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 文集   2015.1.1更新

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  • [No.7050] Re: 5月の日程もびっしりでした 投稿者:GRUE  投稿日:2015/05/25(Mon) 17:24
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    あやさん、

    いつもながら、すごいスケジュールですね。お大事にしてください。(笑)


    [No.7049] Re: 渋谷で会えるボッティチェリとルネッサンス 投稿者:GRUE  投稿日:2015/05/25(Mon) 17:21
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    紋次郎さん、こんにちは、

    ご紹介ありがとうございます。

    これは面白そうですね。
    例えば、受胎告知と言えば、ダビンチの青色が綺麗なのが思い出されますが、
    ボッティチェリのはほんとに離れてますね。

    是非行きたいですが、でも、私も色々あっていけるかどうか。


    [No.7048] 渋谷で会えるボッティチェリとルネッサンス 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/05/25(Mon) 10:05
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    画像サイズ: 311×450 (86kB)
    記憶がまだ鮮明な内に書き留めておこう。きのう(実は5月10日のこと)、久方ぶりにシブヤへ行った。ガラになく。

     今ちょうどBunkamuraのザ・ミュージアムで「ボッティチェリとルネッサンス」と銘打って絵画展をやっていたのだ。

     会期は来月末まであるのだが、来月はあっしなりに忙しくたぶん無理だろうということで、きょうは何とか時間を作って行ってみた。上野は割と行くのだが、渋谷はふだん全然行かないので全くの地理音痴である。それでも、何とか会場を探し当てた。

     道路に突っ立っていたガードマンは東急デパートの正面から入るようなこと云っていたが、隣接ビルの地下にあるので、脇の方から入った方が正解のようである。ま、本館の方のジュンク堂にも、多少用があったので、その意味では、正面でもよかったのだ。

     この展示はふつうの美術展とはちょっと違っていて、最初に出て来るのは絵画でなく、フィオリーノ金貨である。この財力あってこそイタリアの文化は花開いたのである。たぶんそう云いたかったので、絵画ではなく金貨を序章へ持ってきたのだろう。

     これは、本展企画者ルドヴィカ・セブレゴンディ氏のアイデアだろうと思う。日本でも、文化の花開いた時には、そうであったようにイタリアでも、奢侈令が出て、絵師までが影響を受けたそうだが、どこでも同じようなことが起こるものだ。なるほど絵の中の婦人が着ている服が質素になっていたりする。

     この展覧会は、ルネッサンス(イタリアではリナシメント)という時代を描くので、いきおい、ボッティチェリだけでなく、同時代の画家たちや彼の工房の絵なども出てきて、興味深かった。あっしはすでにフィレンツェで実際に「ヴィーナスの誕生」、「春」などは鑑賞済みだが、ここへきて、彼の作品も「ヴィーナス」だけではなかったことが、よく分かった。

     集中、一番迫力のあったのはやはり、何といっても、従来門外不出と云われていた1481年作の「受胎告知」ではなかったか。長辺がなんと、555センチもある。

     登場人物の位置関係だが、天使と聖母がこれほど離れているものは珍しいとも、思う。また、超有名なヴィーナスの誕生から、ヴィーナスだけ取り出したもの(工房作)が展示されていたが、あっしは、「誕生」に描かれた本物のヴィーナスより、このヴィーナスの顔の方が、どちらかといえば、好きだ。それには、さいきん本物の露出度があまりにも多く、見飽きたせいもあろう。美人も三日見れば、誰だって飽きる、ってか。(-_-;)それから、

     当時の嫁入り道具の鏡や、カッソーネ(婚礼用の長持ち)、出産盆という聞きなれない道具などもきっと、見学者の興味を引くに違いない。

     それから、当時ぜいたくを戒めたドミニカ派の僧、ジロラモ・サヴォナローラだが、あっしは焚刑に処せられたことしか知らなかったが、死後になってもその影響力は衰えず、彼を慕うものも数多かったことを知って、いささか驚いた。当のボッティチェリでさえ、晩年は彼の影響を受けて、作風が大きく変わっているというのだ。

     ボッティチェリのほかでも、クレディという画家は、サヴォナローラの信奉者であり、この画家では「ジャスミンの婦人」という油彩画が展示されている。

     額縁にもいろいろあり、「開廊の聖母」のは、上にコーニスというのか、半円形の部分が付いていて、説明では、この部分はチマーザと呼ぶようだ。ここに描かれたハトが、聖霊を表しているのだそうな。

     展覧会も、企画するものに依って大きく変わるので、なかなか勉強になる。当時の権力者メディチ家の紋章は、方々に出て来る。

     展示品はウッフィッツィのだけではなく、ヴァチカンやストラスブール、パリ、ワシントンなど、世界各地から集められており、この機会にぜひ観覧をお勧めする。
    (終り)

     つけたり。この展覧会の会期は、6月28日までだが、有難いことに、夜間も開館しており、希望者は、午後6時半までに入館すればよい。このサービスを利用して、展覧会の方はいい加減に見て、その後、気の利いたレストランかなんかで、彼女とシブヤの夜を思いっきり楽しむとか、そんな怪しからん夢が膨らんできた。(^^♪

      下のサイトでも、作品のかなりの部分が見られるので、いちおう紹介して置く。
          ↓      ↓      
                                   
      http://www.tomosha.com/mado/6232


    [No.7047] 5月の日程もびっしりでした 投稿者:あや  投稿日:2015/05/23(Sat) 14:34
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     今日は家にいられた。と言っても、倶楽部の幹事会の費用計算、もう一つの会の
    会計報告を作成しました。その間、洗濯機を回し干したりと忙しいです。夜は連合
    の役員会があります。
    
     月日の経つのは早いもので、あと9日で5月も終わろうとしている、そんな5月
    をどのように過ごしたか、手帳を眺めて見ました。
    
    5月
     1日 パソコン1日やってしまった。広報・保健活動資料打込み
     2日 友人と3年ぶりの再会、飲んでだべった。夜は幹事会
     3日 知人宅へ。パソコンの整理・飲んでおしゃべり
     4日 グループホーム介助の仕事
     5日 広報打込み、パソコン仲間知人宅会合
     6日 グループホーム介助の仕事
     7日 活動ホームボランティア
     8日 役所胃がん検診手伝い
     9日 三大行事委員会
    10日 グループホーム介助の仕事
    11日 活動ホームボランティア・広報発送
    12日 友人にパソコン教えに・飲んで食べたりもした
    13日 広報配布・郵便局へ発送
    14日 パソコン1日・ホームページなど
    15日 倶楽部のことで、銀行関係回る
    16日 グループホーム介助の仕事
    17日 子どもレクリェション大会手伝い。終わって知人宅
    18日 グループホーム介助の仕事
    19日 保健活動推進員研修会・員会
    20日 倶楽部幹事会一泊
    21日 終了後、もう一つの会の勉強・懇親会へ
    22日 趣味の会の勉強会・懇親会
    23日 幹事会費用・もう一つの会の会計報告作成 夜は連合役員会
    24日 グループホーム介助の仕事
    25日 活動ホームボランティア
    26日 保健活動推進員会長会、終わって新年度懇親会
    27日 益子へ焼き物見に行きたいと友人から入っている
    
    28日・29日はゆっくりできるかなというところです。
    
     ちなみに家に1日いられた日は、
    1月は3日・2月は4日・3月は4日・4月は6日間でした。この中には知人宅へ
    行った日があるかも知れません。
    
     今月5月、家に1日いられる日は28・29日となりますか?
     6月を開いて見ると、5月末から10日まではびっしりと詰まっています。
    
     家にいても、ただテレビを見ながら、お茶を飲むなんて言うことはなく、10分
    でも座ってゆっくりなんてないのです。
     なにかしら手を動かしてます。
    
     最近はなぜか? 5時過ぎ頃目覚めるのですが、それがどうしてか???と思い
    ながら気が付きませんでした。
     1昨日の会議の中で「あっ!」と思ったのです。「歳をとったというこどだわ」と。
    
     そんなことで、日中は手を付けることもできない手芸に、この時間を充てている
    のです。6時に起き出し、机の前に立って趣味の手芸をやっています。
     窓からは緑が望まれ、老鶯の声が入って来て、と、とてもいい気持ちです。 
    
     みなさんの一か月はどのようになってりうでしょうか?
     お聞きしたい思いです。どうぞ書き込みをお願いいたします。
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
     


    [No.7046] Re: 今年六十のおじいさん 投稿者:GRUE  投稿日:2015/05/17(Sun) 12:50
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    YKOMAさん、みなさん、おはようございます。

    ご無沙汰しています。早速のレスありがとうございます。

    > お説の通りですが、現今の相場では60から幅が広がっていますし、
    > おじいさんは珍しくなくって、そんじょそこらにおりますから。
    >  ただし、唄のニュアンスからいうと 90歳以上を○○の中に
    > 入れるべきでしょうね。

    やはりそうですか。ここは迷ったのですが、当初の92でよかった
    かな。一応丸めて90にしておきますか。それがいいかもしれませ
    ん。

    70年余り前、1941年頃に「ぎっちらこ」できる年齢が60で
    あり、60は、還暦年齢であり、又、つい最近まで、定年年齢でし
    た。

    従って、60という年齢は、誰にしても深く記憶に刻み込まれてき
    たと思います。

    それ故に、80、90という年齢はとんでもない年寄りとしての思
    い込みが普通になっているでしょうね。それが、判断を狂わせてい
    るのではないかと懸念もします。

    自らも、もう年だからと、内にこもってしまう傾向は生じていない
    でしょうかね。

    > かくいうわたしですら80を過ぎても、近所でも珍しくもないのです。

    そうなんでしょうね。
     
    >  子供の声が聞こえてこない今の世相こそが、異常だと思います。

    ほんとに、子供の声が聞こえてこないと寂しいですね。

    少子化対策にこそ予算を集中的に投入して欲しいですが、なんだか別の
    方向に予算を使われそうで、雲行きが怪しい。


    [No.7045] Re: 今年六十のおじいさん 投稿者:YKOMA  投稿日:2015/05/16(Sat) 14:30
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    GRUEさん

    > 男性は48才くらいでしょうか? 今では信じられない早死にですねえ。とい
    > うことは、60才というのは、相当に年寄りだということになりませんか。
    > まさに「老骨にむち打つ」ですねえ。平均寿命+12才です。
    >
    > 問題はこれからです。ならば、現在2015年では、「今年○○のおじいさん」
    > と言う時、○○の中にどんな数字を入れればいいのでしょうか。

    お説の通りですが、現今の相場では60から幅が広がっていますし、
    おじいさんは珍しくなくって、そんじょそこらにおりますから。
     ただし、唄のニュアンスからいうと 90歳以上を○○の中に
    入れるべきでしょうね。

    かくいうわたしですら80を過ぎても、近所でも珍しくもないのです。
     
     子供の声が聞こえてこない今の世相こそが、異常だと思います。


    [No.7044] 今年六十のおじいさん 投稿者:GRUE  投稿日:2015/05/15(Fri) 08:46
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    童謡「今年六十のおじいさん」の歌を時々口ずさんでいることがある。
    多分歌い易い歌だからでしょう。

    しかし、ふと思った。「今年六十のおじいさん」 って?
    この童謡が作られた年代、すなわち社会環境、そして作詞作者は誰なんだろうと。

    これは1941年7月、武内俊子/河村光陽に作られている。
    1941年と言えば、太平洋戦争の直前。

    次に歌詞を見ると、2番、3番で、作られた背景が分かる。
    つまり、もう60、年寄りだけど、お国のために老骨にむち打って働いて
    いるということが。歌詞は次のURLを参照。
    http://www.d-score.com/ar/A04121001.html

    次に、一体1941年では、日本人の男性の平均寿命はいくらであったのかと
    いうことが気になりますよね。それは次の厚生労働省の発表(2014年7月
    31日)をみてください。
    http://www.garbagenews.net/archives/1940398.html

    男性は48才くらいでしょうか? 今では信じられない早死にですねえ。とい
    うことは、60才というのは、相当に年寄りだということになりませんか。
    まさに「老骨にむち打つ」ですねえ。平均寿命+12才です。

    問題はこれからです。ならば、現在2015年では、「今年○○のおじいさん」
    と言う時、○○の中にどんな数字を入れればいいのでしょうか。

    同じ表で見ると、2013年の男性の平均寿命は80.21才。単純な比較
    では、80+12=92才!?になってしまう。

    単純比較では行かないでしょうが、それでもそういう計算になってしまう。
    (実際には、死因の変化や加齢による身体的衰えなども加味しないと
    いけないでしょうから、80−85くらいになるのでしょうか)

    この70年余りの間に、これだけの高齢化が進んでいるということに改め
    て驚かざるを得ない。日本の平均寿命は現在世界最高級で、その上昇のス
    ピードは世界一ですか。

    少子高齢化の問題が喫緊の課題であることを、改めて深刻に思うのだが、
    国が真剣に対応している感じは受けない。むしろどちらも後退しているよ
    うに見える。


    [No.7043] Re: 思い出すままに 大森時代‐3 投稿者:あや  投稿日:2015/05/13(Wed) 18:00
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    思い出すままに 大森時代‐4

    私って変わっているのだろうか

     昼時のこと、外が騒がしくなったので、祖母と出てみると、空地の向こうにある工場
    の窓から火が吹き出していた。
     私は垣根を跨ぎ、空地を走りぬけ駆けつけた。工場は休みだったのか、人気はなく、
    近所の人が駆けつけてきた。消防車も来て、消し止められたが、それほどは燃えていな
    かった。焼けたところは、工場の一角で、弟の同級生一家が住んでいた。
     詳しいことはわからないが、工場の倉庫みたいなところに置いてあった、シンナーの
    壜に何かの火が入ったと聞いたような気がする。なぜかつじつまが合わないような気が
    するが、いまさら詮索するつもりもない。
     焼け出された家族は、両親と二人の子ども。そこで、どんなことになったのか、まる
    きり覚えはないのだけれど、私が一家を家に来るように誘ったのは確かである。小娘の
    私がなぜ、そんなことをしたのかわからないが、一家はわが家に来ていて、共同生活を
    はじめたのだ。
     借家の小さな家は、昔のことで、家具はなく座敷をそっくり使えたとはいえ、祖母と
    私、弟の二人と、その四人の家族で、満員すしづめだった。どうやって寝たのだろうか。
     病身の父親は、勤めもしていず、終日家にこもっていた。中国にいたこともあって、
    廊下の七輪で水餃子を作ってくれた。講釈の多い人だったが、おいしかった。 
     そのとき、中国には水餃子しかないと聞いたように思う。
     大家さんはそんな私を非難の目で見ていても、黙認してくれていた。数か月、そんな
    共同生活が続いたが、一家は移っていった。
     いま、考えると何ということをしたのだろうかと思う。それによって、思い出される
    ことがある。二十歳を少しすぎたころのことか、会社の同僚に典ちゃんという女性がい
    た。私よりは年下の、典ちゃんが、ある日家出をしたと家にやってきた。帰るように説
    得したが帰らないと言う。他へ行かれるよりはと、家に置くことにした。そして、いっ
    しに会社へ通った。
     一週間いて出て行った。男友だちと同棲をはじめたのだ。後年、男友だちは、刑務所
    に入ったりして、彼女は生活のため、屋台を引いて飲み屋みたいなものをやっていたと
    聞いた。
     それを見たことはないので、私にはとても想像はつかないし、できるものではな
    かった。何度か報告に来たが、いつしか遠くなった。住む世界がちがったのだ。
    そのころは祖母も健在だったが、その祖母がお金がなくなったと言ったことがある。彼
    女が出て行ったあとのことだったが、疑いたくない。いい子だったことは確かなのであ

     こんなこともあった。十年ほど前のことになるが、私が通っていた神奈川区のケア先
    に家政婦がやってきた。東京にアパートを借りていた彼女は、住み込みが決るまでは、
    通わなくてはならず、遠いと言った。
    会って初めて話をした日のことだったが、「それなら、私の部屋へ来れば」と言ったの
    である。そんなことで、十日ほどもいっしょに暮らしただろうか。私が出かけるとき
    は、予備の鍵を預けて、いつでも出入りできるようにした。
     住み込みが正式に決って、移って行ったが、そのとき、彼女が言った言葉は、「この
    世の中に、斉藤さんみたいな人はいないわ。会ったその日から、泊めてくれるなんて」
    だった。
     家に入ったって、盗むものはないし、盗まれたって困るものもありはしない。それよ
    りも、困っている人が助かるならそれでいいのではないだろうかと、私は思うのだ。
    今、彼女は山形に帰って、福祉の仕事をしている。


    [No.7042] Re: 思い出すままに 大森時代‐3 投稿者:あや  投稿日:2015/05/13(Wed) 17:49
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    思い出すままに 大森時代‐3

    夏休み
     
     夏休みには、家の前に茣蓙を敷いて勉強をした。同級生や、弟の同級生、他に近所の
    下級生がおおぜい集まった。夏休み帳などを教えてあげたのである。机のない青天井の
    寺子屋であった。
     ときにはみんなを引き連れて、六郷土手や池上本門寺などへ写生に行った。長い道中
    であったが、親たちはなにも言わないよき時代であった。今は、子ども同士で、遠出な
    んて考えられないだろう。
     それと、近所のラーメン店へ家庭教師に行ったことが、夏休みの大きな思い出である。
    家庭教師といっても、ラーメン屋のおじさんが、息子の家庭教師になんて、冗談に言っ
    ただけのこと。
     家から出て、少し行ったところの角にあった店でいつも混んでいた。子どもは三人い
    て、一番下の女子はまだ、就学していなかった。私が頼まれたのは、二人の男の子で、
    小学生だった。
     これまた、夏休みの宿題をみてあげるもので、毎日午前中が、その時間に当てられ
    た。店が始まる前の、両親が忙しく立ち働いている、店に続いた部屋でのことである。
     中学生の私が、どんなことを、どんなふうに教えたかは覚えていないが、親御さんに
    は感謝された。いっしょに遊んであげただけに過ぎなかっただろうと思う。
    眼鏡をかけたピエロみたいなおじさんは、研究熱心で、お客がおいしいと言った店には
    出向いて、研究してくるのだった。
    私が長ネギを刻んで炒めたものがのっていたラーメンがおいしかったと言ったら、さっ
    そく出かけた。幾日か経って、試作品を食べさせてくれたが、おいしかった。


    ラブレターの下書き
     
    田中の浪ちゃんという下級生の家は大きな家で、裏には畑が広がっていた。
     浪ちゃんのお父さんは、ずいぶんとお年寄りに思えた。おじいさんという感じすら抱
    いた。お母さんはたっぷりとした黒髪の、粋な感じの人で、その話しぶりなどからして
    子ども心にも、芸者さんをやっていた人のように思えた。また、お父さんとはかなり
    年は離れていたように思う。
     その浪ちゃんの家には、山本富士子が大きく写された、酒屋のポスターがあった。
     お父さんは、私がその写真によく似ていると、いつも言っていた。その似ている部分
    を忘れてしまったが、たぶん口元が似ていると言われたような気がする。その写真に向
    かい、眺めたが、似ていたとは思えない。日本髪の美人に似ているわけはない。
     また、かわいがってもらったが、その写真のせいもあったのかと、今では思う。その
    ことを、お母さんには、悪いなと思った覚えがある。小学生高学年から、中学生にかけ
    てのころで、おしゃまだった。
     浪ちゃんは私より二つ下の下級生。彼女は私の比ではなく、女というものを持って
    いた。お母さんに似たのだろうなんて思ったりもしたのである。
     この浪ちゃんのラブレターの下書きをした。そのボーイフレンドの顔も名も知らな
    い。ただただ下書きをしたのである。代筆ではなく、なぜ、下書きかというと、私の書
    いた文章を彼女がきれいな字で写して、手渡すのだ。私の字ではラブレターにならない。
     思うとなんとも不思議な気がする。どんなラブレターを書いたのだろう。私がすっか
    り、忘れているだけで、彼がどんな人かは聞いていたのかも知れない。それでなくて
    は、書けないと思う。また、それほどうまい文章を書いたとも思えないが、浪ちゃんに
    は感謝され、書き続けた。その恋の行方はわからない。


    [No.7041] Re: 思い出すままに 大森時代‐2 投稿者:あや  投稿日:2015/05/13(Wed) 17:36
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    思い出すままに 大森時代‐2

    男装の麗人

     家を出て、右に曲がって少し歩いたところに、小学校の正門があった。その前の文房
    具屋が、「しょうしんどう」という名前だった。どんな字を書いたのか覚えていない。
    そのしょうしんどうの鈴ちゃんとは学校友だちだった。
    彼女のおばさんに当たる人は、宝塚から抜け出たようにスタイルがよく、男のような断
    髪で、ズボンを穿いて闊歩していた。いっしょに住んでいた人は長い髪を持った、スカ
    ートの似合う人だった。二人が並んで歩く姿は絵になっていた。
     その当時は、レスビアンなどという言葉は知らなかったが、子ども心に、女同士の夫
    婦みたいに思った。窓が開いているときに、二人が結婚写真のように写っている写真立
    てを見ることができた。子どもたちは、何やかやと理屈をつけては様子をのぞきにいっ]
    た。二人は困ったような顔を見せるときもあった。


    二人のK先生

     小学校は目の前にあったが、中学校は二十分ほども歩いたところの海岸近くにあり、
    対岸には羽田空港があった。付近に人家はなく、広い広い空地に学校がぽつんと建って
    いるだけだった。
     校庭の外れの土手近くに高射砲陣地(と子どもたちは呼んでいた)があり、楽しい遊
    び場となっていた。
     中学校には英語の先生が二人いた。年配のK先生は、毎時間、勉強が始まる前に単語
    の試験をやった。十センチ四方の大きさの用紙に十問の単語を書かせるのである。点数
    をつけて発表されたが、私は常によい点というか、多くを間違わずに書けていた。われ
    ながらあっぱれと、鼻を高くしていた覚えがある。
     そのかわり、発音はまったくだめで、会話など習うという気も起きなかった。英語は
    、歌と同じで、音痴な私はだめと決めつけていたのだ。
     先生にはかわいがってもらったが、そんな先生を、苗字に「金」の字がつくこともあ
    って、「金ツル」とあだ名をつけ呼んでいた。  
     また、小使いさんのおじさんを、「一二〇キロワット」と呼んでいた。先生より禿げ
    上がっていたのだ。いずれも私が命名したのだが、おじさんにはよく追いかけられた。
    面と向かって囃したてたりしたからである。
     先生には面と向かって、金ツルと言った覚えはないが、耳には入っていたのだろう、
    「実れば実るほど頭を下げる稲穂かな」と、その例えを解釈された。私の頭も実ってい
    るのだよ、と言われているような気がした。
     若い、これも「加」のつく、K先生は、仲間であった。私より親友の、常ちゃんを気
    に入っていたらしく、先生に誘われ下宿へよく行ったが、道すがら会話が弾む二人に、
    私は、お邪魔虫と思ったことがある。
     青い空の下、背は高くなかったが、話しながら大股に、スマートに歩く先生に、二人
    は憧れを持っていたことは確かである。どさっと、重そうな金ツルさんとは雲泥の差で
    あった。とはいえ、今思うと、英語の先生だけあって、金ツル先生にもスマートさはあ
    った。
     あるとき、金ツル先生とクラスの一同は学校の舟に乗って、羽田空港に行ったことが
    ある。空港には兵舎があり、まだ軍服を着たアメリカ兵(戦争は終わっていた)がおお
    ぜいいた。
     その兵舎の前で、私たちを歓迎してくれたとき、私は、金ツル先生を前へ押し出すよ
    うにして、会話してもらおうとした。もちろん英語で、会話などできない私たちなので、
    先生にあいさつを頼んだつもりだったのに、ああそれなのに、それなのにである。
     押し出された先生は、
    「こんにちは」
    と言ったのだ。流暢な英語が飛び出すことを期待していたのに、これ以外の言葉は出る
    ことはなかった。
     だからと言って先生をばかに思ったことも、したこともない。先生は先生であった。
     どんなにいたずらしても、常に温顔を持って接してくださったことは、忘れられない
    思い出として胸にある。


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