昨日のアクセス数:     本日のアクセス数:     2015.2.7 以降の累計:

 文集   2015.1.1更新

ツリーは固定式です。 新着記事から読みたい場合は [新着順記事] をクリック、
新着タイトルを新規順に一覧したい場合は [新規順タイトル表示] をクリック願います。

ツリー全体を一括表示してご覧になりたい場合は、ツリー先頭部の ★ をクリック願います。

1.雑感、随筆(エッセイ)、詩歌など、ご自分の体験されたこと、創作されたものをご投稿願います。
2.投稿は他の会話型の部屋と違い「読み物」として扱います。従ってレスは必しも付きません。
3.投稿は、出来るだけ階段式でなく並記式をお奨めします。実例を参考にして下さい。


[トップページへ] [新規投稿] [新規順タイトル表示] [ツリー表示] [新着順記事] [ワード検索] [過去ログ]
[留意事項] [投稿の手引] [管理用] [問い合わせ]
  • 以下は新規投稿順のリスト(投稿記事)表示です。
  • 48時間以内の記事は new! で表示されます。
  • 投稿者のメールアドレスがアドレス収集ロボットやウイルスに拾われないよう工夫して表示しています。

  • [No.7844] Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2017/04/08(Sat) 17:34
    [関連記事URL:http://http:/


    画像サイズ: 352×470 (94kB)
      男爵さん、みなさん、こんにちは。

    >大変興味深い内容です。

     なにしろ、登場人物(緒方惟直の弟)の一人が、男爵さんと同じ、フライブルク大学の出ですからね。(^^♪

    > >  昨日の講演は、午後6時に始まりました。場所は九段。二松学舎の斜向かいにある、イタリア文化会館で、講師は大阪芸術大学の石井元章教授。演題は「明治期のイタリア留学 文化受容と語学習得」(約2時間)です。

    赤い建物が、講演のあったイタリア文化会館です。


    [No.7843] Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』 投稿者:男爵  投稿日:2017/04/08(Sat) 06:58
    [関連記事


    画像サイズ: 700×353 (31kB)
    唐辛子紋次郎さん、大変興味深い内容です。

    >  昨日の講演は、午後6時に始まりました。場所は九段。二松学舎の斜向かいにある、イタリア文化会館で、講師は大阪芸術大学の石井元章教授。演題は「明治期のイタリア留学 文化受容と語学習得」(約2時間)です。

    これですね。
    http://www.iictokyo.com/eventi/log/eid415.html

    > その留学生というのは全部で4名で、井尻儀三郎、緒方惟直、川村清雄と長沼守敬です。

    井尻儀三郎と井尻正二の関係はわかりませんが
    北海道小樽市出身の地質学者井尻正二は
    野尻湖湖畔のナウマンゾウの研究で有名ですね。

    井尻正二と湊正雄との共著を読んだことがあります。友人からすすめられて。
     『地球の歴史』《岩波新書》、1957年 
     『日本列島』《岩波新書》、1958年


    >  川村清雄の展覧会が、じつは5年前に、両国の江戸東京博物館で開かれたのですが、あっしは見落としてしまい、いまでも残念な思いで一杯です。

    2012年10月08日(月)〜12月02日(日)
    江戸東京博物館開館20周年記念特別展
     維新の洋画家 川村清雄
    https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/s-exhibition/special/2152/%E7%B6%AD%E6%96%B0%E3%81%AE%E6%B4%8B%E7%94%BB%E5%AE%B6-%E5%B7%9D%E6%9D%91%E6%B8%85%E9%9B%84/

    江戸博の友の会の会員である私は
    この特別展で下記の2点は見た記憶があるのですが、さだかではありません。
      川村清雄《江戸城明渡の帰途 (勝海舟江戸開城図)》 
      川村清雄《天璋院(てんしょういん)像》→ 将軍徳川家定の正室・篤姫

    > きょう、鴎外のドイツ日記を見たところ、1886年7月15日の項に、緒方収二郎を惟直の舎弟と書いています。
    >この日訪ねてきた長沼に、鴎外は君はイタリアにいるになら、惟直の墓のことを知ってるだろう、と尋ねています。

    幕末の一関に生まれた長沼守敬(ながぬま もりよし)は、明治時代に最も活躍した洋風彫刻家です。 高村光太郎の先生だったみたいですね。

    そういうわけで、岩手県立美術館に作品もあります。
    https://www.tohoku-bunko.jp/details/00109.html
     ◎長沼守敬(ながぬま もりよし)
     老夫/ダイバース博士像/ベルツ博士像/スクリバ博士像/長谷川謹介像/自作像
     ◎堀江尚志(ほりえ なおし)
      ある女/顔/松橋宗明像/少女座像/狗/トルソ/鯉/首/西君の像/兎/十文字大元像
     ◎舟越保武(ふなこし やすたけ)
      少女像/魚/萩原朔太郎像/R嬢/青い魚/高山右近像/原の城(頭像)/R嬢/原の城/LOLA
      /若い女の胸像/T嬢/ダミアン神父/道東の四季−春−/聖べロ二力/聖セシリア/吉田茂像/ゴルゴダ/マリアマグダレナ/聖クララ/樹木91-7

    >  さらに、翌日は長沼と連れ立ってミュンヘンの、ニュンフェンブルクというところへ
    > 出かけたりしています。ここにはバロック様式の宮殿があるそうです。

    ニンフェンブルク城 美しい建物と池
    以前にみんなで行きました。 そのときの写真でした。


    [No.7842]  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2017/04/08(Sat) 00:31
    [関連記事URL:http://http:/

     昨日の講演は、午後6時に始まりました。場所は九段。二松学舎の斜向かいにある、イタリア文化会館で、講師は大阪芸術大学の石井元章教授。演題は「明治期のイタリア留学 文化受容と語学習得」(約2時間)です。

     その留学生というのは全部で4名で、井尻儀三郎、緒方惟直、川村清雄と長沼守敬です。いずれもあっしにとっては初めて聞く名ですが、井尻はナウマンゾウの発掘で有名な井尻昭二と関係あるらしく、また緒方は洪庵の実子、ヴェネツィアで、イタリア婦人マリアと恋仲になり結婚。その後病を得て、1878年、妻マリア、子エウジェーニアを残し、ヴェネツィアで死去。その12年後にマリアも死去。遺児エウジェーニアは、その2年後に惟直の父が、日本へ連れ帰ったようです。

     惟直はヴェネツィア、サンミケーレ島内の、共同墓地に葬られました。この墓には、彫刻家、長沼守敬の作った、立派な墓碑があるといいます。石碑にはCorenao ★Ogataと俗名が彫られ、姓と名の間に、惟直の横顔が彫ってあります。

     川村清雄の展覧会が、じつは5年前に、両国の江戸東京博物館で開かれたのですが、あっしは見落としてしまい、いまでも残念な思いで一杯です。

     講演では、貴重な映像が次々に映し出され、大変勉強になりました。とくに印象に残ったのは、川村がヴェネツィアに滞在していた時、所属する美術サークルの会費を滞納したらしいのです。その時の催促状が、江戸東京博物館に所蔵されていること。その督促状が画面に写し出されましたが、これは石井教授が、2016年の地中海学会の月報で、すでに発表されたものです。

     講演中に、石井教授が森鴎外と緒方収二郎との交友について触れたのですが、収二郎というのを、惟直の父親と云ったように記憶していたのですが、聞き違いのようでした。

     きょう、鴎外のドイツ日記を見たところ、1886年7月15日の項に、緒方収二郎を惟直の舎弟と書いています。★鴎外はドイツに留学しましたが、収二郎もベルリン経由で、フライブルク大学に留学しています。この日訪ねてきた長沼に、鴎外は君はイタリアにいるになら、惟直の墓のことを知ってるだろう、と尋ねています。墓地の名を聞き出し「チミテロ、サン、ミキエル」と書きとどめてもいます。ということは、鴎外も機会があれば、惟直の墓参りをするつもりだったようです。

     さらに、翌日は長沼と連れ立ってミュンヘンの、ニュンフェンブルクというところへ
    出かけたりしています。ここにはバロック様式の宮殿があるそうです。


    ★「僕の東京を発するや、その舎弟にして僕の親友たる収二郎」とあるのです。

     


    [No.7841] 小さな花 投稿者:男爵  投稿日:2017/04/02(Sun) 10:45
    [関連記事

    雪が消えて
    草が大地から出てくるようになりました。

    まだ ほんの少しですが
    小さな葉が出てきて、まもなく小さな花も咲くでしょう。

    風はまだ寒いのですが、小さな葉や小さな花を見ると、なにか嬉しくなるものです。

    そういう小さな幸せを大切にしていきたいと思います。


    [No.7840] 『4月1日の珍事』 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2017/04/02(Sun) 00:07
    [関連記事URL:http://http:/

    メシヒコという国がオリンピックの開催国になった。隣国アメフリカでは、ドナルプと云う男が、幸か不幸か大統領にえらばれてしまった。

     ドナルプの初仕事は、メシヒコとの国境に、高い高い壁を作ることだった。ドナルプは、親父が左官だったし、子供の頃から親父の仕事を見ながら育った。いつかはきっと世界一の壁を作ってやるぞ。少年ドナルプは、小学校の作文で、そう書いた。

     ところが、ドナルプの国のオリンピック委員会は政府は、どうせ隣国だ、ちいさいヒコーキで十分だろう、それに輸送に大金を掛けると、また大統領令が発動されるかも知れないと、選手団の輸送に中型機をあてることにした。外国のヒコーキなら、大型機があるが、国産優先なので、致し方がなかった。

     それから幾年かたって、オリンピックの年が来た。選手団を載せた中型機がいざ、国境の壁を越そうとしたが、壁が高くて、何度試みても越せなかった。ドナルプは外国が嫌いなので、戻ってきた輸送機を見てすぐさま、オリンピック参加を取りやめることにした。
                         おわり


    [No.7839] とりかえばや物語 投稿者:男爵   投稿日:2017/03/31(Fri) 05:55
    [関連記事


    画像サイズ: 800×517 (76kB)
    「とりかえばや物語」
    田辺聖子がやさしく現代文に書き直していて中高生向き。

    平安時代にこんな作品があったとは。

    田辺聖子は、作者は絶対女性だと述べている。たしかに女性心理の描写は、男性には苦手かもしれない。
    田辺聖子は、(この物語は)女も才能があれば可能性が開かれるとして、フェミニズムを訴えているのが好ましいという。

    性同一性という問題を指摘している点では、現代的。

    物静かな兄が女として育てられ、活発な妹が男として育てられるという配置には驚いた。作者の着想に驚いた。

    これを読むと、手塚治虫の「リボンの騎士」を思い出した。
    リボンの騎士は、宝塚歌劇がヒントで、男装の麗人から、女の子でも(セーラームーンのように)アクションに活躍する少女たちの夢を漫画で表現したのでしょう。

    「大鏡」と「東海道中膝栗毛」は原作も参考にして、まったく別のアクションどたばた劇にしたものです。 小学生向き。

    「大鏡」の、道長が甥の伊周(これちか)との、弓の十番勝負のエピソードや
    「東海道中膝栗毛」で、五右衛門風呂で釜の底を下駄で踏み抜く失敗も書かれている。


    こういう本を入門書として
    やがて本格的古典にめざめていくというのも、いいかもしれない。

    大和和紀「あさきゆめみし」から大学国文科に進むケースも少なくないという。
    https://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%95%E3%81%8D%E3%82%86%E3%82%81%E3%81%BF%E3%81%97-%E7%BE%8E%E9%BA%97%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B9%E5%85%A5%E3%82%8A-%E5%85%A87%E5%B7%BB%E6%96%87%E5%BA%AB%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88-%E5%A4%A7%E5%92%8C-%E5%92%8C%E7%B4%80/dp/4069348522


    [No.7838] Re: ハイネについて思う 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2017/03/30(Thu) 23:16
    [関連記事URL:http://http:/

    男爵さん、みなさん、

    > 今でもドイツ語の先生たちは、ヒゲ文字を読めます。書けます。
    > ヒトラーが廃止したヒゲ文字。
    >  だからドイツ人の若者が、日本人のゲルマニストがヒゲ文字を読み書きするのを見て、感心するそうです。

     このひげ文字ですが、Sとfの小文字がほとんど同じなのです。かれらは母国語なので、平気なのでしょうが、外国人、とくに初心者はfかsかと迷い、苦労したと思います。違いは、短い横棒があるかないかだけなので、終戦直後など、紙がまだざら紙の場合は、fの横棒が消えたりすると、sにみえたりするので、大弱りだったと思います。当時は、印刷インクも、薄かったりしていたように思います。ところで、

     この本のもとの持ち主は「美しき五月」と「ローレライ」の二つだけに鉛筆で印をつけていますが、本は200ページもあるのですから、その人は、特別詩に詳しいひとでなく、
    たまたま知っているのが、この二つだったのでしょう。

     まあ、あっしだって、ショウジキ、この人とどっこいどっこいなのですが、実はほかにも有名な詩は載っているのです。たとえば「歌の翼に」というのがありますが、これにはメンデルスゾーンが曲をつけています。日本のコンサートなどでも、よく歌われています。「歌の翼」は、このレクラム文庫では66ページ、「美しき五月」からだと3ページ目に出ています。

     あっしの蔵書「やさしく歌えるドイツ語の歌」(田辺秀樹著NHK出版)だと、もう巻頭に出て来ます。

    > そのころの日記にも「アーベーツェーを習ひ初めて未だ二十日ならざるに、
    > 予は既にハイネ、シルレルの詩を十数篇読んだ。
    > 今は専心ハイネの『ブック デル リーデル』を辞書片手にひもといて居る」
    > と書いているそうです。

     あっしがいつもフシギに思うのは、定冠詞のderを、関口存男さんはその著書で、デルと振り仮名を振っていました。aberはアーベルです。啄木のLiederもリーデルです。

     しかし、ラジオやテレビで、実際にドイツ人の発音を聞くと、あっしには、デルはデア、アーベルはアーバーと聞こえます。どうして先人にはそう聞こえたのでしょう。

     鴎外もドイツでは、通訳までやったと云いますが、その発音はかなり酷かったのではないでしょうか。


    [No.7837] 四つの出会い 投稿者:あや  投稿日:2017/03/30(Thu) 18:06
    [関連記事

     しばらくぶりの買い物に行った。バスに乗ると通路側に座っていた年配の女性が窓際に移った。空き席が多かったが、そんなことで隣に座った。
     おしゃれなズボン、ベスト、帽子と同じ布地だったので、思わず、
    「すてきですね。おしゃれだわ」と言った。
    「姉が作ってくれたんです。88になりますが、茶道もやっていて教えています」などなどから始まり、7分位のバス中で喋りどうしだった。私は聞き役になったのである。友人のところから帰るとかで、ここには住んでいないと言っていた。それでも、
    「おきれいで上品でいらっしゃるわ」と言ってくださったことにうれしさを覚えた。

     スーパーへ着いたところで、
    「あやちゃん、久しぶり。Sちゃん元気で、デイサービスの仕事をしているわ。Hさんは食事サービスへ通っていて、二人とも元気よ」と言ってくださった。このSさん、Hさんは二十年も前になるか、一緒に活動していたのだ。
     この方には以前にもたまに会ったのだが、名前がわからない。どこでお会いしたのかも定かでない。
    聞くのもおかしいと思い、そのままにしている。S、Hさんの住む団地での出会いではないかと思っているのだ。今度会ったら、Sさんの部屋番号を聞いてみようと思った。最後に言ってくれたのは、
    「あやちゃん、ちっとも変わらないわね。きれいで若々しくシャキッとしていて」であった。

     そのあと近くのバス停を通りすぎようとしたら、そこに小学生か、道路に座っていた。以前にもで会った子と思えた。障害を持つような感じの子だった。
    「そこは道路で汚れているわ。ここへ座れば少しいいかもしれないわ」とバス停の下の丸くなった台を指さした。道路と同じような石で造られているが道路よりはいいだろうと思うのだ。
     すぐに立ち上がり、
    「ありがとう」みたいなことを言って座ってくれた。以前にも同じことがあったことを思い出したが、
    「よかったわ。さようなら」と終りにした。次も同じことを繰り返すだろうと思うが、素直さがうれしかった。

     その後のこと、公園の坂道を降りていたら、自転車のカギと思われるものが落ちていた。上には自転車が止まっていたので、戻って見たら三台の自転車があり、中学生くらいか男子達が何人かいた。
    「これ、自転車のカギかしら、そこに落ちていたの」とカギを見せながら声をかけた。みんな私のほうへ寄ってきたが先に来た男子が、 
    「ぼくのみたいだ」と言い、自転車の方を向いて、
    「ぼくのです。ありがとう」と頭をさげたくれた。
    「どういたしまして、よかったわ」と坂を降りかけたら、
    「ありがとうございました」となんとも言えない声で言ってくれた。うれしかった。

    そんないい出会いが四つも重なって、ルンルンな気持で家に入った。夫はまだ戻らない、食事の支度はまだいいかと、パソコンに打ち込んでしまった。
    午前中もパソコンをやりっ放しだった。夫の資料作り、年度末のため二つの役職の中の資料を作成、チェックなどをやったのだ。そんな一日が終ろうとしている。

    2017−03−30


    [No.7836] Re: ハイネについて思う 投稿者:男爵   投稿日:2017/03/30(Thu) 16:38
    [関連記事

    唐辛子紋次郎さん、みなさん、こんにちは。

    >  ところで、学生時代、英語の先生はチョット変わった方で、英語の担当なのに授業中にこのドイツ語の詩、春の来た喜びを素直に歌った『美しき五月に』を教えてくださった。大昔のことなので出だしのところしか覚えていない。あっしらの頃は、ドイツ語はすべて髯文字だった。

    今でもドイツ語の先生たちは、ヒゲ文字を読めます。書けます。
    ヒトラーが廃止したヒゲ文字。
     だからドイツ人の若者が、日本人のゲルマニストがヒゲ文字を読み書きするのを見て、感心するそうです。

    さて
    啄木は金田一京助の助けで
    ドイツ語の独修をはじめたのです。

    そのころの日記にも「アーベーツェーを習ひ初めて未だ二十日ならざるに、
    予は既にハイネ、シルレルの詩を十数篇読んだ。
    今は専心ハイネの『ブック デル リーデル』を辞書片手にひもといて居る」
    と書いているそうです。

    啄木は、しかし
    この『Buch der Lieder [ブーフ デァ リーダー]歌の本』も最後までは読まなか
    ったようです。
    まあ、啄木に対するハイネの直接の影響はなかったと思います。

    >....実は、この本については、もうひとつ、思い出がまつわりついている。

    >  それは、本に貼ってある小さなシールで、東京泰文堂と書いてある。これはその本を売った古書店の名前で、もうこの店主は、とっくに店をたたんで神保町にそう云う屋号を持った店はない。店主も相当昔に、他界されたはずだ。本には最後尾に、もう一枚シールが貼ってあり、それには渋谷道玄坂、近藤書店と記されている。

    とても貴重な本ですね。

    >  ちなみに、この詩集には、日本人なら誰でも知っている「ローレライ」も収録されている。字引の該当箇所を見ると、元の持ち主が出だしのIch weiss nicht,was soll es 93(ぺージ)のところに、鉛筆で、しっかり印をつけていた。ローレライは、「歌の本」の中でも、帰郷(Die Heimkehr)という詩集の中に出て来る。

     日本人にとってハイネは「ローレライ」ですね。
    http://www.geocities.jp/lune_monogatari/lorelei.html


    Im wunderschönen Monat Mai (美しい五月には)
    http://www.d-score.com/ar/A03071701.html

    https://www.youtube.com/watch?v=_j-_Jb9HSMs


    [No.7835] Re: ハイネについて思う 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2017/03/30(Thu) 16:34
    [関連記事URL:http://http:/


    画像サイズ: 550×430 (78kB)
      70年くらい前、先生が、教室で教えて下さったのは、右ページの鉛筆で囲ったところです。あるいは、もっと先までだったかも。そうでしょう。こんなに短い筈はない。ケッコウ覚えるのがタイヘンだった様な気もします。


    | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 | 37 | 38 | 39 | 40 | 41 | 42 | 43 | 44 | 45 | 46 | 47 | 48 | 49 | 50 | 51 | 52 | 53 | 54 | 55 | 56 | 57 | 58 | 59 | 60 | 61 | 62 | 63 | 64 | 65 | 66 | 67 | 68 | 69 | 70 | 71 | 72 | 73 | 74 | 75 | 76 | 77 | 78 | 79 | 80 | 81 | 82 | 83 | 84 | 85 | 86 | 87 | 88 | 89 | 90 | 91 | 92 | 93 | 94 | 95 | 96 | 97 | 98 | 99 | 100 |


    - Web Forum -   Modified by isso