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 文集   2015.1.1更新

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  • [No.7896] 石ノ森 章太郎が伝記本に 投稿者:男爵  投稿日:2017/06/24(Sat) 15:56
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    画像サイズ: 850×434 (76kB)
    なんと
    石ノ森 章太郎が伝記シリーズの中に入れられている。

    まあ
    漫画家といえども
    仮面ライダー、サイボーグ009 などテレビのアニメや活劇もの
    など多方面な作品があるから(?)。

    その表現は革新的なので
    芭蕉や一葉など、時代の先駆的なメディア挑戦者の仲間
    とみなすことも無理なことではない。


    [No.7895] Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』 投稿者:男爵  投稿日:2017/06/24(Sat) 15:48
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    画像サイズ: 775×721 (74kB)
    唐辛子紋次郎さん、みなさん


    > > その留学生というのは全部で4名で、井尻儀三郎、緒方惟直、川村清雄と長沼守敬です。

    > >  川村清雄の展覧会が、じつは5年前に、両国の江戸東京博物館で開かれたのですが、あっしは見落としてしまい、いまでも残念な思いで一杯です。

    > 2012年10月08日(月)〜12月02日(日)
    > 江戸東京博物館開館20周年記念特別展
    >  維新の洋画家 川村清雄
    > https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/s-exhibition/special/2152/%E7%B6%AD%E6%96%B0%E3%81%AE%E6%B4%8B%E7%94%BB%E5%AE%B6-%E5%B7%9D%E6%9D%91%E6%B8%85%E9%9B%84/

    > 江戸博の友の会の会員である私は
    > この特別展で下記の2点は見た記憶があるのですが、さだかではありません。
    >   川村清雄《江戸城明渡の帰途 (勝海舟江戸開城図)》 
    >   川村清雄《天璋院(てんしょういん)像》→ 将軍徳川家定の正室・篤姫

    そういえば思い出したのです。

    私は江戸博友の会の会員なので
    常設展の資料本が送られてきたのを、(つんで置いた本を)いま見てみたら
     川村清雄《江戸城明渡の帰途 (勝海舟江戸開城図)》
    が載っていました。


    [No.7894] 食べてやせる健康食 投稿者:男爵   投稿日:2017/06/23(Fri) 06:06
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    中村ひろ子:食べてやせる健康食

    現代日本人は、豊富な(おいしい)食べ物に取り囲まれ
    ついつい太ってしまう。

    その結果、あちこち身体の問題が出てくる....
    とお医者さんは警告します。

    世界には飢えて死ぬ人も多いと聞きます。
    終戦後シベリア抑留の人たちは食べ物が少なく、争いになったり悲惨だった。
      (どうして日本政府はソ連に抗議しなかったのか。韓国なら今からでも抗議するところ) (国際法違反のロシア人)

    いま(終戦直後)北海道開拓に移住した人たちの記録を読むと
    食べるものがなく、草でも木の実でも何でも食べて
    それでも食べ物がなく、生まれた子どもはやせ細ってすぐ死んでしまった等
    読むのが辛くなります。

    要するに
    食べなければ太らないのですが
    人間にとって食欲はなかなか抑えられないものです。


    この本の著者は
    ダイエットするために必要なことは
    自覚のみと書いています。

    禁煙でもそうですが
    本人が決心して、強い意志で続けなければなりません。
    そのとき、自分で納得して、(煙草をとるか命をとるか)
    実行するなら続けられるのですが
    意志がそこまで固まっていなければ挫折してしまう。

    あんがいダイエットしているつもりで
    自覚がないというか、栄養の知識がないというか
    ざるで水を汲むようなことをしているものです。

    よく言われる
    スポーツドリンクも飲み続ければ太る
    カロリーゼロというけれど、ある一定量以下なら、ゼロと表現できる
    というザル法に守られて、飲料生産販売業者は儲けているわけです。(彼らも家族のため稼いでいるから)

    この著者の提案する3つのコース
    ・ Aコース  1週間で5キロやせる (要するに一大決心して、炭水化物と脂肪を少なくとる)
    ・ Bコース  3日間のショック療法 (要するに水、お茶そして思い切った食事制限)
    ・ Cコース  3カ月自分の勘で食べる (要するに炭水化物と脂肪は少なく、たんぱく質、野菜は十分に。無理のない食生活)

    まずAコースで目に見える成果をあげる。
    しかし、この方法は長続きしないから
    継続できるCコースにする。本に書いてあるような△△を○○グラムに等こだわらず、自分のカンを大切にし、食べすぎたなと思ったら翌日は食事制限すればよい。
    続けることが大切なので、太らないように気をつければ自然に体重減になる。

    AコースとCコースをしてもだめな人は
    Bコースのショック療法で
    それこそハンガーストライキみたいな食事をする。だが長くはやっていられないから3日くらいというわけです。(そして体重減となったらしめたもの)


    [No.7893] 共産党員市長でえらいすんまへん 投稿者:男爵   投稿日:2017/06/21(Wed) 12:43
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    「共産党員市長でえらいすんまへん」という本を読みました。

    「地域住民の繁栄なくして自治体労働者の幸福はない」(衛都連行動綱領)  あれれ、(元総理は)これを真似したのかな。
      ○○なくして○○はない

    二期目の選挙のとき、保守系の政党顧問が挨拶で
    津田市政は三つ評価できる
    ひとつは、むちゃくちゃな同和問題を正した。
    もうひとつは財政再建をうちたててくれた。
    もうひとつは実に職員がよく働くようになってきた
    と、評価してくれた。

         ○     ○

      なにより市民のために仕事をしようとした。邪魔されても、市民にビラでPRし続けたから選挙で勝てた。
      暴力的な同和勢力にも負けなかった。市の職員が怪我をしながら市長を守った。

    「橋のない川」の映画にも、暴力で上映をやめさせた同和の団体。
    その実態は私も知りません。ゆきすぎがあったのでしょう。

    市民のために仕事をした市長が、たまたま共産党員だったということ。
    保守系でも、無所属でも、市民のために仕事をしていれば当選するはず。当選しなければうそ。

       ♪   ♪

    身体に毒だわ こんなにおそく
    よめさんは 怒るけど
    十万市民のためだもの
     ....
    そんな市長の ひとりごと

    替え歌も盗作と言われる場合がある。
    新しい法律ができたら、どうなるか。

    それにしも、あのお相撲さんは歌が上手だった。
    https://www.youtube.com/watch?v=EZBIWg5zxcA


    [No.7892] 発明、梅雨 投稿者:男爵   投稿日:2017/06/20(Tue) 05:56
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    中国は漢字の国
    外国人の名前も漢字で表す。
       布殊(ブッシュ)
       哥倫布(コロンブス 刑事コロンボも?)
       達爾文(ダーウィン)

    カタカナを発明した我々の先祖はエライ。

    さて
    さすがの中国人も漢字の多いのにはお手上げ。
    漢字を減らそうと努力した。

    同じ発音の文字はひとつにまとめた。
     発明、出発の「発」 散髪の「髪」  ハツなら一つの漢字で表す。

    変んなことをすると思った。

      −−−−−−

    さて
    最近読んだ本です。

    阿辻哲次:漢字の知恵  ちくま新書

    梅 もとの字は楳だった。 (楳図かずお という漫画家がいた)

    梅雨  もとは黴雨と書いた。
     ちょうど梅の実がなる頃だから。
     別の説では、黴(カビ)が生える時期だから。

    黴はバイキンのバイ 子どもならバイキンマンを連想する。(アンパンマンの仲間)

    音が同じだから 黴雨→梅雨

    梅毒も もとは黴毒だった。(こちらのほうがコワイ感じ)

      −−−−−

    当て字を使うのは、日本も同じだった。


    [No.7891] Re: 文集 投稿者:あや  投稿日:2017/06/14(Wed) 20:20
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    男爵さん こんばんは!

    >
    > > 6年生の時か、文庫本を何百冊というくらいと読んだでしょうか。
    > > 読むものがなく、大人の雑誌も読んだものです。
    >
    > 中学生の時
    > (友だちから借りた)江戸川乱歩の小説を読んでいたら
    > 母親から、これは大人が読む本だと言われたことがあります。

    母親からすればそうなるでしょうね。
    中学生のころは読むものがなくなって、近所のお兄さんが毎月読んでいた
    大人の雑誌を読んでは、言われましたね。

    >
    > > > いま読書を続けているのは、頭のトレーニングという意味もあります。
    > > > 散歩するのは体の能力低下の防止。 読書は頭の働き低下の防止。
    >
    > > いいことをなさっているのですね。
    >
    > ここで書き込みをすることは
    > 認知症予防になると考えます。

    私もそう思います。

    >
    > > 文庫本500冊くらい、世界文学全集50冊くらい、日本文学全集やはり50冊
    > > くらいを一度に処分したことは懐かしい思い出0です。
    > > 40歳のころでした。
    >
    > 世界文学全集は処分しましたが
    > 日本文学全集はまだ残してあります。
    >
    > もっとも必要なら、図書館で借りて読めます。

    図書館は私にとって「趣味の部屋」でしたが、今は行くひまがありません。

    >
    > 同じ本を読んでも
    > 若いときの感想と、年をとってからの感想は違います。
    >
    > ある人の本にも
    > 作者と似たような体験をしてから、その本を読み直すと
    > 全然理解が違うし、感動も大違いと書いてあります。
    >
    > 読書にも、体験とか、知的トレーニングが必要なようです。
    > こころが成長したり、考えることが広まったり、深い悩みに苦しんだりして
    > 本を理解する力もついてくるのではないかと思います。
    >
    > だいたい強い人で、悩みもなく毎日元気な人は
    > 弱い人の気持ちは理解できません。
    >

    難しいことになりました。そこまで考えたことのない私です。
    お教えありがとう!

    >
    > いま別のパソコンから書いています。  たまにこのパソコンも使わないと。

    私はインターネットに繋いでいるのと、書くだけのパソコンと両方使っています。
    3台をいじくっています。


    [No.7890] Re: 明日は我が身かも 投稿者:あや  投稿日:2017/06/14(Wed) 20:10
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    男爵さん、こんばんは!

    お読みいただいてありがとうございます。

    >
    > まったく、明日は我が身ですね。

    まだまだお若い男爵さんでしょうが、そうお思いになるのですね。
    お互い、健康で過ごしたいですね。

    >
    > それにしても
    > 神奈川県は親切な人が多いですね。
    > いいですね。

    神奈川県だからかどうか、でもそう言ってくださってうれしいです。


    [No.7889] Re: 明日は我が身かも 投稿者:男爵   投稿日:2017/06/13(Tue) 04:50
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    あやさん、 おはようございます。

    まったく、明日は我が身ですね。

    それにしても
    神奈川県は親切な人が多いですね。
    いいですね。


    [No.7888] 明日は我が身かも 投稿者:あや  投稿日:2017/06/10(Sat) 09:13
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     病院へレントゲン・心電図・便・血液・尿の検査に行ったが、1年に1回行っているものだった。
     帰ってくると、夫は整体へ出かけた。昼は何を食べるかとなったので、天ぷらうどんを作ることにしたが、寿司の話しが出て、寿司を食べに行こうとなった。
     
     12時を過ぎていたが、混むのはいやだと遅くしたのだった。車で出たが、たまに行く寿司屋でなく、その手前にある寿司屋へ行くかとなった。比べると高い店だが,夫が払ってくれた。
     店を出て駐車場へ回ろうとした夫が「人が倒れている」と言う。2人でそばへ行ったが、若い男女が
    「倒れていたので、救急車を呼びました」と言う。
     そのまま帰ってしまうわけにもと思い、私たちもそばにいた。細い体の背の高い、やさしい顔をしたおじいさまで、目を開いていたが黙りこんでいた。その大きな目の回りはかなりの太さで茶色になっていた。いつものことか、倒れたのでこうなったのかわからなかった。
     頭の部分に日が当っていたので、私は頭の方へ回り、その頭が私の体で影が出来るように立った。
     話しかけたら、
    「歩いて○○病院へリハビリに出掛けるところだった。熱中症で倒れてしまった。」と言い、診察券やパスを出してくれた。夫は
    「身体障害の4級・2級など書かれている」と言った。診察券は近くの病院のものだった。
    「体を起こしたい」と言い、起きようとするので、背中を支えて起こしてあげたら、立ちあがるようにした。
    「立つのは止めましょう。救急車を呼んだのですから来てからにしましょう」など言うと、そのままにしてくれた。私は背中を手で支えるようにしてあげた。

     店から出てきた男性がいたが、男性が行こうとしていた病院の職員だそうで、電話したりしていた。病院へ電話して事情を話したのだろう。
    「ご一緒に行かれるのですか」と言うと、
    「事務の者ですし、救急車には?」など言い、店へ戻って行った。

     若い男性が寿司屋で氷をもらってくると言ってくれ、店へ行ったが、店の男性が細かくした氷を持って来てくれたので、受け取り後ろ首にあてがってあげた。
    「気持ちいい」と喜んで下さったが、救急車を呼んだのにこのようにしていいかどうかわからなかったので、軽く当てていた。

     診察券入れをズボンのポケットに戻そうとしていたが入らなくて、ポケットの財布も飛び出しそうになっていた。
    「診察券なくさないようになさってくださいね」と言うしかなかった。
    「ありがとう、親切に」と何度か言ってくださり、診察券入れを手にしっかり握ったことを示してくださった。

     13時10分に救急車が来た。
    「とりあえず救急車に乗りましょう」と係り員。背中を支えていた私は、係員が足元に立ったので、一緒に運ぼうとして、そのまま体に手を回し、持とうとしたら、
    「私たちがやります」だった。大失敗だった。当たり前のことなのに余計なことしてしまった。障害者などと関わりが多いのでそうなってしまったのだ。実際一緒に乗せたこともあるのだった。やってきた男性と2人で運んだ。
     若い男女と少しの会話をして別れた。明るい感じのさわやかな方たちだった。

     この時は夢中だったが、家に戻り、パソコンへ打込み終わったいま、考え込んでしまった。いつわが身に振りかかるかも知れないことだと。事故ではなく、自分自身の体のことで、道で倒れて、なんて考えると、たまらない思いがして、こうして打ちながらも頭を下げて、目を伏せて思い悩んでしまった。手もパソコンの上に止まってしまうほどだった。
     
     その後どうなさったか、なにもなければいいがと、ただただ思ってしまった。私が検査に行った病院との関連がある病院で、私も行ったことがあるのだった。

     せんだって、近所の道で倒れた男性のことで救急車を呼んだが、その時は会話もしてしまい、家族のことを聞いた覚えがある。
     今回は若い男女のことで、そこへは気が回らなかったのかと思ったり、会話ができるとは思わなかったのかなども感じた。でも、このようになさってくれた方がいたことは感謝のほかはない。
    「救急車をよんでくださったことよかったわ。お世話をありがとう」など声をかけたが、うれしそうにしてくださった。


    [No.7887] Re: 絵画の越境について 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2017/06/02(Fri) 10:33
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    後日譚というか、GRUE さんに、続編をといわれてもう半年以上が経過したのですが、生来の不精ゆえ、いまだにそれが果たせないでいるのは、まことに不甲斐ないことで、ジクジたる思いがあります。

     ところで、きのうは町の美術館で久しぶりに展覧会がありました。ここにあっしの日ごろ敬愛するYさんが出展されるというので、ちょっと暑かったのですが、出かけました。

     Yさんは絵を描くだけでなく、美術協会の月報の編集などもやっておられ、グループの運営に欠かせない方です。ところで、この展覧会、展示数も非常におおく、入り口のあたりは100号の大作が集められ、見ごたえ十分。Yさんの絵は50号でしたが、躍動する植物の生命力が見事に表されていました。

     そのほか、常連の方々の作品を見るのも楽しみです。あっしが以前サテンでミニイベントをやった時、ご来場下さったTさん(画塾を経営)、Kさん、一貫して奥様の肖像画を描きつづけておられるSTさん(光風会所属)。また協会の重鎮Hさんは、出展されていませんでしたが、同じ苗字の方が二人出しておられ、関係者かと。

     いつもきまって百号の大作を出されるNさん、何度かお会いしている、光風会の方ですが、今年も、新緑の頃という大作を出展されていて、相変わらずお元気だなと嬉しく思いました。

     展覧会の度に、毎回拝見している、細密描写の版画を手掛けるTさんは、到頭、教育委員会賞をお取りになっていました。お会いしたことは一度もありませんが、オメデトウ
    ございます。また、聖餐前夜と題する油彩画のフランスパンは、今焼き上がったばかりという感じで、すぐにでもちぎって食べたいようなすばらしい出来栄えでした。

     それからまた、幻想 風の盆という作品は、登場する男の、着ている衣服のごわごわ感が見事に表されていて、立ち去りがたい気持ちになりました。

     風景画になると、地元の風景にはじまり、近隣の街、はてはウィーンのフンデルヴァッサーの家、バルセロナのグエル公園、チェコのプラハ城、フランスはパリのノートルダム寺院、ベルギーのブルージュ、イタリアのサン・ジミニャーノ、しまいには旧バルカンは、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の、モスタルまでが飛び出してきて、昨今の画家の行動半径の大きさに驚かされます。

     毎回、物故作家の絵が一点、掲出されるのが慣例のようになってしまったのは、まことに淋しいことです。ところで、

     この展示室で、久方ぶりに、あのD画伯と邂逅したのです。家へ帰って調べてみると姓名が一致していました。100号にもなる大作でしたが、派手な色は使わず墨一色だったように思います。描かれているものは、抽象画風で、むしろ奇怪な印象を与えるものでした。もともと日本画に傾斜していた油彩画家なので、不思議とは思いませんでしたが、ここのところ、野暮用で忙しいのですが、その内また一度お会いして、出品された絵のことでも、ちょっと聞いてみたいような気がして来ました。  終わり
     

        


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