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  • [No.7876] Re: 「闇からの声」その後 投稿者:男爵   投稿日:2017/05/25(Thu) 17:13
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    画像サイズ: 500×253 (25kB)
    夏子さん、みなさん

    > 「闇からの声」は面白かった小説でした。
    > 同じ著者の
    >  「赤毛のレドメイン」
    > これも読みました。

    その後のことです。
    写真整理して発見。

    > ・矢の家
    > ・赤い館の秘密
    > ・Xの悲劇
    > に挑戦しています。

    これでした。

    > 昔の推理小説は名作といわれるものでも、(現代の推理小説にくらべると)読みにくいですね。
    >  ある意味、文学作品みたい。

    というわけで
    推理小説を読むにも気力体力が必要です。

    読書力の低下しているとき、読書エネルギーの少ないときは
    危険です。

    そういうときは、ひたすら好きなことをして過ごす。
     ぼんやり一日をおくったりするのです。あるいは整理の仕事もいいそうです。


    [No.7875] Re: 三笠宮と東條英機暗殺計画 投稿者:男爵   投稿日:2017/05/25(Thu) 16:26
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    あやさん これを見落としていました。
      
    > 多くの文章をお書きいただきありがとうございます。
    > でも、あまりにも難しい内容で、レスがつけられないでいますが、読んではいるのです。
    > それだけをお伝えします。

    実は私にもむずかしかったのです。

    しかし、終戦を迎えるには
    多くの人の努力や苦労やドラマがあったので
    そのうちの一つを紹介したかったのでした。

    「日本の一番長い日」という映画がありましたが
    海軍関係者(米内光政たち)が、いかに戦争を終わらせるか内々で相談していたとき
    そういうことが明るみにでると危険なことも考え
    しかるべき人たちが密かに走り回っていたという本を読んだことがあります。

    なにしろ兵士がいる間は戦えと思い込んでいる人たちがいたのですから。

    三笠宮のような考え方をしていた人たちが、政治の中心に近い所にいたということは知っておいてよいことと考えます。

    幼い私の知らない歴史のことでしたが。


    [No.7874] 評伝菊田一夫 投稿者:男爵   投稿日:2017/05/25(Thu) 16:19
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    小幡欣治:評伝菊田一夫  岩波書店

    菊田一夫の自伝は読んだことがあるが、これは他人が書いた菊田一夫の一生。

    著者は、菊田一夫から指導を受けたりしたことがあるが、弟子だとは思っていないとこだわっている。
    でも、菊田一夫から影響を受けたことは認めているし、菊田一夫については知っていることは多いとして、人から勧められるまま、この本を書いたと断っている。

    たとえば、サトウハチロー伝にも菊田一夫のことは出てくる。
    二人の関係は深い。サトウハチローの家庭内のごたごたがあったとき、菊田一夫は彼のことをかばった発言をしていた。

    菊田一夫の人生の進路に影響を与えた人びと
       尾形美也子 サトウハチロー 榎本健一 古川ロッパ

    そのときだけの繋がりがあって、あとは関係がなくなった人
    そういう人が人生には何人かある。
    それでも、当人にとって(あの人は)人生のガイドだったと後から気づくことがある。

    あの人のおかげで
    その後の人生の方向が変わった、結局自分の人生が開けた。

    そういう人がいることについて、曽野綾子がうまくまとめていた。

    さて、菊田一夫をめぐる女性たち
    自伝にはなかなか出てこない女性たちだが、この本の著者はなるべく客観的に、そして戸籍なども参照して正確に書こうとしている。
    戸籍調べは現在はプライバシーもあって、むずかしそう。

    前妻高杉妙子(長女伊寧子・次女美寧子) 本妻能勢妙子(長男一樹・次男大介) 浦島千歌子 西尾恵美子

    高杉妙子との結婚の前に、菊田は妻がいて男女二人の子供もいたようだが、その子供たちは死んで戸籍もわからないという。菊田もそのことは誰にも言わなかった。

    菊田伊寧子は父親について語っていたので、その名前はよく知られている。

    彼の仕事について、批評家は辛口だったが、大衆は支持していた。
    ある作家も書いていたが、批評家がほめる作品は売れなくて、批評家がけなしても読者の多い作品は売れるから出版社が喜ぶ。

    一生、そのときどき受ける作品を続けることのむずかしさ。

    ベートーベンやモーツァルトの作品も、いつも批評家から好評を受けたわけではなかった。評価は時代によって変わる。


    [No.7873] Re: 三笠宮と東條英機暗殺計画 投稿者:あや  投稿日:2017/05/24(Wed) 18:28
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    > 加藤康男:三笠宮と東條英機暗殺計画
    > https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-83272-2
    >

    多くの文章をお書きいただきありがとうございます。
    でも、あまりにも難しい内容で、レスがつけられないでいますが、読んではいるのです。
    それだけをお伝えします。


    [No.7872] Re: 朝から夜までよく動いた 投稿者:あや  投稿日:2017/05/24(Wed) 18:22
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    男爵さん、こんばんは!

    お読みくださってありがとうございます。

    >
    > >  そんなことでボランティアへ行く前に配布をと思い出かけた。40分時間をとれば大丈夫と思い、8時に出た。ところがである、20分で終ってと我ながら感心してしまった。
    >
    > 坂道もあるでしょうから、簡単ではないですね。

    そうなんです。坂を上がるのです。

    >
    > >  途中で郵便局へ入り、欲しいカタログがあるかどうか探したがなかった。出ようとしたところへ若い男性職員から声がかかった。
    > > 「50歳から70歳までの方に有利な預金があるのですが」のようなことを言ったか。
    > > 「えー、70歳ですか、80になるんですよー」と言ったら、
    > > 「えっ? そんな! 拝見していたらとてもそんなには」などなど言ってくださった。その顔の表情といったら楽しかった。うれしくもあった。
    >
    > 若く見られるし、体力も気力も若いですね。

    これから先、いつ何時どうなるかわかりませんが、真っ白い頭をしているのに、
    椅子に座りたくない、速足であるくことに驚かれています。

    > 私も(たまに)あやさんを思い出して
    > 新幹線の駅の階段をのぼることがあります。 数えたら57段

    いいことですね。

    >
    > 毎回だと義務感がストレスになるから、たまにです。
    > あやさん同行と称して。

    私と同行しているなんて書いてくださってありがとう!!!
    でも、義務感だなんて思わないで〜〜〜
    たまにでもいいです。足をつかってください。


    [No.7871] Re: 朝から夜までよく動いた 投稿者:男爵   投稿日:2017/05/21(Sun) 14:29
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    あやさん   こんにちは。

    >  そんなことでボランティアへ行く前に配布をと思い出かけた。40分時間をとれば大丈夫と思い、8時に出た。ところがである、ぐるーっと回り、我が家の前に戻ったら8時20分だったのだ。歩数を見たら2038歩、歩いた距離は1.7K、いきいき歩数は1802歩、歩いた時間は15分となっていた。2000歩のところを1800歩もいきいきと早足で歩いたのだから、20分で終ってもと我ながら感心してしまった。

    坂道もあるでしょうから、簡単ではないですね。

    >  途中で郵便局へ入り、欲しいカタログがあるかどうか探したがなかった。出ようとしたところへ若い男性職員から声がかかった。
    > 「50歳から70歳までの方に有利な預金があるのですが」のようなことを言ったか。
    > 「えー、70歳ですか、80になるんですよー」と言ったら、
    > 「えっ? そんな! 拝見していたらとてもそんなには」などなど言ってくださった。その顔の表情といったら楽しかった。うれしくもあった。

    若く見られるし、体力も気力も若いですね。

    私も(たまに)あやさんを思い出して
    新幹線の駅の階段をのぼることがあります。 数えたら57段

    毎回だと義務感がストレスになるから、たまにです。
    あやさん同行と称して。


    [No.7870] 朝から夜までよく動いた 投稿者:あや  投稿日:2017/05/13(Sat) 20:07
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    暑い日となった。
    昨夜は広報の発送があり21時40分に帰ってきた。その資料関係を欠席者に届けなければならないことで、坂の上の棟へ、下ったところの棟へと配布を依頼された。私は役を降りたのだが、しばらく手伝うことになったのだ。

     そんなことでボランティアへ行く前に配布をと思い出かけた。40分時間をとれば大丈夫と思い、8時に出た。ところがである、ぐるーっと回り、我が家の前に戻ったら8時20分だったのだ。歩数を見たら2038歩、歩いた距離は1.7K、いきいき歩数は1802歩、歩いた時間は15分となっていた。2000歩のところを1800歩もいきいきと早足で歩いたのだから、20分で終ってもと我ながら感心してしまった。
     8時40分のバスに乗るので、その間公園で過ごした。家を目の前にしてだが入ると遅くなってしまうと思ったのだ。バス、電車と乗り継いで、障害者活動ホームへ向かった。

     途中で郵便局へ入り、欲しいカタログがあるかどうか探したがなかった。出ようとしたところへ若い男性職員から声がかかった。
    「50歳から70歳までの方に有利な預金があるのですが」のようなことを言ったか。
    「えー、70歳ですか、80になるんですよー」と言ったら、
    「えっ? そんな! 拝見していたらとてもそんなには」などなど言ってくださった。その顔の表情といったら楽しかった。うれしくもあった。
     私が入って来たときから、立って見ていたのはわかっていたがそんな観察をしているとは思わなかった。歩きまわることや、カタログを見ている様子でそう感じて下さったのだろう。笑顔で別れを告げた。

     活動ホームではBグループとなり、午前中はMさんという女性と自主製品の作成となった。ハンガーに綿の斜め布を巻いて行くのだが、彼女は上手で早かった。
     午後は仕事がなく、DVDの観賞となった。画面に向って所員さんたちはそれぞれに言葉を出しあっていた。
     職員はシャーペンの検査をした。これは所員さんにしてもらえないこともあってのDVD観賞だったのだろう。私はそのシャーペンの中に入っている芯を出した。

     最近会っていない我が家の近くの知人から連絡をもらっていて、ここが終ってから行くことになっていたので向った。ここのお宅には私専用の焼酎が置いてある。その焼酎をお湯割りにして呑んだが、一杯でなくなってしまった。そのあとが大変だった。
    「今、出先からもらって来たんだ」と2種の日本酒と、テーブルの下から出された「真澄」を3つのグラスに入れて、
    「味がどのように違うか、わかるかな」など言われて呑んだ。少しづつ違う思いはしたが、おいしかった。21時30分と2時間近くも呑んで、おしゃべりをしてきた。

     若い10代の頃は日本酒から入ったのだ。ビールとか、ワインとか、ウヰスキーなどはあまりなく、日本酒が多かったように思う。今は二日酔いが怖く、日本酒は敬遠しているのだ。

     朝の8時から13時間半もこのようにして動いて来れたことに感謝の1日だった。
     ちなみに、歩数は8105歩、歩いた距離は5.8Km、いきいき歩数4403歩、いきいき歩行時間37分となっていた。
                                       2017−05−12 


    [No.7869] 三笠宮と東條英機暗殺計画 投稿者:男爵  投稿日:2017/05/05(Fri) 13:28
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    加藤康男:三笠宮と東條英機暗殺計画
    https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-83272-2

    平成28年10月27日に百年のご生涯をまっとうされ、薨去された三笠宮崇仁親王。実は、将来発表されることを望まれて、封印された歴史について証言を遺されていた。

     昭和19年夏。日本が絶対国防圏と定めたサイパンが危機に陥ると、首相、陸将、参謀総長などを兼ねる東條英機への批判が巻き起こる。「このままでは日本は蹂躙される」。意を決したある陸軍少佐が、東條抹殺を企図。計画書を三笠宮に渡そうとする。そして……。


    著者は三笠宮の生前のとき
    この本に書かれてあることは直接聞いたのだが
    あとから三笠宮が、あれは自分が死んでから発表してほしいと頼まれ
    そのときは出版をおさえていたという。

    東條暗殺を計画したのは津野田知重参謀、彼は士官学校で三笠宮の二年後輩。

    東條暗殺計画を津野田参謀から打ち明けられた三笠宮はどうしたか。
    三笠宮は母親の貞明皇后に相談したところ、皇族は政治に介入してはいけないと叱られ動けなかったようである。
      このあたり、はっきりと三笠宮は著者に伝えてはいないようで、著者の推測が入っている。

    どこから漏れたのか津野田は逮捕され、皇族には何の塁も及ばされなかった。


    三笠宮は
    大正天皇と貞明皇后の第四皇男子として誕生。
    長兄の昭和天皇とは14歳年下となるので、兄たちと比べて、わりあい自由に育てられたらしい。

    だから
    昭和天皇が終戦の決意を語り、三笠宮はそれを支援して、
    8月13日に陸軍大臣阿南惟幾が昭和天皇に徹底抗戦に翻心させようと三笠宮に説得を願い出たが「陸軍は陛下の大御心に反する」と断り、阿南を叱責したという。

    あくまでも徹底抗戦を主張する陸軍軍人たちを
    もういいだろうと抑えた昭和天皇を後ろから押した三笠宮は
    平和日本の支援者だったのだろう。

    古代オリエント学会で、考古学者・歴史学者として研究を続けたのは三笠宮らしい。

    岡山市立オリエント美術館は
    三笠宮を名誉顧問としていた。
    http://www.orientmuseum.jp/page02.php


    [No.7868] Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』 投稿者:男爵   投稿日:2017/05/01(Mon) 19:41
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    >森鴎外と長沼守敬の出会いは
    >別に書きましょう。

    原敬に会った長沼は、帰国を考える。
    貧乏で船賃がなかったから、フランスで造った畝傍艦(うねびかん)が
    日本へ廻航されるというので、原に手紙を書いてこの船に乗せてもらうようになる。

    そこで帰国の準備を早めにして、貧乏旅行(ミュンヘン、シュトラスブルク、パリ)に出発する。

    ミュンヘンで会った鴎外は長沼に自分の肖像写真を贈ったが、写真はミュンヘンのシュヴァンターラー通のヴェルナー工房で写したもので
    裏面に「独逸国模那歌府に周遊の記念」とある。

    模那歌(モナコ)府とは、ミュンヘンのことである。

    緒方惟直の弟収二郎と東大医学部時代の級友だった鴎外は
    惟直の妻子が生活に困窮していることを知り、日本の収二郎に伝えたのであろう。

    彼等一族は繁昌した病院経営者らしく、収二郎を含む一族をドイツに留学させた。

    収二郎たちは1891年秋にヴェネツィアを訪れ、惟直の墓碑に献花した。
    このときは、惟直の妻子の所在を突き止められず、いったんドイツに戻った。
     (惟直の妻は1890.10.27に35歳で死亡)

    その後ベルシェを通じて姪の消息をつかんだ収二郎は、マルセイユで姪と会い
    1892年に姪を日本に連れ帰った。
    彼女、緒方豊は加陽光太郎を養子縁組して夫に迎え、6人の子供にも恵まれ幸福な半生をおくったという。


    [No.7866]  読書感想文『ロシア民話集』上・下 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2017/04/30(Sun) 22:48
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    画像サイズ: 446×322 (49kB)
    これは、10年以上前、市の文集に出したものです。

    ********************************
     
     わざわざグローバリゼーションなどの言葉を引き合いに出す迄もなく、我々の周囲にはカタカナ語が氾濫し、いかに世界が狭くなったかを日々痛感させられる。かと云ってそれなら世界は一つかと問われれば、これはまた日常茶飯事のように繰り返される戦争、抗争を見る限り、そう簡単にイエスとも答え難い面がある事もまた否定できない。

     私はこうした事実を認めた上で、外国の文化とか他民族の理解には、民話が一番手っ取り早いと考えている。たとえばこの「ロシア民話集」だが、その第一話からして私を大いに驚かせた。というのは、その書き出しが、「昔おじいさんとおばあさんがいた。」というのだから。今の今まで私は、「おじいさんとおばあさん」で始まるのは、日本の昔話「
    桃太郎」の専売特許と信じ切っていたのである。更に読み進めてゆくと、この「おじいさんとおばあさん」型の話が意外と多い。この型では、始めから子や孫がいて物語が展開するのがふつうだが、中には「桃太郎」のように、天から子を授かる話も散見する。桃から子が生まれるというのも奇抜なアイデアだが、ロシアのもなかなか凝っていて、揺りかごに入れた丸太が、いつの間にか赤ん坊に育つというのがあるかと思えば、町で買って来た蕪から生まれた蕪娘もある。

     これなどは桃太郎とかなり似通った発想と云える。また、同じ生まれるにしても、めんどりに抱かせた四十一個の卵から四十一人の男の子が誕生するという、えらく能率のいい話もあってビックリさせられる。一方、同じ様に子のないおじいさんでも、神のご加護で、一日になんと七人の息子が生まれるという、不妊症の人が聞いたら腰を抜かしてしまいそうな話まで飛び出してくる。

     こういう大げさな話は多分、元の話に段々尾ひれがついて出来上がったものであろう。なかなか子が出来ないと云うのも、最初はふつうの夫婦の話だったのが、それではインパクトが少ないというので、次第に「おじいさんとおばあさん」の話に変わって行ったのかも知れぬ。

     さて、ボルヘスの「幻獣辞典」にも採り上げられている八岐の大蛇、これが西洋の昔話にも良く登場することは私も知っていたが、首の数はまちまちである。アファナーシェフの集めたこの「ロシア民話集」ではこれが、十二の首になっている。日本の話との関連を続ければ、「大ばか者」という話など落語の「子褒め」に通じるものがある。大ばか者の場合は対應のずれの面白さで、葬列に向かって大声で「運んでも運びきれず、かついでもかつぎきれず、曳いても曳ききれませんよう」などと縁起の悪いことを云ってしまった男が、次にぶつかった婚礼の行列に「まことにご愁傷様で」と挨拶して、大勢の袋叩きに遭うという筋書き。これは、赤ん坊の年を聞いて七夜だよと云われ、「アア、初七日か」と應じた長屋の熊さんといい勝負と云ってよいのではないか。

     しかし集中もっともロシア的でもあり、かつもっとも面白いのは「ヤガー婆さん」と「うるわしのワシリーサ姫」であろう。ヤガー婆さんの登場ぶりは特筆に値する。折角なので下手な説明はせず、民話自体に物語って貰おう。

     「木々がめりめりと倒れ、枯葉ががさがさと鳴りだした。それは臼に乗って杵で漕ぎ箒であとを消しながらヤガー婆さんがあらわれる音だった。」何かカーリングの選手を連想させる楽しそうな雰囲気に、思わず頬をゆるめると、どっこい、ヤガー婆さんの住まいの形容を読むに及んで、今度は慄然とさせられる。「小屋をかこんでいる柵は人間の首でできていて、一本一本の棒杭の上に両目をつけた人間のされこうべがささっていた。門の柱は人間の脚、かんぬきは手の骨、錠前はとがった歯が付いたままの人間の口だった。」というのだから尋常ではない。

     ワシリーサの方は何しろ「うるわしの」と断り書きがあるので、美女であることは間違いないが、一方なかなかの才女でもある。そのお手並みの程は読んでの上のお楽しみ。

     あと、有名な「イワンのばか」を始めとするばかの活躍する話が幾篇かあるが、このばかが実はばかではない。読むほどに、兄弟中で一番の利口者だと分かってくる。アファナーシェフのこの作品が、農奴解放運動の盛んな、千八五五年に刊行されたことを思うと、彼はばか(=農民)の底力をみせたくて、世に問うたのかも知れぬ。私は今までロシア文化とは殆ど無縁だったが、訳者の中村喜和氏によれば、作者は民話分類法の始祖と仰がれる、フィンランドのアアルネに先立って、独自の分類法を創め、アアルネに多大の示唆を与えたということであるから、それだけでも偉い人だと認めざるを得ない。

     なお、同書は岩波文庫上・下二巻に、厳選されたロシア民話七十八篇を収める。

                    (おわり)

     


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