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 文集   2015.1.1更新

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  • [No.7060] Re: みかんの花咲く丘 投稿者:Pan  投稿日:2015/05/30(Sat) 00:41
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    多摩のけんさん、みなさん こんばんは。

    >終戦直後、川田正子さんが歌った「みかんの花咲く丘」がさわやかにラジオに流れました。

     この歌には特に胸に沁みる思いがあります。

     終戦前の半年間、軍需工場の疎開工事建設の土木工事に動員され、
    終戦後すぐに微熱が続いて結核と診断され、中学を休学しました。

     事実上の退学と思っていたのですが、学校もごたごたしていたので、
    一年半後に一年遅れの復学を許され、まるまる二年間触れたことも無
    い教科書を手にしました。

     試験的な共学も始まった年です。

     新学期が始まってしばらく経った頃に音楽会があり、一学年下の男
    の子がボーイソプラノでこの歌を独唱しました。

     その男の子の名前は忘れましたが、顔や声は覚えています。

     中学に入学してからは軍歌以外を唱ったり聞いたりする機会も無い
    時期を過ごしていたので、この歌は戦争が終った事と、私は生き残っ
    ているという実感そのものでした。

     ミカンの花がどんな物かと知ったのもずっと後です。
     今は庭に植えた夏蜜柑の花を毎年見ています。

     終戦直後に出来た歌と知ったのは更に後になってからです。


       ***** Pan *****


    [No.7059] Re: みかんの花咲く丘 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/05/29(Fri) 18:53
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    多摩のけん さん、こんばんは。あの歌は当時、大ヒットしましたね。(^^♪

    > 終戦直後、川田正子さんが歌った「みかんの花咲く丘」がさわやかにラジオに流れました。

    > あの丘は静岡県伊東市宇佐美の亀石峠だそうですが、わたしの郷里にも、ほとんどおなじような丘がありました。

     そうです。静岡にあります。あっしは、ここを息子の車で通りかかった時、偶然この歌詞の書かれた歌碑を見つけ、さっそく車を止めてもらって写真に撮りました。

    > 私が上海から引き揚げてきて少年時代住んだところは熊本県宇土半島の南側で、
    > 目の前は有明海(不知火海)、後ろの丘は一面みかん畑(熊本みかん)で、まさに「みかんの花咲く丘」そっくりでした。

    > 懐かしい想い出です。

     あっしにとっても、懐かしい歌です。このときの写真は、帰宅後「全国の歌碑・句碑めぐり」に投稿しました。いまは、 「オンライン俳壇」に入っています。作詞は加藤 省吾という人でした。作曲者の海沼 實の楽譜も石碑になっていました。                               


    [No.7058] Re: 今年六十のおじいさん 投稿者:GRUE  投稿日:2015/05/28(Thu) 22:50
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    多摩のけんさん、みなさん、こんばんは、

    > 私が小学生の時、算数の「九九」を覚えるのに
    >   「77 49のおじいさん」
    >
    >  と言っていました。

    それは初耳です。しかし、「49のおじいさん」ですか。
    その頃の平均寿命が、まさに49才くらいですから、それとピッタリ
    合ってるんですね。

    となると、童謡「船頭さん」の「60のおじいさん」は、かなりの年だが
    まだまだ元気なおじいさんという意味合いがはっきりしてきますね。

    この70年で、約30才くらいの変化は、社会の基本構造の大激変と
    いうべきでしょうね。これをしっかり見極めないといけないのでしょう。

    高齢者(シニア)自身がどう生きるかという問題はもちろん重要ですが、
    同時に社会全体がどう向き合い対応するかということも又とんでもなく
    大きな課題と思えます。


    [No.7057] Re: 新版 点と線 投稿者:GRUE  投稿日:2015/05/28(Thu) 22:41
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    KANCHAN、みなさん、こんばんは、

    戦前ブラジルに移住されて、苦労して大きな農場を作り上げた叔母さん、そして
    その一族をお持ちとはKANCHANも誇らしいでしょうね。

    >  亡くなった土地名義人夫婦の兄弟姉妹で存命中なのは、叔母ただひとりであった。しからば、その土地の名義はどうするか。私も元銀行員であり、相続問題の処理は大変難しいことは分かっていた。例え、土地名義人の兄弟等が皆亡くなっても、その子がどこかにいれば、そのものにも相続権はあるのである。結局担当者とも話あったが、土地名義はそのままにしておくしかないということになった。

    なんだかドラマを見ているような感じがします。歴史の重みでしょうか。
    やはり、手が付かない訳ですか。

    > 日本中にそういう土地はたくさん存在するらしい。

    そうでしょうね。私も、相続に一寸関わってみて、全相続人の確認の仕事が
    大変難しいことを知りました。相続人はこれで全てあることを確認できなけ
    れば先へ進めないようですね。仮に、リストはできても、その全ての相続人
    の意志を確認することは更に難しいとか。

    これを追い詰めるのは、なんだか、推理小説の世界に入り込んだ気分でしょうね。

    >  話はかわる。私は山口市へ、羽田から宇部まで全日空で飛んだ。シニア割引で1万2千円。朝10時15分発で宇部着11時55分である。新幹線では8:40発、新山口13:22着。先日テレビ朝日で松本清張ドラマ「点と線」をやっていた。4時間の長編で、ビートたけしが渾身の演技で評判になったものであるが、このミステリーのトリックは、有名な「空白の4分間」の他に、犯行現場福岡香椎にたいし、犯人と目をつけた男が北海道札幌に1日の差でいたというアリバイ崩しが焦点であった。答えは今では何のことは無い飛行機利用なのであるが、あの小説が書かれた1957・8年当時、国内線の利用はまだ珍しかったらしい。読者も夢中になって謎ときに挑んでいたのだ。

    えー、私も松本清張ものの関心は、「点と線」あたりから始まったように思います。
    設定場面が、九州で福岡県東部であったこともあります。彼は小倉出身なので、
    九州を舞台のものが多い。特に初期の作品には。

    >  もっともブラジルの親族達は、日本は新幹線があってうらやましいと話していた。

    なんだかほんわかするお話しですね。いい親族をお持ちでいいですね。


    [No.7056] Re: みかんの花咲く丘 投稿者:GRUE  投稿日:2015/05/28(Thu) 22:21
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    多摩のけんさん、みなさん、

    > 終戦直後、川田正子さんが歌った「みかんの花咲く丘」がさわやかにラジオに流れました。
    > あの丘は静岡県伊東市宇佐美の亀石峠だそうですが、

    この歌は、胸に染みこむような暖かさがあり、印象に残る童謡ですね。
    終戦直後、NHKの、静岡県との連携ラジオ番組で、作曲家の海沼實が作成を
    任され、作詞を加藤省吾に依頼して、1日でやっとできたもののようです。


    > わたしの郷里にも、ほとんどおなじような丘がありました。
    >
    > 私が上海から引き揚げてきて少年時代住んだところは熊本県宇土半島の南側で、
    > 目の前は有明海(不知火海)、後ろの丘は一面みかん畑(熊本みかん)で、まさに「みかんの花咲く丘」そっくりでした。
    >
    > 懐かしい想い出です。

    そうでしたか。特にこの3番の歌詞がいいですね。

    横浜の外人墓地、海の見える公園から、湾を見下ろした時、
    みかんはありませんが、似たような感慨を覚えました。
    遠くに船が行き来していました。


    [No.7055] Re: 渋谷で会えるボッティチェリとルネッサンス 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/05/26(Tue) 22:14
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     GRUEさん、みなさん、こんばんは、

    > ご紹介ありがとうございます。

    > これは面白そうですね。

     そうですね、ボッティチェリの展覧会は、あっしも初めてです。

    > 例えば、受胎告知と言えば、ダビンチの青色が綺麗なのが思い出されますが、
    > ボッティチェリのはほんとに離れてますね。

    > 是非行きたいですが、でも、私も色々あっていけるかどうか。

      それは、ほんとうに残念ですね。また、公私とも、超

    お忙しい中、早速コメントを頂き感謝です。ダヴィンチの「受胎告知」はたしかに有名ですね。このテーマでは色々な画家が挑戦しているので、比較してみるのも面白いかも。

     きょうは、一寸思いついて、あのヴァザーリがサンドロについてどう云っているかが、急に知りたくなり、かれの「芸術家列伝」を開いてみました。ボッティチェリは、非常に丁寧な仕事をする人らしく、かれのことはもう、べた褒めでした。さらに、また愉快な一面もあったようで、弟子や友人をからかったり、引っ越ししてきた隣人に、静かな環境をかき乱された時など、彼一流のユーモアで対抗し、相手をぎゃふんと云わせたようで、そういった、かれの意外な面をみつけ、すこし驚いています。


    [No.7054] みかんの花咲く丘 投稿者:多摩のけん  投稿日:2015/05/26(Tue) 11:07
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    終戦直後、川田正子さんが歌った「みかんの花咲く丘」がさわやかにラジオに流れました。
    あの丘は静岡県伊東市宇佐美の亀石峠だそうですが、わたしの郷里にも、ほとんどおなじような丘がありました。

    私が上海から引き揚げてきて少年時代住んだところは熊本県宇土半島の南側で、
    目の前は有明海(不知火海)、後ろの丘は一面みかん畑(熊本みかん)で、まさに「みかんの花咲く丘」そっくりでした。

    懐かしい想い出です。

                                     多摩のけん


    [No.7053] Re: 今年六十のおじいさん 投稿者:多摩のけん  投稿日:2015/05/26(Tue) 10:41
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    > 童謡「今年六十のおじいさん」の歌を時々口ずさんでいることがある。
    > 多分歌い易い歌だからでしょう。

    私が小学生の時、算数の「九九」を覚えるのに
      「77 49のおじいさん」

     と言っていました。

                                  多摩のけん 


    [No.7052] Re: 5月の日程もびっしりでした 投稿者:あや  投稿日:2015/05/25(Mon) 21:10
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    GRUEさん、

    お読みいただいてありがとうございます。

    >
    > いつもながら、すごいスケジュールですね。お大事にしてください。(笑)

    呆れてものが言えないというところでしょうか?

    今日は障害者の活動ホームへ行って来ましたが、真っ直ぐ、早く帰って来たかった
    のに、「一緒に帰って、一緒に帰ろう。お願い!」と言う女性がいて、結局遠回り
    して帰ってきました。
    更に、自治会館へ寄り、健康チェックの器材の引き取りに使う軽トラの借用登録
    などして来ました。
    こういった余分なことまで入るので、なお大変です。

    〉お大事にしてください。(笑)

    うれしい言葉ありがとうございます。十分気をつけてやっていきます(笑)


    [No.7051] 新版 点と線 投稿者:KANCHAN  投稿日:2015/05/25(Mon) 18:02
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    KANCHANから送られたエッセイを掲載します(GRUE)

    -----------------------------------------
    新版 点と線     KANCHAN


     3月に訪問したブラジルの叔母の家で、こんな相談を受けた。

     実は昨年の11月頃、一通の手紙が、日本の中国電力から届いたという。内容は、叔母が権利を持っている山口県の土地の上を、中国電力の送電線が走っている。その土地に生えている木の枝が伸びすぎて、送電線に届きそうである。このままほっておくと危険なので、枝を短く伐採したい。ついては叔母に同意してほしいというものであった。

     叔母はびっくりした。山口県の土地のことなど初めて聞いたという。一族が集まって協議しているうちに、中国電力から電話が掛って来た。叔母と比較的日本語の分かる者が応対に出て、とにかく伐採の同意書にサインして送り返したという。

     今回私がブラジルに行ったので、帰国したらその土地の事を調べてもらえないかと相談を受けた。

     4月の上旬私は山口市の中国電力の支社を訪ずれた。担当者が宇部空港まで出迎えてくれて丁寧に現場まで案内してくれた。

     問題の土地は中国道ぞいの山の中にあって約3千平米ほど、それも傾斜地でなんの使い物にもならないようなものであった。叔母の姉の御主人の名義になっていて、2人ともすでに他界していた。

     中国電力の担当者から苦労話を聴いた。当初親類縁者が一切見つからなかったという。役所に行って調べ、近くでの聞き取りをやるなどして、漸くブラジルへ行った一家の事を突き止めた。そしてサンパウロの山口県人会に叔母の名前を見つけたという。ちょっとした松本清張ものであった。

     亡くなった土地名義人夫婦の兄弟姉妹で存命中なのは、叔母ただひとりであった。しからば、その土地の名義はどうするか。私も元銀行員であり、相続問題の処理は大変難しいことは分かっていた。例え、土地名義人の兄弟等が皆亡くなっても、その子がどこかにいれば、そのものにも相続権はあるのである。結局担当者とも話あったが、土地名義はそのままにしておくしかないということになった。日本中にそういう土地はたくさん存在するらしい。

     話はかわる。私は山口市へ、羽田から宇部まで全日空で飛んだ。シニア割引で1万2千円。朝10時15分発で宇部着11時55分である。新幹線では8:40発、新山口13:22着。先日テレビ朝日で松本清張ドラマ「点と線」をやっていた。4時間の長編で、ビートたけしが渾身の演技で評判になったものであるが、このミステリーのトリックは、有名な「空白の4分間」の他に、犯行現場福岡香椎にたいし、犯人と目をつけた男が北海道札幌に1日の差でいたというアリバイ崩しが焦点であった。答えは今では何のことは無い飛行機利用なのであるが、あの小説が書かれた1957・8年当時、国内線の利用はまだ珍しかったらしい。読者も夢中になって謎ときに挑んでいたのだ。

     もっともブラジルの親族達は、日本は新幹線があってうらやましいと話していた。


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