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 文集   2015.1.1更新

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  • [No.7376] Re: あっしには大いに『かかわりのあった』本〜6 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/11/15(Sun) 22:44
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    画像サイズ: 630×471 (87kB)
    >  井伏さんは、荻窪に、自分の家を新築することに決め、それが出来上がるまで平野屋という酒屋に、一時下宿することにした。じつはこの建築で、ひと騒動あるのだが、ここでは、それは省略する。著者は、当時の荻窪の地理的状況を説明する。名前は書いていないが、ある原っぱを造成して、立派な邸宅の出来た話が、そこに出て来る。その邸宅こそ、何を隠そう。大政翼賛会副総裁、のちに内務大臣にまでなった、畏れ多くも(^_-)-☆、安藤紀三郎の住まいであった。なぜ、こんなことを書くかと云えば、ここは「現在、東信閣という三階建てのビルになって」という箇所を読んで、パッと閃いたことがあったからだ。

    >  実は、平成17年5月、あっしらは、荻窪の、名前も同じ「東信閣」というところで(杉並第一)小学校昭和18年卒業組の、同窓会をやったのを思い出したからである。で、当時の自作ヴィデオを取りだしてみると、まず間違いなく同じ建物らしい。幹事のK君にも、すでに確認済みである。

    紋次郎が21世紀最大の発見と豪語する(^O^)「東信閣」の写真がやっと、見つかったので添付します。これこそ、悪名高き大政翼賛会で大活躍し、あっしら臣民にデタラメ情報を流し続けた元凶、安藤紀三郎の住まいの成れの果てであります。

     「東信閣」は現在も盛業中のことと思います。


    [No.7375] Re: 十一月の川柳 投稿者:GRUE  投稿日:2015/11/15(Sun) 11:03
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    酒井のぼるさん、毎月の投稿ありがとうございます。

    社会の動きに常に目を届かせ、斜に構えての批判が面白いです。
    どのように切り裁くかなと思う話題を、このように斬ってくれたと
    思い、又、全く思いも寄らない斬り方もあって楽しめます。


    [No.7374] Re: マイ・スマホ 投稿者:GRUE  投稿日:2015/11/15(Sun) 10:56
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    KANCHAN、こんにちは、


    いつもエッセイを投稿して下さってありがとうございます。

    携帯(ガラケー)からスマホへの自然な変更のお話しありがとうございます。

    高齢者は、ガラケーをスマホに変更するかどうか、迷っておられる方も
    多いのですが、見事に乗り換え使いこなしているのが分かります。

    この過渡期はまだまだ続くようです。使い勝手など又情報を提供願います。


    [No.7373] Re: 2歳と102歳 投稿者:GRUE  投稿日:2015/11/15(Sun) 10:51
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    これもいい話ですね。こういうお話しを朝聞くと1日が楽しく過ごせます。

    > その中の細い道を歩いていたとき、保母に連れられた7,8人の保育園児らしい
    > 子どもたちが前からやってきた。
    > 「ごめんなさい。端っこを歩いて」など子らに言いながらあいさつをしてくれた。
    > 「かまいませんよ。どうぞ」と答えながら、
    > 「おはようございます」と子らに手を振ったり、顔を近づけ手を差し出した。手を
    > 出し広げてくれた子へ、手を合わせて、
    > 「ありがとう」など言ったりした。

    実は似たようなことを私もよく経験しています。

    朝ジムに通うとき公園を通るのですが、その横に幼稚園があります。
    9時頃とかには、若いお母さんが、子供を自転車の前の台に乗せて
    歩いていたりします。

    ついのぞき込んでしまうのですがどの子も可愛い。「あっ、可愛い
    ですね。何歳ですか?」と聞くと、若いお母さんはいっぺんに破顔して、
    返事をしてくれる。こちらもバッグを持って歩きだから近所の者と
    すぐ分かるらしい。幼稚園に送り届けたら多分仕事にでかけるので
    しょうか。

    幼稚園の帰りに会うと、子供がバイバイと言ってくれることもある。
    こういうやりとりはいつでも嬉しい。


    [No.7372] Re: おばちゃーん! 投稿者:GRUE  投稿日:2015/11/15(Sun) 10:34
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    あやさん、こんにちは、

    元気なMさんのお話し、ありがとうございます。
    思わず笑みが漏れてしまいました。元気をいただける
    のはこちらの方ですね。

    このようなお話しは滅多に聞けるものではありません。
    ホームへボランティア参加してのお話しですよね。
    その一片を聞けるだけでもありがたいです。

    これからもお願いします。


    [No.7371] Re: ワンピース 投稿者:GRUE  投稿日:2015/11/15(Sun) 10:27
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    「ワンピース」という題名からして??。

    たか華さんには和服のイメージしかなく、ワンピースやスカート
    姿は思い出せない。でも、ワンピースを着てみましたいう話かな
    と思ったが全く違っていた。(苦笑)

    このところ、来年春に備えて、色々なものを見てイメージ作りに
    励んでおられるのは承知していた。

    やはり、その一環であったんですね。

    スーパー歌舞伎と猿之助のことは聞いてはいたが丸で知らない。
    たか華さんが、面白いと感じ感動されるようなら、若者だけでなく
    我々でも見れるのかもしれませんね。

    お蔭さまで、又一つ世界が広がりました。いつか鑑賞してみたい
    ものです。

    ご紹介ありがとうございました。


    [No.7370] 『かかわり本』番外編〜2 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/11/14(Sat) 21:37
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    夢声は新宿の武蔵野館で得意の弁舌を披露していたらしいが、あっしは(もちろん、トーキーの時代になってからであるが)この映画館には何度か行った覚えがある。新宿にはそのほか、昭和館と云うのもあったはずだ。ムーラン・ルージュについては聞いたことはあったが、中へ入ったことはない。(1951年廃業とあるので、あっしの学生の頃まだ、営業していたらしい。)

     井伏さんによると、徳川夢声というひとは、洒落の名人であったそうな。すし屋で洒落を連発して、すし屋の主人が笑い転げたとあるが、酒の飲み方が尋常でない。飲むというより流し込むというのだ。

     あっしの思うに、人気絶頂の夢声にも、ひと知れぬ悩みがあったような気がする。井伏さんは、夢声とは将棋の会で、実際に会ったこともあるようだ。

     話は変わるが、次は、

     四面道の由来。四面道の名は、「荻窪の今昔と商店街之変遷」の著者、矢嶋さんによると、青梅街道と大場通りの交差する箇所が、四面道。四面道というのは元、秋葉神社の常夜灯のことであるらしい。

     江戸時代の末期に、常夜灯講中が建てた。秋葉神社は東京の秋葉原という地名の起こりにもあるように、火伏の神であるという。当時、江戸には火事が多かった☆ので秋葉神社も多かったのではないか。

     もと、四面塔とも、云ったらしい。あるいは四面体をしていたか。あっしは別に、四面灯も考えた。   

     また、長くなったので、「風土記」の感想はここで終わることにする。
                                     (完)

     ☆よくは覚えていないが、江戸に多いものを集めて「火事 喧嘩 伊勢屋 稲荷に犬の糞」とかってのが、あったような気がする。


    [No.7369] Re: 『かかわり本』番外編 投稿者:GRUE  投稿日:2015/11/14(Sat) 20:59
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    紋次郎さん、こんばんは、

    >  超ご多忙の中、丁寧なコメント、ほんとうに有難うございました。<m(__)m> 

    私こそ、読んでいただいて感謝です。

    > > この流れの中で、無政府主義者(アナーキスト)大杉栄に接近していったのは、
    > > 必然のことだった。神近市子と大杉を争い、壮絶な事件にまで発展した訳。
    > > 結局恩師でもあった辻順と別れ大杉と結婚。

    >  もしかして、これって、辻順ではなく、辻潤ではありませんか。

    その通りです。 辻順 → 辻潤 の間違いです。

    >ところで、
    > ウィッキー日本版の解説ではただ、翻訳家、思想家と切り捨てていますが英語版では、作家、詩人、エッセイスト、劇作家、翻訳家、ダダイスト、虚無主義者、美食家、尺八奏者、俳優、フェミニスト、ボヘミアン(浮浪者?)と随分詳しいですね。

    思想家ですから、一言で言えば、ダダイストというのでいいのではないでしょうか。
    他の諸々は、それを表現する手段ということになりそうです。全集を見れば、翻訳
    が多いようです。

    >  辻潤と云う人物。最後には、仏教にまで救いを求めるに至っては、しょうじき、支離滅裂というか、あっしには、理解不能の人物ですね。

    思想家ですから、宗教もその一部なんではないでしょうか。

    ダダイズムは、
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A0
    で大体分かりますね。

    1910年代、すなわち第一次大戦時代、日本では大正時代。つまり、大正
    デモクラシーの時代とオーバーラップしています。

    この時期は、激動の時代で、色々な思想が流行しています。その中で、どの
    ような思潮に関心を持つかは人それぞれなんでしょう。

    時代批判として、戦争に対する抵抗と虚無思想。彼がとらわれたのはこの方向
    のようです。そして、この方向でも、抵抗ではなく、虚無思想に傾いていった
    と思われます。抵抗が強まれば無政府主義とかに向かうのでしょうか。
    ただ、精神の自由の確保という点は重要なポイントであったと思われます。

    しかし、時代は、関東大震災や世界恐慌など、急速に悪化していきます。
    この中で、大正デモクラシーも抑圧され逼塞していきます。虚無思想も
    生きて行きにくいでしょう。ならば正面から向き合うか、それも彼には
    選択に入らなかったのかも。

    伊藤野枝は、極めてアクティブな女性です。社会を変える(女性の解放)を
    進めることに関心があります。辻潤から大杉に気持ちが移ったというのは、
    ありえます。そして、この気持ちを辻潤は認めてやった訳ですが、心安ら
    かであったとは思えません。

    こうしたことが辻潤の精神を狂わせていったと思われるのですがどうでし
    ょうか。時々半狂乱状態になり、最後は孤独な餓死でした。


    [No.7368] Re: 『かかわり本』番外編 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/11/14(Sat) 18:24
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      GRUE さん、こんばんは。

     超ご多忙の中、丁寧なコメント、ほんとうに有難うございました。<m(__)m> 


    > この流れの中で、無政府主義者(アナーキスト)大杉栄に接近していったのは、
    > 必然のことだった。神近市子と大杉を争い、壮絶な事件にまで発展した訳。
    > 結局恩師でもあった辻順と別れ大杉と結婚。


     もしかして、これって、辻順ではなく、辻潤ではありませんか。ところで、

    ウィッキー日本版の解説ではただ、翻訳家、思想家と切り捨てていますが英語版では、作家、詩人、エッセイスト、劇作家、翻訳家、ダダイスト、虚無主義者、美食家、尺八奏者、俳優、フェミニスト、ボヘミアン(浮浪者?)と随分詳しいですね。

     辻潤と云う人物。最後には、仏教にまで救いを求めるに至っては、しょうじき、支離滅裂というか、あっしには、理解不能の人物ですね。


    [No.7367] Re: 『かかわり本』番外編 投稿者:GRUE  投稿日:2015/11/14(Sat) 15:56
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    紋次郎さんの文章は全くよどみが無く話題は果てしなく広がって行く。
    あー、今日も又、道に迷ってしまった。帰り道はいずこにと探し回る
    ばかりである。

    こういう時は、どこかとり付けそうな部分を探してそこに食いつくに
    限る。全部食べようなどと決して思わないこと。食べれば、この小さな
    銀杏じゃなかった胃腸では、きっと消化を起こす。という訳で。

    >  また、おっかない女、神近市子さんのはなしも面白い。市子はもと、社会主義者の大杉栄の愛人だったが、大杉が心変わりをして、神近から伊藤野枝を愛し始めたことから、激高して大杉を刺し、2年間ブタ箱生活を送る。いわゆる、日蔭茶屋事件である。

    大杉栄と神近市子、伊藤野枝の関係はその通りだが、伊藤野枝とのことについて
    目が留まった。

    伊藤野枝については、まず青鞜社のことが挙げられる。1911年、青鞜社は
    平塚らいちょうらによって創刊された。1915年それを引き継いだのが、伊藤
    野枝。女性解放問題が生涯の課題。

    青鞜社に参加する前に、福岡糸島から上京し上野高女に入学し当時英語教師で
    あった有名なダダイスト辻潤と結婚していた。子供が2人いた。

    青鞜社で頭角を現し、与謝野晶子などの蒼々たる女性解放活動家と親交を深めて
    行った。

    この流れの中で、無政府主義者(アナーキスト)大杉栄に接近していったのは、
    必然のことだった。神近市子と大杉を争い、壮絶な事件にまで発展した訳。
    結局恩師でもあった辻順と別れ大杉と結婚。

    伊藤野枝の思想は急進化していったがそれも必然。1923年、関東大震災の際に
    大杉と一緒にいた所を、大杉の甥の橘宗一と共に、憲兵大尉甘粕正彦に虐殺され
    る。明らかに狙われていた。わずか28歳の無残な死に様が胸を打つ。

    実は、甥の宗一が米国籍だったために、米大使館に抗議され政府(軍部)はお慌
    て。しかし軍法会議で甘粕は死罪にはならず、満州に逃げていった。(この後、
    満州で元夫の辻順と甘粕大尉の再会の描写を読んだことがあるが、丸で、ピストル
    を抜かない決闘のような場の描写が壮絶であった。辻順は離婚しても野枝を愛して
    いた。)

    静岡市葵区に野枝が墓があり、「自由恋愛の神様」となっているようです。
    全集も出されている。

    辻順と野枝との間の長男が辻一(つじまこと)、彼のことも語り出せばキリがない。


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