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 文集   2015.1.1更新

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  • [No.7439] Re: 大成功のミニミニイベント〜2 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/12/17(Thu) 09:55
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      GRUEさん、みなさん、こんにちは、

    > 子供への対応だけでなく、大人・年寄り用の企画も用意されていたとは
    > 実にご立派。感服致しました。


     GRUEさんに感服されたりしたら、もうこの先恥ずかしくて何も書けません。(-_-;)感服だけはどうかどうか、ご勘弁下さい。ところで、

     イベントというのは、ご存じのように、ふたを開けてみるまで、どうなるか分かりません。当日の天気もそうですが、何が起こるかマッタク予想が付きません。

     さいきん急速に老齢化して子供などが激減している当町内で、どちらかというと、東京とか千葉、それからよその街へ出かけることが多く、近所ともあまり付き合わない孤独で偏見に満ちた老人には、適当な情報源もありません。

     回覧板などで一応の情報は得られますが、詳しいことは知り得ません。で、一応両様の構えで望んだわけでやんして。


    [No.7438] Re: 大成功のミニミニイベント〜2 投稿者:Pan  投稿日:2015/12/16(Wed) 21:23
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    唐辛子紋次郎さん、こんばんは。

    > もう一つはこの「キンダーブック」で、うちの町会は平均年齢が高いせいか「ふ〜ん、
    >こういうの、あったよな」と懐かしそうに手に取って、しげしげと眺めるひとも、少なからずあったように思う。

     キンダーブックと聞いてびっくりしました。

     幼稚園の頃からこれを毎月見て育ちました。
     弟や妹も多かったのでかなり大きくなるまで読んでいたと思います。

     小学館の『小学X年生』はありませんでしたか?

     そのミニミニイベントに行っていたらしげしげと眺める一人に入って
    いたと思います。

     表紙の絵を見て思い出すのがあったかもしれませんね。

    > ちなみに、この本はかなり大型で、物差しを当ててみたら、210x300ミリほどあった。

     そうですよ、当時の子供の本としては相当大形でした。
     厚さは薄かったです。

    >これは、「国語読本」とは違って復刻本ではなく、実際に使われたものだ。その証拠に
    >うら表紙の「もちぬし」欄に、ペンで姓名が記入してあった。

     検索して見たら、今でも古いのが手に入るようですね。(^-^)

    > 刊行は昭和26年というから、終戦直後のはずなのに、良い紙を使って立派な出来栄えだ。大体が絵本なので、数人の児童画家が手掛けているが、そのうち黒崎義介は、あっしのような紋外漢でも、たしか何度か聞いた名前だ。

     キンダーブック自体は昭和2年からの刊行らしいです。

      http://www.kinder.ne.jp/

     フレーベル館にはまことに申し訳ないですが、小学校卒業以来ご無沙汰
    で、今も健在とは思い付きもしませんでした。

     2人の子供にも孫にもキンダーブックを買い与えた記憶がありません。


      ***** Pan *****


    [No.7437] ちゃぶ台とおひつ 投稿者:まるこ  投稿日:2015/12/16(Wed) 19:28
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    黎明館で、特別企画展、語り継ぐ昭和の記憶からを、見てきました。私の目に、飛び込んで来たのは、ちゃぶ台とテレビです。戦後、物の乏しい時代から、両親が買ったカラーテレビは、お隣の家にはなくて、私より一つ兄さんが、我が家にテレビを見にきていました。たぶん、力道山のプロレスを、見たかったんだと思います。私が、このテレビで見たのは、「パパは、何でも知っている」。このドラマは、アメリカの明るいホームドラマで、二階へあがる階段の前に、家族が、並んで立っている場面が、今でも、脳裡に、焼き付いている。「バス通り裏」、小さな窓をまん中にではじまる歌も、あったなあ。
    「てなもんや三度笠」「月光仮面」等。昔のテレビは、今のように薄くなくて、幅と奥行きがあり、狭いながらも、楽しい我が家に鎮座して、存在感がありました。ちゃぶ台とおひつは、まるで、望月優子さんの映画や、原節子さんの映画に、似合います。
    これと並んで、五右衛門風呂、ダイハツミゼット、大村昆ちゃんが、メガネをさげて、ミゼット!と言っていました。ボンカレーの流行語もなつかしい。オールウェィズ三丁目の夕日にでた、堤真一さんは、あたしの母校からでた俳優さんです。あのセピア感が、とても、よくできていた。
    ちゃぶ台とおひつが、置かれた部屋は、箸のあげさげまで、うるさい厳格な父親像が、浮かんできます。今は、全く、崩れさり、核家族化していきました。郷愁を感じる乗り物に、蒸気機関が、あります。SLのことです。大阪から、鹿児島まで、汽車で18時間かかりました。トンネルに入ると、窓を閉めないと、私の鼻の中は、真っ黒に、なります。南薩鉄道に乗り換えて、田舎に帰りました。
    こんな時代ですから、日本の家屋は、ほとんど、汲み取り式だったです。旧家に釣り下がった、手洗い器は、手を押し上げたら、水が、出てきました。まだ、未開発で田園風景が、のこり、こえたんぼを、よく、みかけました。最近は、水洗トイレに、変わり、便利になりました。また、ウサギ小屋という言葉も、流行しました。外人の目には、日本の住まい方が、ウサギ小屋に、映るところから、この言葉が、流行りました。島国日本も、経済大国になり、建設ラッシュを、湧いて、家が、ドンドンたちました。まだ、この頃は、中国は、日本の下に、あったのです。


    [No.7436] Re: バッハの宗教音楽を鑑賞して 投稿者:オアシス  投稿日:2015/12/14(Mon) 19:57
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    Grueさん、あやさん、ザックスさん みなさん こんばんは。

    バッハのミサ曲
    時期を得た名曲、しっとり じっくりと聞かせて頂き、
    胸に沁み とっても懐かしく思い出に浸らせて頂きました。

    若かった半世紀前
    事情あり 一家の生活を背負う身で苦労しました。
    時間を無理してキリスト教会にも熱心に通っていました。

    戦後の混乱期、よくぞ母・姉・弟と過ごして来たと感無量です。

    有難うございました。


                   オアシス
    >
    > > 遠く、パリからくる悲しみの声を悼んで。
    >
    > の一文、興味深く読みました。
    > 私はまた、早くからBACHの宗教曲の愛好家で、旧制高校の頃から愛聴してきました。
    > 何故か心に響くものがありました。
    >
    > https://www.youtube.com/watch?v=Zf46MZ5SsGw
    >
    > これは4年前に銀座ライオンの上の階で仲間と共に歌ったものですが、
    > 私が深く惹かれるようになったのは昔、東北学院の講堂でパイプオルガンを聴いたころからでしょうか。
    >
    > 右手にシャンソン、左手にバッハ。その間色んなものを聴いてきましたが、ベートーベンのカルテットもSPで殆ど全部集めたものでした。131、132は勿論、ラズモフスキーなども好んで聴きました。それらもいつの間にか散逸してしまいましたが。
    >
    > フォーレやドビッシーの歌曲を聴いたのも懐かしい思い出です。バトリ、クロアザの10インチのアルバムも大事に聴きました。
    >
    > 戦時中でしたか、竹針で聴いたのも今となっては、そんなことが、という思い出です。
    >
    > しばらく寒いのでパソコン室から遠ざかっていたので今頃のRESです。
    >
    > あやさんのも拝見しました。


    [No.7435] ぺんぷらざ80号 投稿者:KANCHAN  投稿日:2015/12/14(Mon) 17:12
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       ぺんぷらざ80号       KANCHAN 


     私たちのやっている同人誌「ぺんぷらざ」が、2015年10月号をもって創刊第80号となった。

     創刊号は1995年1月号であるから、20年間続いたことになる。

     もともとは、当時NHKの仙台支店長をしておられた諏訪恭也氏が同好の士数人と語らって始めたものである。スタートに当たって、各人がA4用紙にワープロで書き、それを体裁よく綴じる、ということで始めた。創刊号は 6人の執筆者で31ページのものであった。

     やがて、友が友を呼んだ。80号では42作品で233ページになった。メンバーの構成は、元サラリーマンは20名、内NHK出身者は5名、富士銀行出身者が6名である。その他は元大学教授、高校教師、医師、幹部自衛官、さる県の副知事経験者等、バライティーに富んでいる。

     冊子が出来ると懇親会をする。みんなよくしゃべる。そして書きたいことがいっぱいあるという感じである。

     私がこの会に加入したのは、銀行で札幌支店の前任者であった小川九成氏の紹介であった。2001年の4月号(第22号)から投稿を始めた。80号まで59冊で14年半である。実は来年1月には81号が出来るから、60冊で、ほぼ15年続いたことになる。私は現在編集を担当して、各同人がEメールで送ってくる原稿の取り纏めをやっている。

     さてこの度、80号を記念して、創刊号からこれまでをDVDに纏めてみようということになった。約1万1千ページ、業者に依頼して、全てをスキャンしてもらった。ちょうどDVD一枚に収まった。創刊当時は思いもよらなかった、電子冊子が出来上がったのである。

     私の「ぺんぷらざ」の作品は、1999年ごろから始めたK-通信が核になっている。1989年(天安門事件の年)に銀行を退職して、予備校に移籍し、1998年から次の職場(電設資材商社)で、一線から退いた形になってコンピューターを始めた。そしてぽつぽつとキーボードで、我が思いを打つようになったというわけである。別葉に作品一覧を整理してみた。約600ページ書いてきたことになる。第二の人生の過ごし方としては、よく出来たというべきなのかもしれない。

     この間に、私は3人の孫を得て、いいおじいちゃんになった。しかし、2001年に伴侶として?飼い始めたゴンにはつい先日死なれてしまった。楽しみであった海外旅行も、妻の体力が落ちてきたこともあって、3月に行ったブラジル旅行が一区切りのように思う。そして、80号DVDが出来て一息ついた感じである。今のところは、来年4月の傘寿に無事たどり着きたいという気持である。

                           (2015.12.12)


    [No.7434] Re: バッハの宗教音楽を鑑賞して 投稿者:ザックス  投稿日:2015/12/14(Mon) 15:56
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    Grueさん

    > 遠く、パリからくる悲しみの声を悼んで。

    の一文、興味深く読みました。
    私はまた、早くからBACHの宗教曲の愛好家で、旧制高校の頃から愛聴してきました。
    何故か心に響くものがありました。

    https://www.youtube.com/watch?v=Zf46MZ5SsGw

    これは4年前に銀座ライオンの上の階で仲間と共に歌ったものですが、
    私が深く惹かれるようになったのは昔、東北学院の講堂でパイプオルガンを聴いたころからでしょうか。

    右手にシャンソン、左手にバッハ。その間色んなものを聴いてきましたが、ベートーベンのカルテットもSPで殆ど全部集めたものでした。131、132は勿論、ラズモフスキーなども好んで聴きました。それらもいつの間にか散逸してしまいましたが。

    フォーレやドビッシーの歌曲を聴いたのも懐かしい思い出です。バトリ、クロアザの10インチのアルバムも大事に聴きました。

    戦時中でしたか、竹針で聴いたのも今となっては、そんなことが、という思い出です。

    しばらく寒いのでパソコン室から遠ざかっていたので今頃のRESです。

    あやさんのも拝見しました。


    [No.7433] Re: 大成功のミニミニイベント〜2 投稿者:GRUE  投稿日:2015/12/12(Sat) 14:00
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    紋次郎さん、みなさん、こんにちは、

    子供への対応だけでなく、大人・年寄り用の企画も用意されていたとは
    実にご立派。感服致しました。


    [No.7432] Re: 大成功のミニミニイベント〜2 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/12/06(Sun) 21:57
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    もう一つはこの「キンダーブック」で、うちの町会は平均年齢が高いせいか「ふ〜ん、
    こういうの、あったよな」と懐かしそうに手に取って、しげしげと眺めるひとも、少なからずあったように思う。

     ちなみに、この本はかなり大型で、物差しを当ててみたら、210x300ミリほどあった。
    これは、「国語読本」とは違って復刻本ではなく、実際に使われたものだ。その証拠に
    うら表紙の「もちぬし」欄に、ペンで姓名が記入してあった。

     刊行は昭和26年というから、終戦直後のはずなのに、良い紙を使って立派な出来栄えだ。大体が絵本なので、数人の児童画家が手掛けているが、そのうち黒崎義介は、あっしのような紋外漢でも、たしか何度か聞いた名前だ。


    [No.7431] Re: 大成功のミニミニイベント〜2 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/12/06(Sun) 21:20
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    画像サイズ: 351×510 (77kB)
    当地の自治会館でのミニミニにはたくさんの子供が参加してくれたが、じつは当日の天気が客筋を左右する。もし、好天に恵まれていれば、彼らはおそらくバットやグローブを持って野球場へでもいってしまい、その代わりに来場者は年寄りばかりになってしまったかも知れない。あっしも、

     そこんところを考えて、両様の構えで望んだ。で、大人用としては誰が考えても『なつかしグッズ』に限ることから、こんなものを並べた次第。つまり、その一つは昔の女優や芸能人、プロレスラ−などのブロマイドだ。今回は前回と全く同じでは詰まらないので、あっしは、ブロマイドのほかに二点ほど買い足した。

     その一つが、この文部省発行の「小學国語讀本」である。古書店にはあいにく巻十、この1冊しかなかった。ただ、チョット目を通してみると、あの「稲むらの火」があるではないか。1冊でも「稲むらの火」はタイムリーである。あっしは、その点で大いに満足した。

     そのほかにも、「水兵の母」「水師営の會見」「朝顔に」「柿の色」「張良と韓信」
    などが掲載されていた。また、該当箇所にはしおりを挟んで、すぐ見られるようにした。


    [No.7430] Re: 大成功のミニミニイベント〜2 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/12/04(Fri) 23:03
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      GRUEさん、みなさん、こんばんは。

      ご丁寧なコメント、有難うございました。<m(__)m>

    > ミニミニイベントの大成功、ほんとによかったですね。

    > 成功の理由は、対象を好奇心旺盛な子供に絞ったことにありそう
    > ですね。


    子どもは好奇心旺盛で、何でも試してみないと、満足しないようです。従って、触るなと書いても勝手に触ってしまいます。逆に、触っていいよとやったのが、受けたのかも。

     そういった事情で、二回のつもりのイベントが(通算で!)三回にもなってしまいました。


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