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  • [No.7812] 「闇からの声」その後 投稿者:男爵   投稿日:2017/02/25(Sat) 14:18
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    画像サイズ: 469×409 (29kB)
    夏子さん

    > 私の記憶で、一番印象に残っているミステリーは、フィルポッツの「闇からの声」です。

    > でもね、面白かった、という記憶は鮮明であるのに、内容は全く覚えてないのです(^^ゞ

    「闇からの声」は面白かった小説でした。
    同じ著者の
     「赤毛のレドメイン」
    これも読みました。

    創元社 世界推理小説全集 昭和31年
    これでは
    ・赤毛のレッドメーン
    となっていました。

    だから、私は「赤毛のレッドメーン」と記憶していました。
    読んでいるうちに、これは一度読んだことがあると思いました。
    これのトリックは有名で、横溝正史などさかんに使っていたのでした。

    「闇からの声」は一気に読めました。
    筋の展開がスムーズ

    いまは
    ・矢の家
    ・赤い館の秘密
    ・Xの悲劇
    に挑戦しています。

    昔の推理小説は名作といわれるものでも、(現代の推理小説にくらべると)読みにくいですね。
     ある意味、文学作品みたい。


    [No.7811] Re: じゃがいもとさつまいも 投稿者:安房守  投稿日:2017/02/24(Fri) 20:25
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    あやさん こんばんは。

    私は昨日、里芋とジャガイモをご近所から頂きました。
    どちらも徳島県の名産とか、どちらも一味違いました。
    イモにも色々あるのですね。



    > お読みいただいている方があったら、
    > タイトルの「じゃがいもとさつまいも」が出てこないのに、おかしいとお思いでしょうね
    >
    >
    > 最後になりました。
    > そのような一人暮らしが続いているので、前に買ったものが残ってしまっていて、始末に負えないので、今朝は古い古い「じゃがいも」を主食に茹でて食べたのです。
    >
    > ところが出かけた先のおうちで、「もらったものだけど、食べて」とテーブルの上にあったお皿を向けてくれました。
    > なんと「さつまいも」の焼いたのでした。朝は「じゃがいもを」食べたと言えず、皮を剥いていただきました。なんとおいしかったことか、作っている農家の方が、差し入れてくださったものなのです。
    >
    > 焼酎のお湯割りと、「さつまいも」「小松菜の漬物」を腹いっぱいにいただいて帰ってきました。
    >
    > こんな日ってあるのですね。でも、それぞれにおいしく満足感を味わいました。


    [No.7810] バスの中で 投稿者:男爵   投稿日:2017/02/23(Thu) 14:47
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    今日も用事があって
    市内を廻る100円バスに乗ったら
    若い女性が、乗り方がわからないようで聞いてきました。

    これは、どこまで乗っても100円なので
    降りるとき100円を払えばいいと教えました。

    便利なので旅のガイドブックに出ているせいか
    修学旅行の小学生や中学生や、熟年のカップルの乗車が見受けられます。

    そして、まごつく人を見て何度か教えたりしました。

    私に聞いた若い女性は、実は英語を話すアジア人なので
    もしかしたら中国人? と聞いたら、やはりそうでした。

    私も中国には何度か行ったことかある
    北京、西安、上海に行ったと話して
    成都、大連、広州と続けたいが発音が難しい(中国語の発音はむずかしくてできません)
    だから、紙に書いて見せました。

    彼女は、自分は長春の大学を卒業したと紙に書いてくれました。

    それから、市内の地図を見せながら、買い物をしたいから
    商店街に行くといいました。

    私もそこで降りるから一緒に降りて、商店街の場所を教えて別れました。

    話は半分くらいわかったかな、半分くらい伝えたかな
    という気分でした。

    私は中国人留学生をたくさん世話した。
    私は中国と中国人が好きだと言ったら、彼女は笑顔になりました。

    日本語とサバイバル英語(文法無視の単語だけならべる)でのコミュニケーション
    でも、助けてあげた、喜ばれたという実感。

    今夜は楽しくお酒が飲めそうです。


    [No.7809] じゃがいもとさつまいも 投稿者:あや  投稿日:2017/02/23(Thu) 14:01
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    夫は数日前に山形へ帰郷、雪が積もってどうしようもないとのことで雪かきに出かけたのです。でも、夫にできたかどうか? 一緒に行ってくれた若者がやってくれたと思います。
    そんな夫からの便りはあまりありません。妹とのんきにできているのだろうと思っています。

    その間、一人でのんびりできていいとも思っていましたが、
    17日から22日まで、会議、丁目のお疲れさん会、防災訓練、ボランティア、研修会、講演会などなどがあって家にいられませんでした。
    23日の今日時間ができて、久しぶりに家に。でもグループの交付金申請などがあり、家にいてもパソコンに向かっている状態なのです。

    今日も午前中パソコンにとりついていました。退屈になってしまって、昼に近所の方へ電話、少しの時間ならいいといわれ、1時間ほど行ってきました。その1時間の間に焼酎のお湯割りを何杯か呑んでしまいました。

    明日は趣味の会の会合があり。明後日は役員会、26日は障害者とのお茶の会の稽古日になっていて、できたら参加をと依頼されています。空いているので参加をと思っていのです。

    27日には夫が帰ってくるのか、1日が病院行きなので早めに帰ってきてほしいのです。

    そんなこんなの毎日、珍しく眠気と疲れを感じています。いやな気持ではなく心地よい疲れです。その疲れというのは、交付金の関係のことや、新年度の成り行きに、眠れない日が続いているからでしょう。

    15時半頃にまた、遊びに行こうと思っています。その間、パソコンを開いて打ち込みをと考えています。

    お読みいただいている方があったら、
    タイトルの「じゃがいもとさつまいも」が出てこないのに、おかしいとお思いでしょうね


    最後になりました。
    そのような一人暮らしが続いているので、前に買ったものが残ってしまっていて、始末に負えないので、今朝は古い古い「じゃがいも」を主食に茹でて食べたのです。

    ところが出かけた先のおうちで、「もらったものだけど、食べて」とテーブルの上にあったお皿を向けてくれました。
    なんと「さつまいも」の焼いたのでした。朝は「じゃがいもを」食べたと言えず、皮を剥いていただきました。なんとおいしかったことか、作っている農家の方が、差し入れてくださったものなのです。

    焼酎のお湯割りと、「さつまいも」「小松菜の漬物」を腹いっぱいにいただいて帰ってきました。

    こんな日ってあるのですね。でも、それぞれにおいしく満足感を味わいました。


    [No.7808] Re: 三四郎を読む 投稿者:あや  投稿日:2017/02/22(Wed) 07:50
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    >  夏目漱石の「三四郎」は、明治41年(1908年)に朝日新聞に連載された。主人公たる小川三四郎が、熊本の高等学校を卒業して、東京帝大に入るために汽車で上京するところから物語は始まる。私は作品の中に日露戦争がどう扱われているのか興味があったのであるが、車中である老人が、戦争未亡人と思われる女性に「自分の子も戦争中兵隊にとられて、とうとうあっちで死んでしまった。一体戦争は何のためにするのかわからない。大事な子は殺される、物価は高くなる。こんな馬鹿げたものはない」と言わせているのみで、人道主義とか、国家主義とか言った言葉は出てこない。まあ、当時の日本人は純朴?であったのかもしれない。
    >
    >  なにか心当たりがないわけではない。しかし、漱石の描く女性は結構魅力的だ

    読ませていただいて、本棚の中の夏目漱石集を横目で見たりしていましたが、時間が
    なくレスができませでした。

    今日届いた仲間中の句集の中に、「三四郎」が出てきたのです、もちろいん本棚の
    中のことをうたっていました。
    そんなことで、また読み返してみようかな? など思っています。


    [No.7807] 鴎外の旧居 投稿者:男爵   投稿日:2017/02/22(Wed) 06:52
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    画像サイズ: 314×357 (30kB)
    森鴎外
     明治22(1889)年 27歳
     3月海軍中将赤松則良の長女登志子と結婚。
     夏に根岸から下谷区上野花園町11番地に住む。
     (この家は、池之端3丁目の水月ホテル鴎外荘に保存されている)

    明治23(1890)年 28歳
     9月長男於菟(おと)生まれる。妻登志子と離婚。
     10月本郷駒込千駄木町57番地に転居。
       この家は後に夏目漱石も住んだ。現在明治村にある。
       漱石はロンドンから帰国して明治36(1903)年3月に住むが、
       明治39(1906)年12月に本郷区西片町十ろノ七に転居した。

    メロウ倶楽部に入会して
    しばらくして
    谷中オフに参加しました。

    その節は寒梅さんにお世話になりました。

    水月ホテル鴎外荘は、ザックスさんのお世話で、みんなで会食したとき見ました。

    あやさんのさっそうとした和服姿。


    水月ホテル鴎外荘の写真が見つからないので
    そのときの谷中の散歩で見かけた愛玉子の店の写真です。


    [No.7806] Re: 「闇からの声」 投稿者:男爵   投稿日:2017/02/21(Tue) 11:53
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    夏子さん

    > 私の記憶で、一番印象に残っているミステリーは、フィルポッツの「闇からの声」です。
    > いったい何十年前に読んだのか定かではありませんが、著者名とタイトルだけは
    > 忘れたことがありません。
    >
    > でもね、面白かった、という記憶は鮮明であるのに、内容は全く覚えてないのです(^^ゞ

    > 「赤毛のレドメイン」が代表作とされているが、それより「闇からの声」のほうが
    > 面白かった、というのがありました。

    「赤毛のレドメイン」と「闇からの声」
    どちらも一度は読んだはずですが、すっかり忘れている。  (^^;

    というわけで
    「闇からの声」を図書館から借りてきました。

    はじめに、「嵐が丘」のように幽霊が出てくる。


    話は変わりますが
    小学生の時、同級生の女の子から「少女クラブ」を借りて読んだことがあります。
    「リボンの騎士」を読むのが楽しみでした。

    その「少女クラブ」には西條八十の少女探偵が活躍する小説がありました。
    西條八十は頭が良いと思いました。


    [No.7805] 鴎外・漱石の旧居 投稿者:男爵   投稿日:2017/02/21(Tue) 08:21
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    画像サイズ: 448×336 (21kB)
    夏目漱石は森鴎外の住んでいた家に
    鴎外の後で住んだことがあるのです。

    鴎外と漱石が住んだ家は
    明治村に保存されてあります。

    この家で
    夏目漱石は「吾輩は猫である」を書いたのです。

    日の当たる縁側に、なにやら猫が歩いてきそうです。

    明治村には
    石川啄木一家が借りて住んでいた
    本郷三丁目近くにあった喜之床も移転されてあります。
      床屋の二階に啄木一家は住んでいたが、啄木が結核なので追い出された。

    明治村を歩くと
    明治は遠くなりにけりという思いと
    日本文学の歴史を考えることがあります。

    活字で書かれた作品を読むのもいいが、作者の住んでいた家など見るのも考えるもとになります。


    [No.7804] 「闇からの声」 投稿者:夏子  投稿日:2017/02/20(Mon) 00:39
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    男爵さん

    > > まったく同感です(^o^)/ それゆえに好きではありません。
    > > 最初に読んだアガサ作品は「アクロイド殺害事件」でした。あまりにアンフェアで、
    > > 詐欺にあったようで、以来、面白いと思って読んだことはないような・・・
    > > と言うより、ほとんど読んでいないかもしれません。
    >
    > 私だけかと思ったら、夏子さんもそうでしたか。
    >  安心しました。 (^^)

    私の記憶で、一番印象に残っているミステリーは、フィルポッツの「闇からの声」です。
    いったい何十年前に読んだのか定かではありませんが、著者名とタイトルだけは
    忘れたことがありません。

    でもね、面白かった、という記憶は鮮明であるのに、内容は全く覚えてないのです(^^ゞ

    どんなストーリーだったっけ、と先ほどググってみました(^^ゞ
    ミステリーですから、どこにも導入部だけしか書かれてないようですが、レビューでは
    やはり絶賛する人ばかりでした。

    「赤毛のレドメイン」が代表作とされているが、それより「闇からの声」のほうが
    面白かった、というのがありました。

    なぜ、これを私が書いたかと言えば、何と、彼は、アガサ・クリスティの少女時代に
    隣家に住んでいた、と、ウィキに書いてあったんですよ!! イヤー、びっくり。

    その頃、アガサの書いた小説に適切なアドバイスをしたとありました。この偶然に
    コメントしたくなった私の気持ちはお分かり頂けたと思います(^o^)/

    好きでないミステリー作家と好きなミステリー作家が隣同士に住んでいたなんて、面白くて・・・

    「闇からの声」は、ぜひ、また読み直したいと思いました。ついでに「赤毛のレドメイン」も。
    夏子


    [No.7803] 夏目漱石の留学 投稿者:男爵  投稿日:2017/02/19(Sun) 07:30
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    よくいわれるのは
    夏目漱石の留学と森鴎外の留学の比較です。

    片方は文学という、いわゆる虚学  もう片方は医学という、いわゆる実学
    漱石の相当年をとってからの留学に対して、鴎外は若かったから青春を謳歌した。
     漱石のロンドン生活は苦しかった。  鴎外のベルリン生活は楽しかった。

    ここでは
    ある本を読んでの夏目漱石のロンドン留学の意味を
    私なりにまとめたいと思います。

    漱石の留学
     漱石は希望してイギリス留学をしたのではなかった。

     漱石は留学前に、上田萬年から、留学の目的は
     英語の研究をすることで英文学を研究することではない、と言われた
     ことにもこだわった。

      上田 萬年(うえだ かずとし)は、東京帝国大学文学部長を務めた。 小説家円地文子の父。
      後輩の金田一京助には、アイヌ語の研究をせよと言ったように、漱石にも英語学が日本に必要だと言ったのだろう。

     彼が英文学に欺かれたような不安感を覚えたのは、彼に漢文学が与えた
     充実感があってからである。文学とはこのようなものだという実感を
     彼の中に培ってくれたのは漢文学であった。
       漱石の期待した漢文学の雰囲気は、近代ヨーロッパの英文学にはなかった。

     ロンドンの下宿で1か月暮らした漱石はそこを出てしまう。
     その下宿は4人の家族が住んでいたが、ほとんど家族らしい情愛が通っている
     とは思われないほどたがいにバラバラな人間関係だった。
     漱石はこの家のあまりにも暗い惨めな重苦しい雰囲気にたまらなくなったようだ。
     (家主の老令嬢は、母の死亡後、母の再婚相手の義父とその連れ子つまり
     義兄、そして義兄の娘の計4人家族として生活していた)
     (江藤淳はこの一家をユダヤ人だったかも知れないと推測している)

     のちの「味の素」の発明者である池田菊苗が、ドイツ留学を終えての
     帰途ロンドンでしばらく、漱石の下宿の一部屋に寝泊まりした。
     池田は化学者でありながら英文学、漢文学の素養も深く、
     ともに語り合うことのできる友人だった。

     しかし化学という着実に目に見える成果のあがる研究をしてきた
     池田の自信に満ちた態度は、漱石に自分と英文学との関係の実態を
     自覚させずにはおかなかったろう。何の成果もあげなかった漱石の留学。

     <ロンドンに住み暮らしたる2年は尤も不愉快の2年なり。余は英国紳士の
     間にあって狼群に伍する1匹のむく犬の如く、あわれなる生活を営みたり。
     余は物数奇なる酔狂にてロンドン迄踏み出したるにあらず。個人の
     意志よりもより大いなる意志に支配せられて、気の毒ながら此歳月を君等の
     恩澤に浴して累々と送りたるのみ。2年の後期満ちて去るは、春来って
     雁北に帰るが如し>
     
     漱石はここでは、留学は官命による強制だといわんばかりである。
     とにかく彼は留学を大いなる無駄と見なしているようだ。
     イギリス留学が無駄だったと骨身にしみて感じたであろう漱石は、そこで英文学に
     求めるべきでないものを求めていた自分の錯覚に最終的に気づき、
     真に自分がなすべき仕事へ目覚める機会を得たに違いない。

     留学は回り道であった。しかし作家漱石の誕生のためには必須の過程で
     あった。

     英国ではできなかった漱石文学を、日本に帰ってから少しずつ築いていった。

     作家としての漱石の留学体験は、ヨーロッパと近代日本、そして
     近代日本と知識人という問題に深くかかわっているということである。

    いまでも文学は、医学や工学のような(すぐ)役に立つものではないから
    文学をやる人というのは、世間に対して一種の身構えがあるように思います。
    また、世間もわれわれも、文学に対してある種の思いがあるようです。


    現代では、夏目漱石は精神病を患っていたことは常識ですが
    数十年前には某医師が、漱石の作品から、うつ病ではなかったかと推定していました。

    ロンドンで漱石が発狂したという噂が流れ、漱石の妻は
    その噂を流したのは当時英国留学していた土井晩翠だろうと思って
    抗議の手紙を書いたそうです。(漱石のあとがまを狙った土井晩翠と邪推した)

    これはまったくのぬれぎぬ
    土井晩翠は大変困ったでしょう。彼も東大出だが、仙台で十分活躍しているから、いまさら東京に行く気はなかったのに。

    あとで、その噂は別の男が流したことがわかった。

    斎藤茂太の本を読むと、祖父がドイツからの帰りに、ロンドンで漱石と会っていたので
    精神科医の祖父と会ったことから、漱石の精神病の噂が流れたのではないかと推定しています。


    夏目漱石や金田一京助には厳しかった上田萬年は
    文部省唱歌「故郷」「朧月夜」「もみじ」「春の小川」などをつくった
    高野辰之の理解者であり指導者でした。

    高野が 1925年(大正14年)に「日本歌謡史」で文学博士(東京帝大)となったのは
    上田萬年によるところが大きいと思います。


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