退に見切りをつけて、昭和40年代になって閉店していた。取引先の一部が札幌支店に継承されていたので、渉外担当の私は月に一度は小樽を訪れていた。小樽にはそれなりの思い出がある。しかし、札幌から本店に異動になって以降、私は札幌には何度か行っているが、小樽には一度も行っていなかった。

     その後の小樽は、運河を整備したり、ガラス細工の工場を誘致するなどして、観光都市として、雰囲気は随分変わった。

     今回のツアーで、他のメンバーは、お土産店の並ぶ商業地区へ出かけて行ったが、私は運河周辺を歩いていて、何台か待機している人力車の若い引き手をかまっているうちに、つい乗ってみたくなってしまった。けして安くはなかったが、80歳の記念にいいかなと思ったものである。

     車夫?は背が高く、かっこがいい若者である。私が約40年前の小樽のことを話し始めると、彼は「ヘーエ」と感心してから「私はまだその頃生まれていませんでした」という。当たり前の話だ。しかし私はショックを受けてしばし黙ってしまった。

     彼は、えっさほいさと陣を引きながら、小樽の歴史を話してくれた。大きな3階建ての倉庫の前では「これは日露戦争の前からあったものです。ロシアの偵察艦がやって来てこれを見て、日本強し、として攻撃を取りやめたといいます」という。

     貿易や、ニシン漁で巨万をなした資産家たちの、往時をしのぶ建物を案内してくれたが、富士銀行の前身である安田銀行小樽支店の建物を見たときには、思わず胸がじんとなった。

     車夫は小樽商大の学生であるという。卒業後も小樽のために働きたいという。私はそれを聞いて、気持がよかった。と同時に私は、札幌支店時代のあることを思いだした。
    私は採用担当もやっていて、小樽商大には何度か行ったこともある。そして私はほれぼれするような学生を見つけた。実はこの車夫に似ていたのであるが、彼は小樽商大の野球部のショートをしていた。

     私は早速推薦書を書いて本店に送り、本店役員の面接も好成績で採用が決まった。私はいい人材が採用出来て得意満面であった。

     ところがである。卒業時期になって、彼が突然やって来た。実は教科の単位が不足になり卒業できなくなってしまったというのである。それでは銀行は採用できない。

     今回、私は、彼はどうしただろうと気になった。あるいは彼は銀行ではない別の業種に進んで、その方が良かったのではないかとも思った。一人の人生は一本しかない。

    (2016.5.21)


    [No.7604] 元気な80代の秘密 投稿者:GRUE  投稿日:2016/05/21(Sat) 16:58
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    最近80代が元気という声をよく聞く。

    一体どこにその秘密があるのでしょうか?

    テレビや新聞でもそのことが話題になり特集が組まれて
    います。

    それらからの報告によると、

      共通するのは、毎日を前向きに暮らしていて、
      体を動かしていること。そして、世の中や他人の
      ためになっているという生き甲斐を持っていること。

    とのことです。

    さもありなんと思います。

    そして、これはなんとメロウ倶楽部の志と一致して
    いるのです。そのせいか、当メロウ倶楽部の80代も
    元気な会員が多い。

    この年代は、「年だから」と言って一律に判断するので
    はなく、個々の人をこそ見てあげないといけないと
    思うこの頃です。


    [No.7603] マッサンを偲ぶ 投稿者:KANCHAN  投稿日:2016/05/13(Fri) 21:27
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    画像サイズ: 299×334 (46kB)
     4月の25日から、2泊3日で、北海道道南へのツアー旅行に行って来た。行きは飛行機であったが、帰りは開通したばかりの北海道新幹線がセットされていた。あたらしもの好きの私は、この話に飛びついた。

     最初の訪問地は余市のニッカウヰスキーの工場であった。

     NHK朝の連続テレビ小説「マッサン」の放影は、2014年9月から2015年3月であったが、私は毎朝、驚きを持って視聴していたものだ。

     私には日本人と、スコットランド人の女性が恋に落ちるという話が先ず興味深かかったのである。二人の結婚は大正9年(1920)とされているが、その当時の日本は西洋から見たらまだ後進国であったろう。そんな日本人の男性のところに、目の青い嫁さんが、将来の生活の不安がいっぱいであったろうに来てくれたという。ニッカウイスキーの創設者竹鶴政孝(TVでは亀山政春)という人はやはり大変魅力的な御仁であったのであろう。

     国産ウイスキーの開発の苦難の物語はドラマに詳しいが、私は資料館で竹鶴政孝の妻リタ(TVではエリー)の写真を見、解説を読んで胸を打たれた。

     戦争中、彼女は敵国人として、周囲から白い目で見られ、外出もままならなかったという。彼女は子供に恵まれなかった。養女をとったが、晩年、彼女と養女夫妻の仲は良いものではなかったという。彼女は1961年64歳で亡くなった。マッサンこと竹鶴政孝は1979年に85歳で亡くなったが、リタのいない晩年はさびしかったであろう。

     余市のニッカウイスキーの工場は、乾燥棟や蒸留棟等赤い屋根の建屋が中心であったが、一部に青緑の屋根の旧事務所や、竹鶴邸が配されて、まるで遊園地のように見えた。

     素晴らしい天気で、真っ青な空が印象的であったが、冬は雪に覆われまったく別の様相となるのであろう。そのような中での、夫妻の生活に思いをはせたものであった。

     ところで、私の英語の先生は、リタと同じスコットランド・クラスゴーの出身である。竹鶴夫妻とは逆で、彼は留学中の米国で、我孫子出身の女性に会い日本へ来てしまった。娘さんは一時ロンドンに留学し、今はソフトバンクに出ているが、長男は近くに、子供たちに英語に親しんでもらうための幼稚園のようなものを経営している。ここにも日英の文化交流を身を持って実践しているすばらしい人達がいる。

    (2016.5.7)


    [No.7602] パルミラに平和戻る 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2016/05/06(Fri) 22:23
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    > 「イスラム国」(IS)によって占拠されていたシリア屈指の世界遺産
    > パルミラが奪還されたとのニュースを聞いた。

    文化にマッタク理解のないバーバリアンISのやからをなんとか追い払って、いま平和の戻ったパルミラの地に、美しい楽の音が響き渡った。

    楽団はロシア、サンクトペテルブルク在のマリインスキー劇場付属オーケストラ。指揮棒を振ったのは、ワレリー・ゲルギエフです。

     なお、氏は現在ゲオルク・ショルティ創設のWorld Orchestra for Peaceの指揮者を務めているそうです。また、2004年には来日し、サントリーホールで公演を行っています。


    http://video.repubblica.it/dossier/iraq-avanzata-is/palmira-il-concerto-dell-orchestra-di-san-pietroburgo/238365/238222?ref=HREC1-13


    [No.7600] 五月の川柳 投稿者:酒井 のぼる  投稿日:2016/05/01(Sun) 14:50
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    緑風の爽やかな季節がやって参りましたが お変わり御座いませんでしょうか


           五月の川柳です

      賽銭が 届かなかった この地震

      燃費嘘 スリーダイヤが 石となり

      燃費嘘 命に関わる 事で無し

      トランプが 勝てば国民 ババを引き

      エンブレム 日本の粋を 知らしめる

      揉めごと エンブレムの次 聖火台

      別荘の 湯に都政など 忘れ去る

      交付金 不倫してても 貰えます

      問題は 発言なのか 人なのか

      越後屋が 今も健在 永田町

      政治費の 処理の仕方 秘書の腕

      不履行で 言えなくなった マニフェスト

      脛に傷 文春には 近ずくな



      スマホ見る 俺と話すか どっちなの

      どうしよう 金持ちえの プレゼント

      育児書に 殺すなよと 追加する

      白黒の TVで探した 青い鳥

      紙風船 くれた富山の 置き薬

      まだ女 紅の力を 借りる老い

      玄関に もう並ない 妻の靴      酒井 のぼる


    [No.7599] 生卵と三菱自動車 投稿者:KANCHAN  投稿日:2016/05/01(Sun) 14:38
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    画像サイズ: 361×469 (30kB)
     先日友人から耳寄りな情報をもらった。「YONEXのウォーキング・シューズの底材は、二階から生卵を落としても割れないで跳ね返るというよ。上野の松坂屋で売っている」

     私はこの話に乗った。私はここ数年来腰痛から来る足のしびれに悩んでいる。それで、いつも柔らかい底の靴を捜して来たのである。

     さて、早速上野の松坂屋に出かけた。入口のところのご案内カウンターで「YONEXのウォーキング・シューズはどこにあるか?」と聞くと、案内嬢は少し考えてから、スポーツ用品は隣のアネックス・ビルですという。ちょっと考えるところがすこし変だなと思いながら、本館を出てアネックスに行き、店員に同じ質問をすると、「ここにはYONEXのシューズは置いていません。本館の5階の紳士靴売り場へ行ってください」という。

     私は、何だ入口の案内嬢は、と気を悪くしながら本館5階に行った。するとどうだろう、そこの中年の店員が頷きながら「それは2階の婦人用品売り場の靴コーナーに置いてあります」という。私はびっくりした。 

     確かに、2階婦人用品の靴コーナーの端の方にYONEXの紳士用ウオーキング・シューズが数点だけ置いてあった。そこに特別な広告はない。ただ、靴に付いているタグには「生タマゴが割れずに跳ね返る」の言葉が書いてあった。

      私は試してから、足へのフィット感が気に入って買い求めた(約16千円)のであるが、店員はそっけなくて、会話はあまり弾まないままであった。

     帰宅後インターネットで当該商品を検索すると以下のキャッチ・コピー広告があった。

      7mの高さから落とした生卵が割れずに4m以上跳ね返る!
      衝撃吸収度1.3倍 反発性3倍 筋肉疲労度10%減 重さ1/10

     これを見て私は三菱自動車の燃費改竄を思ったものである。燃費の算出については国が算出方法・基準を定めている。だから販売会社はそれをうたい文句にして販売戦略を展開し、消費者はその情報を頼りに製品を買い求める。三菱はこれらの数字を意図的に低くなるように操作していたから、罪は重い。

     YONEXの7mという数字については、まったく私的なものであり、買う方もあまり信用していないから、たとえ話として罪は軽いが、今回の松坂屋売り場での不可解な扱いには、裏に松坂屋かYONEXの誇大広告への自制心が働いていたのだろうか。

    それにしても三菱自動車には失望した。生卵をぶっつけてやりたい気分である。これで、車のスリーダイヤモンズのマークは、消え去ることになるかもしれない。

    (2016.4.30)


    [No.7597] 『東京国立近代美術館』へ行く 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2016/05/01(Sun) 14:25
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    きのうは東京へ出たついでに、生まれて初めて東京国立近代美術館(北の丸)と云うところへ行った。

     地下鉄の竹橋駅で降りるのも、何十年ぶりか。美術館は、駅を出て竹橋を渡るとすぐだった。

     実はここでは安田靫彦展が開催中だったが、まず常設展を観るのが先だろうと思い、これを観た。常設展は65歳以上であれば無料で観られる。

     常設展といってもケッコウ充実している。重要文化財も、確か2点以上あった。

     エロシェンコ像など、新宿中村屋関係の絵もつい最近みたように思うので、なにか懐かしい思いをしたが、一番印象に残ったのは、太平洋戦争を描いた、いわゆる戦争画で、実は前にここの展示を見たいと思ったのも、ここで特集した藤田嗣治展の、戦争画だった。

     藤田は戦争に協力したと方々から激しく非難され、ついにフランスから母国日本に帰ることなく、かの地に骨を埋めたが、当時は大観だって誰だってみな、協力者だったはずだ。

     この部屋に入れば、いかに多くの画家が戦争を記録したかが分かる。出陣寸前の特攻隊員の表情など、貴重な記録だ。あっしが、昨年見たいと思っていた、一般には挿絵画家として知られる、岩田専太郎氏の戦争画を初めてみた。

     それから、岡本太郎というのは、実は一度も本物を観たことがなかったが、ここでは何点か観られた。太郎の絵は、よくは分からなかったが、絵の美しさというより、絵の力は十分に感じられた。

     会場には多数の作品があったが、新しいところではジュリアン・オピーというひとの「日本八景」。これは新鮮だった。いごく(動く)絵というのは、たしかに一見の価値ありです。

    http://bluediary2.jugem.jp/?eid=1072


    [No.7596] Re: 「モナ・リザ」のモデルに新説 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2016/04/22(Fri) 23:39
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    >  モナ・リザのモデルについては、 最近ではあまり取り上げる人もなくなり、チョット淋しい思いをしていたが、ここに新説を引っ提げて登場した研究者シルヴァーノ・ヴィンチェーティがある。

    >  彼の言によれば、モデルは一人ではなく、二人おり、ひとりは女で、もうひとりは男

    だという。

    > 女はフランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リーザ・ゲラルディーニだという。男は、レオナルドの愛弟子、ジャン・ジャコモ・カプロッティ、通称サラ−イ。

    これは近年、盛んに使われる赤外線利用、赤外線撮影システムで撮影したところジャコモの顏が現れたらしい。で、

     この悪童を、ダ・ヴィンチが何と呼んでいたか。遺言のところには召使としてあるが、別の個所では(お気に入りの)弟子となっている。ま、その双方を兼ねていたのであろう。

     このジャコモについては、ある程度の説明が必要になって来る。ダ・ヴィンチは一生妻を持たなかったが、それでは身が持たなかったのか、ホモセクシャルであったことは今や常識で、その相手が同上のジャコモだ。

     あっしの思うには、このジャコモと作品のモナ・リザは、奇妙に酷似している。どの解説書にも、レオナルドは、生涯この作品だけは手元に置き、人に売り渡すようなことはなかったと書かれているが、このジャコモも同様で、1490年の7月に転がり込んで来てから☆、1519年に死去するまで29年間も手元に置き、旅行の際にもかならず同伴した。もちろん、呆れるほど素行の悪かったにもかかわらず★、遺言により過分の遺産を分け与えている。

     http://fractalenlightenment.com/it/19232/spirituality/pleasure-and-pain-a-saga-of-the-human-mind
         ↑         ↑       ↑
     これは一応『寓意画』となっていて、題名は「快楽と苦痛」だが、あっしはハッキリ言ってダ・ヴィンチとジャコモだと思う。左側の少年は、右手に葦竹、左手にお金をもち、右側の老人は植物、鋲をもっている。問題は下半身で、二人なのに、脚は二本、さらにふたりの体は背中で合わさり、一体となっている。

     「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の著書のある、東北大学の田中英道氏も、それがサライだとすればあるいは自分と少年の関係を意識して描いたのかもしれない、と綴っておられる。

     この悪童は、もしかしたら、ダ・ヴィンチにとって、ミューズのようなものだったかもしれない。というのは、前掲書によれば「モナ・リザ」や「最後の晩餐」といった、いい仕事は、すべてこの小悪魔が転がり込んだあとに描かれているという。

     前掲書に「少年の顏」の写真が入っているが、これを観ると、ジャコモというのは、なかなかの好男子である。

    ☆このとき、ダヴィンチ38歳、ジャコモはたったの10歳。 

    ★ガキの頃から手癖が悪くとは、よく聞く言葉だが、ダ・ヴィンチの手稿には、ジャコモの戦利品が、事細かく綴られている。







    [No.7595] Re: 不死鳥の門〜パルミーラ〜 投稿者:GRUE  投稿日:2016/04/22(Fri) 16:07
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    紋次郎さん、みなさん、こんにちは、

    >   イスラム国よ、思い知ったか。パルミラの門は何度でも蘇える。このたび、英京ロンドンの、トラファルガー広場に、シリアはパルミラの、ISが破壊した古代ローマのセプティミウス・セウェルス帝が造らせたという、あの凱旋門(記念門)が蘇えったのだ。

    嬉しいニュースです。パルミラは永遠に不滅ですよね。そうでなくてはいけない。
    どうだ見たかISめ! 言ってみたい。

    >  この精密なコピーは、イタリアはトスカーナの会社トールアートが、3dプリンターを駆使して実現したという。

    3Dプリンターーですか。大きいですが、部分的に作ってくみ上げたのでしょうか。

    >  本物そっくりのこの再生門は、この広場に3日間展示されたあと、ニューヨーク、ドバイ、ヨーロッパ諸都市を巡業することとなる。
    >
    >  日本や茨城は、ざんねんながら、巡業先のリストに入っていないらしい。

    残念。

    > http://www.corriere.it/foto-gallery/esteri/16_aprile_19/arco-palmira-distrutto-dall-isis-ricostruito-la-stampante-3d-ora-londra-a0b71780-063b-11e6-98ad-d281ab178a74.shtml
    >
    >  写真#1,9,11,13 背景の建物はナショナル・ギャラリーと思われる。それから#5、除幕式で演説するロンドン市長の、ボリス・ジョンソン氏である。

    ロンドンでですか? どこでも悔しく思ってるんですね。


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